休日に集合、ただし任務ではない
待ち合わせの十分前に着いた。
洋食屋の前にはすでに二組並んでいる。店の入り口は一つで、奥へ続く細い通路が見える。そこまで確かめてから、俺は自分が休暇中だったと思い出した。今日は出口を調べるために来たわけではない。
「久世さん」
声をかけられて振り向くと、紙袋を提げた白峰さんが立っていた。会社で見るより柔らかい色の上着だ。見慣れないせいで、挨拶の順番が一瞬分からなくなる。
「おはようございます。早いですね」
「あなたも」
「列の様子を確認したくて」
「私もです。……食べ物を待つ列なら、安心して並べますね」
彼女が小さく笑った。俺は笑い返すまでに少し遅れてしまったが、列の最後尾を指し示した。
「ここでいいみたいです」
順番を待つ間、紙袋の中身について尋ねてみた。近くの本屋で、薄い料理の本を買ったのだという。休日まで誰かの体調を気遣うような本なのかと身構えたが、表紙には様々な卵料理が並んでいた。
「自分で食べたいものを作ろうと思いまして」
「白峰さんがですか?」
「なぜそんなに驚くんですか」
「人の分まで作っていそうで」
「今日は一人分です」
少し得意そうに言う。その一人分のために本を買うのが、何だかいい。俺はそれを上手く言えず、店の窓に貼られたメニューを見た。
順番が来て、店内の席へ案内される。向かいに腰を下ろした白峰さんは、俺よりも先に水を一口飲んだ。人事のデスクで見かける彼女は、いつだって電話の応対か書類の確認が先だった。
「決まりました?」
「煮込みハンバーグにします。プリンも」
「迷いがないですね」
「ここへ来たかった一番の理由ですから」
注文する自分の声が、驚くほど軽い。白峰さんはメニューを眺めて少し迷った末に、魚のフライとプリンを頼んだ。二人分のプリンの注文を聞いた店員が、食後に運んでくると復唱して下がる。
料理を待つ間、仕事の話はしないと申し合わせたわけではなかった。自然な話題を探すうちに、さっきの本屋の近所にある、商店街の小さな映画館の話になった。白峰さんは休日に映画を見に行って、途中で眠ってしまった経験があるらしい。
「眠るために座席を買ったようなものでした」
「よほど退屈な映画だったんですか」
「いいえ。とても面白かったんです。だから、余計に悔しくて」
「なら、もう一度見に行けばいい」
「そうですね。今度はたっぷり昼寝をしてから行きます」
真面目に対策を練るところがいかにも彼女らしい。俺は水を飲んで、口元に浮かんだ笑いを隠した。
料理の皿が運ばれてくると、会話はいったん途切れた。熱いソースで舌を火傷しそうになり、白峰さんに見咎められる。慌ててコップの水をあおった。
「舌、火傷していませんか?」
「まだ大丈夫です」
「まだ、なんですね」
彼女が頼んだフライの衣は薄く、ナイフを入れると白い湯気が立った。俺の皿には、思っていた以上に大ぶりのハンバーグが載っている。食べ進めるうち、店の奥で皿を洗う音や、隣の席の楽しそうな相談が聞こえてきた。ただの昼の店の音だ。
食後のプリンが運ばれてきたとき、白峰さんの鞄の中で携帯電話が一度だけ短く震えた。彼女は鞄に視線を落とし、それから迷わずにスプーンを手に取った。
「確認しなくていいんですか」
「今日は担当の人がいます」
俺もポケットの携帯を確かめそうになり、伸ばしかけた手を膝へ戻した。俺の席にも担当がいる。昨日の引き継ぎメモに書いた以上の事柄を、今ここで一人で考えたところで何も増やせはしないのだ。
プリンはしっかりとした固さで、カラメルが少しほろ苦い。白峰さんが一口含み、美味しそうに目を細めた。甘いものを選んだ理由を自分の中で探そうとしたが、見つかる前に二口目を運んでいた。
店を出たあと、すぐに駅へ向かうのも名残惜しく、二人で川沿いの遊歩道を歩いた。川面を撫でる風はまだ少し冷たいが、日なたを歩くにはちょうどいい気候だった。白峰さんは紙袋を持つ手を変え、俺の歩幅に合わせようと速度を緩める。俺も同時に歩みを遅くした。お互いにその気遣いに気づき、一度だけ足が止まる。
「同時でしたね」
「歩く速さくらい、先に聞けばよかったな」
「私は、このくらいがちょうどいいです」
彼女が先に一歩を踏み出し、俺はその隣に並んだ。
川にかかる橋の近くまで来たところで、白峰さんが会議室でのことを聞いてもいいかと前置きした。蓮見さんの容態についてではなく、俺自身のことだ。
「あの時、怖くありませんでしたか」
「怖かったです。助けを呼ぶ瞬間が、特に」
口にすると、いささか格好がつかない。けれど、彼女の前でいまさら取り繕う気にはなれなかった。
「ガルドなら、一人で部屋に残って盾になる道を選んでいたと思います。久世直人としても、そう動きたくなった。それでも助けを呼べたのは、俺一人の力じゃあの人を連れ出せないと、はっきり分かったからです」
「私も、自分がすべてを見張り続けていれば防げると思っていました」
白峰さんは静かに流れる川面へと目を向けた。
「セレナだったことは消えません。でも、今の私が誰かを助ける方法は、一つではないんですね」
それ以上、前世の名を持ち出す必要はなかった。水面を自転車の影が横切り、橋の向こうから子どもの明るい声が風に乗って届く。俺たちは今日の名前で呼び合い、同じ方向へ歩いている。
「あの映画館、次の休みに行ってみませんか」
俺が尋ねると、彼女は振り返った。
「また眠ってしまったら、起こしてくれますか?」
「映画が終わるまでは、起こします」
「では、お願いすることにします」
約束はそれだけだった。明日になれば仕事はあるし、俺が急に休み上手になるわけでもない。けれど、店の催しは誰か一人が倒れる前に延期できた。仕事を預けて空けた一日を、今日は自分の行きたい場所で過ごしている。
駅へ向かう道は一本ではない。白峰さんが川沿いの続きを指さす。俺は時計を見ず、彼女とそちらへ曲がった。




