第53話 辺境最強の剣士は、遥かな高みを知る
儂も訓練場へ歩み出る。
いつも通り、武器は持たない。
「無手の強さ、勉強させてもらいます」
「うむ」
儂は自然に立った。
構えもしない。
「万全の状態のおぬしの剣を見せてくれ」
その一言で、ガイルの目が変わった。
ガイルは静かに一歩を踏み出す。
速いわけではない。
しかし、あれほど大柄な身体にしては、不思議なほど動きが静かだ。
ぬるり、と。
気がつけば、もう目の前まで入り込んでいた。
そして次の瞬間――剣閃が一気に押し寄せてきた。
振り下ろしから横薙ぎへ。そこから逆袈裟へ切り返し、間髪入れず鋭い突きが伸びる。
そこに一切の遠慮も手加減もない。
たとえ模造剣でも、まともに当たれば人を殺せる剣筋だ。
一つの技から次の技へ移るまで、まったく澱みがない。
踏み込みも、腰の回転も、剣の軌道も、すべてが途切れずにつながっている。
「すげえ……」
ロイズの声が漏れた。
周囲の騎士たちも、いつの間にか声を失っていた。
なるほど。これが本来のガイルの剣か。
昨日までは身体のどこかが剣についていけず、それを技量で無理に補っていた。
だが、今は違う。
踏み込めば剣が走り、切り返せば身体が遅れずについてくる。
剣と身体が、一つになっていた。
これならゴブリンが何十匹来ようと、すべて斬り伏せるだろう。
だが――刃が儂を捉えたと思った瞬間、そこには儂の残像しかない。
上から来れば半歩外し、横から来れば後ろへ下がる。
切り返しも、突きも、そのすべてが儂の身体をすり抜けているように見えるのだろう。
「またあの残像か!」
「煙でも斬ってるみたいだ……」
騎士たちの声が飛ぶ。
ガイルの顔に驚きが浮かんだ。
次いで――歓喜へ変わる。
「……まだだ」
踏み込みが、さらに鋭くなる。
「まだ、動ける……!」
剣速が上がった。
足がついてくる。腰が回る。肩も腕も、思った通りに動く。
今まで身体のどこかで止まっていた剣が、今日は止まらない。
「はは……!」
ガイルが笑った。
「まだ速くなれる!」
さらに一段、剣が加速した。
一撃で逃げ道を作り、次の一撃でそこへ追い込み、さらにその先へ刃を重ねる。
右から、左から、上から下へ。
息をつく間もない剣閃が、怒涛のように押し寄せる。
しかし――届かない。
「まだだ!」
ガイルが吠える。
いい気迫だ。
ガイルが速くなるほど、儂はそのわずか先へ行く。
剣が通り過ぎた場所には、残像だけが残る。
来い。
もっと来てみろ。
おぬしには、まだ先がある。
儂に追いついてみせろ。
「……感謝します」
この刹那の連撃の中で、ガイルが笑った。
汗が額を流れている。
それでも、その目はますます輝いていた。
「まだ……上があるのか」
その声には、悔しさよりも喜びが多かった。
自分の身体が、また速く、思った通りに動く。
失ったと思っていた剣が戻ってきた。
そして、その先には――全力を尽くしても、なお届かない高みがある。
剣士にとって、これ以上悔しく、同時に嬉しいこともないのだろう。
「おおおおっ!」
ガイルが吠えた。
これまでで最も深く踏み込み、全身を乗せた渾身の一撃を放つ。
速く、鋭く、強い。そして、よい剣じゃ。
儂はそれを待っていた。
剣が振り下ろされる。
その瞬間、一歩入る。
「――!」
間合いの内側へ潜り込み、ガイルの手首を取った。
力を止めるのではない。
向きを変える。
踏み込んできた力を、そのまま使う。
腰を転じる。
ふわ。
「うおっ!?」
ガイルの身体が宙を舞った。
ドサッ。
訓練場へ背中から落ちる。
ガイルの巨体が地面へ落ちたわりには、その音は軽いものだった。
治療したばかりで、怪我をさせるわけにはいかんからの。
訓練場が静まり返った。
誰も声を出さない。
儂はガイルへ手を差し出した。
「よい剣じゃった」
しばらく呆然としていたガイルが、やがて笑った。
悔しそうではない。
普段の無骨な顔からは想像できないほど、無邪気な笑顔だった。
儂の手を取り、立ち上がる。
「マコト殿」
一度、言葉を切る。
「……いや、先生」
「ん?」
ガイルは深く頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました」
顔を上げたその表情は、先ほどまでの剣士のものとは少し違っていた。
「これでまた、この都市の民のために戦うことができます」
この地を守る、騎士団長の顔だった。
「何を言うとる」
「え?」
儂は呆れてガイルを見る。
「今は、ずいぶん楽になっただけじゃ」
「……はい?」
「何年もかけて酷使してきた身体じゃぞ。同じように使い続ければ、また元通りじゃ」
「そ、そうなのですか」
「当たり前じゃ」
なんじゃ、その顔は。
一回で何もかも終わったと思っておったのか。
「身体も剣と同じじゃ。使えば疲れる。よく手入れをして、休ませねばならん」
「はい……」
急に叱られた子供のような顔になった。
王国有数の剣士であり、皆から頼られる騎士団長も、こういうところは可愛いものじゃな。
「儂が見たところ、おぬしの身体にはまだ疲れが残っておる。まだ本来の状態には戻りきっておらんということじゃ」
ガイルが顔を上げる。
「つまり――おぬしには、まだ先がある」
ガイルの目が、再び輝いた。
「儂が鍼灸院を開いたら、また治療に来るといいわい」
儂はその顔に笑いかけた。
「よろしいのですか?」
「患者を診るのが鍼灸師の仕事じゃからな」
すると、ガイルも笑った。
「分かりました」
そして表情を引き締め、姿勢を正える。
「その時は、小金貨一枚を持って、きちんと通わせてもらいますよ」
儂はニカッと笑った。
「いつでも来るといい。待っておるぞ」




