教えたこと、教わったこと
体験会のあと、高瀬さんが次に出勤した日のことだ。俺の机には、商店街から体験会の実施報告書が届いていた。
花束作りもパンの成形も予定通りの人数で無事に終了し、古いちらしを持って広場へ向かった客は一人だけだった。現地の誘導担当が交流室まで滞りなく案内できたという。店舗からの感謝の言葉も添えられていた。俺はその文面を二度読み返し、ようやく自分の肩から力が抜けて軽くなっていたことに気づいた。
「高瀬さん、本当によく動いてくれたな」
岸本さんがそう声をかけてきた。
俺は深く頷き、「教えた甲斐が――」と言いかけて口をつぐんだ。
一体、俺が彼女に何を教えただろう。最初の日に机を何度も拭き、昼の店を決めあぐね、電話の対応手順では情報を詰め込みすぎて戸惑わせただけだ。広場のちらしの矛盾に気づいたのは高瀬さん自身だったし、当日に現地の誘導担当へ連絡を入れようと決めたのも彼女だった。
「……むしろ、俺のほうが教わりました」
岸本さんは穏やかに笑った。
「久世が隣でじっと待っていたからこそ、高瀬さんも自分の意見を口にできたんだろう。それも立派な仕事のうちだよ」
誰かの仕事を評価する言葉を決めるのは、岸本さんの役目だ。俺はただ、目の前で起きた事実をありのままに受け止めればいい。
その日の午後、高瀬さんも交えて短い振り返りのミーティングを行った。瀬尾は店側が受けた問い合わせの傾向をまとめ、俺は予約管理画面に古い表示の残りがないかを報告する。高瀬さんは、役目を終えた例のちらしを机の上に置いた。
「もし次回、雨で場所が変更になる可能性があるなら、紙を配る前に、この下へ『当日の場所はこちらで確認』と連絡先を一筆入れておくほうが良さそうです」
「商店街側へ共有しておこう。次回以降どうするかは、主催者側が決めることだからね」と岸本さんが引き取る。
「はい。今日の業務報告には、そう記載しておきます」
高瀬さんの声に、最初の会議で紙の端をなぞっていたときの迷いはない。ちらしは相変わらず薄く、指で押せばすぐ曲がる。それを持つ手が変わったのだ。
「あの日、広場にお客さんが来ちゃったとき、久世ってば真っ先に立ち上がったよね」
瀬尾が思い出し笑いを浮かべながら言った。
「立ち上がっただけだ」
「それで座れた。前なら、もうエレベーターに乗ってた」
「高瀬さんが、俺に予約時刻を調べろと言ってくれたからな」
話を振られた高瀬さんは、少し照れくさそうに小さく首を横に振った。
「久世さんなら、調べてくれると思ったので」
誰かに頼まれたことを、きちんとやり遂げられた。その言葉が、一人で全部抱え込んでやり切ったと褒められるよりも、ずっと誇らしくて嬉しかった。
ミーティングを終えたあと、高瀬さんが記録用の封筒から、商店街の地図を写した紙ナプキンを取り出した。初めて一緒に昼食の店を探した日に描き留めた、植木鉢のある曲がり角だ。見せてもらった俺は、紙を折ってしまわないよう端をそっとつまんで彼女へ返した。
「次の仕事でも、現地の看板を見ますか」
「必要なら見に行きます。でも、その前にまず何を確認すべき仕事なのかを質問しますね」
「それは俺が聞こうとしていました」
「じゃあ、一緒に岸本さんのところへ行きましょうか」
俺は先に立たず、彼女が封筒をしまうのを待った。教える側の席へ座ったつもりでいたが、隣の席には、俺が知らないものを見つける人がいる。




