回復力の使い道
「お客さんは六人、店の画面は四人。どっちで席を用意すればいいの、って」
瀬尾は受話器を置くと、俺に店の名前を示した。駅前にある小さな食堂だ。予約は今夜の七時。店側が席を整えるまで、あと数時間しかない。
「六人で来られたら、四人席には入れないな」
「そう。店側もお客さんを断りたくないの。私が状況を調べるから、久世は予約の変更記録を一緒に確認してくれる?」
俺は頷いた。今度は、瀬尾の仕事まで抱え込もうとはしない。
画面に残る最初の予約は四人。だが昨夜、客側から六人へと変更の操作がされていた。システム上にはその記録が残っているのに、店側の端末は朝から開きっぱなしだったせいで、古い人数のまま表示されていたのだ。
「記録は六人になってる。店側に見えてるのが四人だ」
「了解。お店に画面を開き直してもらうね」
瀬尾が電話口で指示を伝える。店の人が端末を操作し、やがて六人という数字を読み上げた。ここまでの対応は早かった。
「席のほうは大丈夫そうですか?」
瀬尾が尋ねると、受話器の向こうで長い沈黙が落ちた。営業前の忙しい時間帯に、二席増やすのは画面の再読み込みほど簡単ではない。
だが、瀬尾は慌てて謝罪したりはしなかった。まずは今夜、ほかの席をどう使う予定なのかを聞き出す。奥のテーブルを動かせば六人座れなくはない、と店の人が答えた。ただ、その席には次の予約も入っているらしい。
「それでしたら、何時までなら席を使えるかをお客さまに確認します。変更の通知が画面に出ていなかった件も、こちらからご説明しますので」
店と客の間で、瀬尾が慎重に言葉を選んでいくのを横で聞いていた。断るか、無理をして受けるか。選択肢はその二つだけではないのだ。
画面が古いまま更新されていなかった件は、すでに岸本さんへ報告していた。岸本さんは担当者へ調査を頼み、ほかの店でも同じことが起きていないか確認すると言った。俺一人で原因を抱え込む必要はない。
返答を待つ間、俺は印刷した変更記録の紙を瀬尾へ手渡した。紙の端が、昨日の傷と同じ指を浅く切った。
「うわ、痛そう」
瀬尾が机の引き出しから絆創膏を取り出した。貼るほどでもない、と言いかける。赤い線は、まだはっきり残っていた。
「……ありがとう」
結局それを受け取って指に巻いた。瀬尾は店へ折り返す時間を確認するのに忙しく、俺の手元へそれ以上の視線を向けなかった。
昼過ぎ、店側はテーブルを二つつなげて対応すると決めてくれた。客側も来店時間を少し早めてくれるらしい。これで六人全員が入れる。瀬尾は店へ礼を伝え、岸本さんは古い表示について調査を続けると伝えた。予約そのものが消えたわけではないと分かっただけでも、店の人の声は少し落ち着いていた。
一件落着、というところで、急激に体が重くなった。
昨夜あんなにカレーを三杯も平らげたというのに。いや、昨夜の満腹など関係ない。傷が塞がると、その分だけ猛烈に腹が減るのだ。前世ほど派手に治らないぶん、かえって扱いに困る。紙に負けて、昼飯が足りなくなる。
休憩室の自販機前で、最後の一個だったおにぎりを買おうとした瞬間、指先から硬貨を取り落とした。拾おうとしゃがみ込んだ膝が、微かに震える。
「久世さん」
背後から声をかけられた。白峰さんだった。彼女は落ちた硬貨よりも先に、俺の顔色をじっと見つめている。
「朝から何か食べましたか」
「……おにぎりを二つ」
「今、何時ですか」
「一時半です」
「昼食にしては少なすぎますね」
彼女はしゃがんで硬貨を拾い、俺に差し出した。人事担当としての気遣いなら、そこで終わるはずだった。だが、俺が何気なく指先の絆創膏を押さえ直した瞬間、彼女の視線がすっとそこへ落ちる。
「その傷、いつできたものですか?」
「一時間ほど前ですけど」
「見せてもらってもいいですか」
俺は絆創膏の端を剥がしかけて、手を止めた。見せたところで、傷跡などもうほとんど残っていないはずだ。白峰さんも、無理にその手を引こうとはしなかった。
「……治ると、すごくお腹が空きますか」
喉が詰まった。彼女には前世のころから、他人の消耗を鋭く見抜く癖があった。けれど、俺がガルド本人だと今ここで証明できるわけがない。今の俺は、顔も声もまるで別人なのだから。
「……はい」
「分かりました。まずは食べてください。指が痛むようなら手当ても。原因の話は、そのあとで構いませんから」
白峰さんは、おにぎりのボタンを押そうとする俺からすっと距離を取った。逃げ道を残してくれたのかもしれない。俺はそのまま、おにぎりを二個買い込んだ。
「白峰さんは、こういうのを見たことがあるんですか」
背中に問いかけると、彼女は自販機の明るいランプを見つめたまま答えた。
「似た疲れ方を。ずっと前に」
それ以上は、俺にも踏み込んで聞けなかった。
指の傷はすっかり消えた。店の予約トラブルもどうにか片づいた。それなのに、白峰さんの口にした「ずっと昔」という言葉だけが、帰り道になっても頭から離れてくれなかった。
翌朝、オフィスの掲示板に有給休暇の案内が貼り出されていた。俺はその紙の前で、昨日の店の画面を見ていたときよりも長く、立ち尽くすことになる。




