周年会に空席はない
延期された周年会の翌営業日、蓮見さんの店から電話が入った。
画面に店名が表示された瞬間、俺の手は無意識のうちに修正済みの名簿へ伸びていた。瀬尾が受話器を取り、いつも通りの声で名乗る。
「はい。……昨日は、お疲れさまでした」
俺は一覧を開いたまま顔を上げた。何が足りなかったのだろうか。席数か、案内か、それとも客の一人が変更前の古い時刻のまま来てしまったのか。
瀬尾は受話器を耳から少し離すと、笑いをこらえるように口元を押さえた。
「それは、本当によかったです。店長さんにもよろしくお伝えください」
通話が切れるまでの十数秒が、やけに長く感じられた。受話器を置いた瀬尾へ、俺はたまらず先に尋ねた。
「誰か来られなかったのか」
「全員来たよ。蓮見さん、写真を送ってもいいかって。店長さんが『報告は自分の言葉でする』って言ったから、まず電話してきたんだってさ」
「それじゃ、蓮見さんの言葉じゃないのか」
「うん。そう言いながら、店長さんが横で笑ってた」
俺は開きっぱなしだった名簿を閉じた。十八人全員に変更の案内が届き、席の数も合っていた。事前に確認した通りの結果なのに、電話の向こうから聞くと違う。あの延期は、穴を埋めるためだけではなかったのだ。
昼休みに入る前、蓮見さんと店長の連名で短い報告が届いた。店の窓際に長い卓を置き、客が順番に昔の写真を見せ合ったという。終盤に店長が出した記念のケーキだけ、蓮見さんの予定より少し早かった。
「ケーキは、予定より少し早く出たらしいですよ」
俺がそう口にすると、岸本さんは画面を覗き込みもせずに答えた。
「食べられたんだろう?」
「はい。むしろ皆さん、喜んだようです」
「なら、いい予定変更じゃないか」
俺は手元に置いていた当日用の確認表に目を落とした。蓮見さんが一人ですべてを抱え込んでいた頃なら、スケジュールが一行ずれただけでも、彼は自分の至らなさと捉えて責めていたかもしれない。今は店長が先にケーキを出し、客が笑い、彼がそれを報告できる。
瀬尾が俺の肩越しに手元の紙を覗き込んできた。
「久世、その表見るの、何回目?」
「……二回目だ」
「三回目の顔してるよ」
否定しようとしたが、すでに保存済みの控えにまで指を伸ばしかけていたことに気づく。瀬尾は俺の手から紙を取り上げず、空の食事用トレーを指で叩いた。
「お昼、行こ。今日はもう、確認しなきゃいけないお客さんはいないよ」
客がいないわけではない。全員が、あの店で無事に食事を終えてくれたのだ。ようやく素直に、そう受け止めることができた。
終業後の帰り道、俺は蓮見さんの店の前を通ってみた。今日は通常営業に戻っており、窓際の長テーブルもいつもの小ぢんまりとした席へと戻されている。入口の黒板には「十周年会、ありがとうございました」と手書きされ、その下に少し曲がったケーキの絵があった。
わざわざ店内へ入って改めて報告を聞くのはやめにしておいた。客の一人がドアを開け、珈琲の香りと小さな笑い声が外へこぼれる。俺は黒板の文字だけを見て、歩き出した。
スマートフォンには、白峰さんから映画の待ち合わせ場所についてのメッセージが届いていた。周年会を見届けるために、次の約束を遅らせる必要はもうない。
『駅の改札で会いましょう。今度は十分前には着くと思います』
そう打ち込んで送ると、すぐに返信が来た。
『私も、十分前に着く予定です』
二人とも同じだけ早く着いてしまったら、それは果たして待ち合わせと呼べるのだろうか。
確かめる相手は、もう決まっている。




