第6話 マコト・イエロー
「それで、どうやってその世界へ?」
真言には、転生というもののイメージがいまひとつ掴めなかった。
別の世界へ行くと言っても、いったいどうやって行くのだろう。
赤子として生まれ直すのか。それとも、今の身体のまま、どこかへ移されるのか。
「その前に、あなたの身体について話がある」
「儂の?」
「あなたは九十二歳だ」
「存じております」
「……そうだろうな」
神は小さく咳払いした。
「年齢から考えれば、驚くほど若い身体だ。だが、それでも寿命は近い」
「でしょうな」
「驚かないのか?」
「九十二年も使いましたからのう」
真言は、皺の刻まれた自分の手を見た。
何万人もの脈を診て、鍼を持ち、人の身体に触れてきた手だ。
「よう働いてくれました。感謝こそすれ、文句などありませんよ」
「……そうか」
神は静かに頷いた。
「そこで、新しい身体を用意する」
「ほう」
「あなたの魂を、私の世界で生きられる肉体へ移す。転生してもらう」
「転生ですか。何歳に?」
「十歳ほどだ」
「十歳!」
真言の目が輝いた。
「ずいぶん若返りますな」
「これから成長する身体の方が、世界の気に馴染みやすい。かといって幼すぎては、一人で生きていくこともできない。そのあたりを考えて、十歳前後だ」
「なるほど」
真言は腕を組んだ。
そして、すぐに口元を上げる。
「つまり、十歳から身体を作り直せるということですな」
「……そういう捉え方になるのか?」
「そりゃあ、面白い」
「面白い?」
「骨格も筋肉も重心も変わる。そこへ異世界の気が入るのでしょう?」
「あ、ああ」
「経絡は? 内臓は? 呼吸は? 地球の人間と同じとは限らん」
「真言殿」
「十歳なら成長期じゃ。站桩からやり直せば――」
「真言殿」
「はい?」
「楽しそうだな」
「そりゃあもう」
真言はニカッと笑った。
「九十二になって、また十歳から身体を研究できるとは思いませんでしたからのう」
神は小さく息を吐いた。
「……もう一つ。新しい名を用意した」
「名前?」
「シンゲン・キサキという名の響きは、この世界ではあまり馴染みがない」
「そうなのですか。では、新しい名とは?」
「マコト・イエロー」
「そう来ましたか」
「あなたと、あなたの鍼灸院の名前から取ったつもりなのだが」
真言は、新しい名をもう一度、口にしてみた。
異世界で、これから一生使うことになる名だ。
ならば、響きだけで決める気にはなれない。
儂が長く学んできた東洋の学問では、医術だけを切り離して考えることはしない。易、算命、風水、手相、人相、姓名――人を取り巻くさまざまなものを学び、それを人を診ることにも活かしてきた。
儂もそれに倣い、若い頃からいろいろな術を学んできた。
となれば、新しい名をいただくのに、画数を確かめぬわけにはいかん。
真言は黙って指を折り始めた。
「何をしている?」
「画数を」
「そこなのか?」
「名前は大事ですぞ」
しばらくして、真言は満足そうに頷いた。
「十五画か。悪くないのう」
「気にするところが、いちいち予想と違う……」
真言はもう一度、新しい名をゆっくりと口にした。
「マコト・イエロー」
そして、ニカッと笑う。
「よろしいでしょう」
「では、マコト・イエローとして生まれ変わったあなたには、まず――」
神が手を上げる。
白い空間に、新たな光景が浮かび上がった。
見渡す限りの深い森。
その木々に埋もれるようにして、一軒の小さな家が建っていた。
それから真言は、新たな世界について一通りの説明を受けた。
国のこと。人々のこと。魔物のこと。魔法と呼ばれる力のこと。
そして、転生した真言――マコト・イエローが最初に暮らすことになる、深い森の一軒家について。
当面、生活に困らないだけの物資も用意されているという。
「まずはそこで、新しい身体と世界に馴染んでほしい」
「承知しました」
「急ぐ必要はない。あなた自身が言ったことだ。まずは診てみなければ分からない」
「カッカッカッ。これは一本取られましたな」
神も、わずかに笑った。
「……さて」
その一言で、真言にも分かった。
別れの時だった。
「では、参りますか」
「ああ」
真言は、自分の身体を見下ろした。
九十二年間、共に生きてきた身体。
病気もした。怪我もした。
それでも今日まで、ずっと自分と一緒に生きてきてくれた。
真言は皺だらけの手で、ぽん、と胸を叩いた。
「長いこと、ご苦労さん」
それだけだった。
そして、神へ向き直る。
「お世話になりました」
真言は深く頭を下げた。
神もまた、静かに頭を下げる。
「こちらこそだ」
神と人。
だが、そこに上下はなかった。
一方は世界を治める者。
一方は、九十二年を人として生き抜いた者。
当然ながら、歩んできた道はまるで違う。
それでも今、二人は互いを認め、ただ静かに礼を尽くしていた。
やがて神が顔を上げ、穏やかに言った。
「――海内に知己存せば、天涯も比隣の若し」
真言の眉が、わずかに上がった。
この世に心を知る友がいるなら、たとえ遥か遠く離れていても、まるで隣にいるようなものだ。
「王勃ですな」
「ああ」
真言は、それ以上何も尋ねなかった。
世界が違えば、天涯よりもなお遠い。
それでも――私はあなたのそばにいる。
神が一人の老人に、そこまで心を寄せてくれている。
それだけで十分だった。
「ありがたい」
真言はニカッと笑った。
その身体を、淡い光が包み始める。
「では――」
九十二歳の老鍼灸師は、神を見た。
「また会いましょう」
「ああ。また」
光が強くなる。
真言の姿が、少しずつ白の中へ溶けていく。
最後まで、その顔に不安はなかった。
あるのは、これから出会う未知への好奇心だけだった。
やがて光が消えた。
神は一人になった白い空間で、しばらく真言のいた場所を見つめていた。
「……また会おう、我が知己よ」
九十二歳の老鍼灸師、黄崎真言。
その長い人生は、ここで終わった。
そして――。
マコト・イエロー、十歳。
彼の新しい人生が、始まる。
お読みいただき、ありがとうございました。
これで序章が終わりとなります。
明日からは毎日投稿を目指していきたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。




