第63話 鍼灸師の願い
青龍が、こちらを睨みつけている。
低い唸り声が森に響き、大きな身体が呼吸するたび、地面まで震えているようだった。
その身体の内側では、龍気と蛇気が激しく渦巻いている。
「苦しいじゃろう」
儂は青龍をまっすぐ見つめた。
「安心せい。今、なんとかしてやるからな」
ニカッと笑いかける。
もちろん、返事はない。
ただ、その鋭い眼光がほんの少しだけ戸惑って見えた。
言葉が通じているわけではないようだが。
治療を始める時、儂が願うことは昔から一つだけだった。
よくなってほしい。
元気になってほしい。
鍼灸師は、それだけを願って鍼を打ち、灸を据える。
痛みが少しでも和らぐように。
苦しみが少しでも軽くなるように。
そして、その人が自分自身の力で、また元気に暮らしていけるように。
七十年以上、患者を前にするたび、そう願ってきた。
もちろん、いつもうまくいったわけではない。
治せなかった患者もいる。
思うような結果が出なかったことなど、数え切れない。
それでも患者の前に立つ時だけは、この人にとって何が最善なのか、それだけを考える鍼灸師でありたいと思ってきた。
不思議なもので、心から相手のことを思っていると、その人の身体の状態が、我がことのように感じられる時がある。
肉体だけではない。
心の状態まで、こちらへ伝わってくるように感じることさえある。
無理に探ろうとしなくても、身体の方から「ここが苦しい」「ここがおかしい」と語りかけてくるように思える時もある。
儂は、いつもその声を聞きたいと思って治療してきた。
そして今。
目の前にいる青龍の気が、ありありと感じられる。
巨大な龍気の中へ蛇気が入り込み、絡みつき、その流れを乱している。
どちらも強い。
あまりにも強いからこそ、互いにぶつかっているのだ。
行き場を失った力が、身体の中を上へ昇っていく。
さらに上へ。
首を通り、頭へと集まっている。
「そこか」
見つけた。いや、目で見えたわけではない。
感じたのだ。
青龍に心から共感することで、その乱れの中心が、はっきりと伝わってきた。
青龍の頭上。
頭頂の一点。
人間でいうなら――百会というツボだ。
龍にも百会があるのだろうか。
百会は頭のてっぺんにあり、諸陽の会とも呼ばれる、多くの経脈が交わる重要な場所だ。
もちろん、龍と人間が同じ身体をしているはずはない。
同じ経穴が、そのまま存在する保証などどこにもない。
だが、気が集まり、乱れ、詰まっている場所がある。
ならば、今はそれで十分だ。
そこを何と呼ぶかなど、後で考えればよい。
「まさに、頭に血が上っておるようじゃな」
あそこへ、ミスリルの鍉鍼を当てる。刺す必要はない。
ただ一点。
あの場所へ、ほんのわずかな刺激を加え、滞った流れにきっかけを作る。
蛇気を追い出すのではない。
龍気を強くするわけでもない。
二つの気が、自分たちの力で巡れるように手を貸す。
それでよい、と儂は思うのだ。
治すのは、儂ではない。
この龍自身の身体だ。
儂は懐へ手を入れた。
指先に触れたのは、なめらかでひんやりとした金属の感触。
出来上がったばかりの、ミスリルの鍉鍼だ。
小さく細い。長さは、わずか、五センチほど。
目の前の青龍と比べれば、あまりにも小さい。
だが――十分だ。
鍼は、大きければ効くというものではない。
深く刺せば効くというものでもない。
必要な場所へ、必要な刺激を。
それだけだ。
儂は鍉鍼を握り、あらためて青龍と向き合った。
お読みいただき、ありがとうございます。
鍼灸師が願うことは一つですね。
患者さんの最善を願って、私も毎日施術しています。
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