第50話 老鍼灸師、ようやく本来の姿になる
神木エルヴァーナに案内してもらうことが決まった。
とはいえ、すぐに出発というわけではない。アーセルが騎士団から同行する者を選び、道中の食料や装備を整えてくれるため、出発は数日後となった。
儂にも、ちょうど都合がよかった。
頼んでいたものが、二つほど出来上がる頃だったからだ。
儂はアリエル、サラ、グレイと共に、まずはドルガンの鍛冶場へ向かった。
「おう、来たか」
相変わらず、炉の熱と鉄の匂いが満ちている。
ドルガンは儂の顔を見ると、作業台の上に置いてあった細長い革のケースを手に取った。
「できてるぞ」
「おお、早く見せてくれ」
差し出されたケースは、濃い茶色をした丈夫な魔物の皮で作られていた。
蓋を開く。
中には、白銀に輝く鍉鍼が一本、きれいに収められていた。
「わぁ……とても綺麗ですね」
アリエルやサラから感嘆の声が漏れる。
「ほう……」
そっと手に取った。
軽い。取り回しもよさそうだ。
まず、指先で表面をなぞる。
滑らかで、先端にはほどよい丸みがあり、皮膚を傷つけるような引っかかりもない。
長さや太さ、重さを確かめ、手にした時の重心まで慎重に見る。
これは――ええのう。
「見事じゃ」
「当然だ」
ドルガンが鼻を鳴らした。
儂は鍉鍼を軽く握り、ほんのわずかに真気を流してみる。
「……ほう」
すっと通った。
まるで鍉鍼そのものが、こちらの気を受け入れているようだ。
鉄や銅とは明らかに違う。
余計な引っかかりがなく、ほんの少し流しただけでも、真気が先端まで素直に届いていく。
以前、素材のまま触れた時にも感じたが、完成した鍉鍼ではさらに馴染みがいい。
まるで、指先がそのまま少し伸びたような感覚だった。
「ん?」
そこで、ようやく気づいた。
手の中の鍉鍼を見つめる。
先ほどまで白銀だったはずのミスリルが、淡い金色に輝いていた。
「……ドルガン殿。これは、こういうものなのか?」
「あ? 何がだ?」
「色じゃよ」
鍉鍼を少し持ち上げて見せる。
ドルガンの目が細くなった。
「たしかに、色が変わってるな……。金色か?」
「うむ。こういうことはあるのかの?」
ドルガンが眉をひそめた。
「いや。色が変わるなんて聞いたことがねえ」
「そうなのか?」
「ああ。魔力を通せば光ることはある。だが、ミスリルそのものの色が変わるなんざ、俺は知らん」
「ふむ……」
もう一度、ごくわずかに真気を流してみる。
やはり、白銀の表面へ淡い金色の光が広がっていく。
儂はその輝きを眺めながら考えた。
この世界へ来てから見てきた龍気や魔力は、白い。
一方、儂の真気を通した鍉鍼は、金色に輝いている。
ならば、龍気や魔力と儂の真気では、そもそも性質だけでなく、現れる色まで違うのだろうか。
いや。まだ、そうと決まったわけではない。
ミスリルそのものの性質かもしれんし、儂の真気との組み合わせで初めて起きる現象かもしれない。
「面白いのう……」
思わず口元が緩む。
これは、使ってみたい。
できれば今すぐ。
とはいえ、誰でもよいというわけにはいかん。
痛くもない者を、試しに治療するわけにもいかんじゃろう。
さて、誰かおらんか。
少し考えて、儂の頭に浮かんだのは――騎士団長、ガイルだった。
そんなことを考えながら鍉鍼を眺めていると、ドルガンが腕を組んだ。
「……それとな。一つ、気になることがある」
「気になること?」
「ああ。そいつを打ってる時だ」
ドルガンが鍉鍼を顎で示した。
「妙な感じがしたんだ」
ドルガンが、少し言葉を探すように眉を寄せた。
「魔力じゃねえ。俺だって長いことミスリルを触ってる。それくらいは分かる」
たしかに、これほどの鍛冶師ともなれば、魔力の違いくらいは感じ取れるのだろう。
「だが、何か別のもんが残ってるような感じがしたんだ」
「何か、か……」
儂は手の中の鍉鍼を見る。
「上手く言えねえんだがな」
ドルガンは首をひねった。
「嫌な感じじゃなかった。むしろ逆だ」
「逆?」
「ああ。こいつは、いいものになる。なぜか、そう思った」
ドルガンは分厚い手のひらを、自分の胸に当てた。
まるで、心がそう告げていると言わんばかりだ。
本人にも、うまく説明はできないのだろう。
だが、長年ミスリルを打ってきた職人だからこそ感じるものがあるのかもしれない。
「俺は俺の直観に従って、そのまま打った」
そして、少し真面目な顔になる。
「問題なかったか?」
儂はもう一度、鍉鍼へ真気を通してみた。
淡い金色の輝きとともに、真気が滑らかに先端まで流れていく。
それどころか、ミスリルの素材そのものへ触れた時よりも、ずっと儂に馴染んでいるような気さえする。
そういえば――最初にこのミスリルを手にした時、儂は真気を流した。
もしかすると、あの時の真気が、金属の中に何かしら残ったのだろうか。
それとも、ドルガンが鍛え上げる過程で、別の変化が起きたのか。
分からん。まだ、何とも言えん。
だが、これだけは言える。
「うむ、問題ない」
儂は鍉鍼をケースへ戻した。
「むしろ、よいものを作ってくれた」
ドルガンを見て、心から礼を言う。
その高い技術に、敬意を込めて。
「ありがとう」
「……おう」
ドルガンは少しだけ照れたように鼻を鳴らした。
「長く使い込んでから礼を言え」
「そうさせてもらおう」
鍉鍼の入ったケースを懐へ収めた。
これで、ひとつ。
異世界で初めての鍼が、ようやく手に入った。
・・・・・・
鍛冶場を出た儂らは、そのまま服屋へ向かった。
店に入ると、すぐに店員がこちらへ顔を上げた。
「いらっしゃいませ。ご用意できていますよ」
「おお、そうか」
奥から運ばれてきたのは、頼んでいた作務衣だった。
色は、着流しと同じ深い黒。
右腕の袖には、白いラインが螺旋を描くように巻き付いている。女性店員が考えた意匠らしい。
「ほう……これはまた、ずいぶん洒落たものを考えたのう」
思っていたより目を引く意匠だったが、奇抜というほどでもない。むしろ粋に見えた。
手に取ってみると、生地は柔らかいが薄すぎず、丈夫さもある。山へ入るにも、治療をするにも良さそうだ。
服を仕立ててもらいに来ただけのつもりじゃったが、思いがけず面白い出会いになったわい。
「さっそく着てみてもよいかの?」
「もちろんです」
手に取ってみると、生地は柔らかいが薄すぎず、丈夫さもある。山へ入るにも、治療をするにも良さそうだ。
試着室で袖を通し、紐を結ぶ。
軽く腕を回してみた。
「おお。これはよい」
肩が引っかからん。
肘も動かしやすいし、腰を落としても腿まわりに余計な突っ張りがない。
試しに、ゆっくり起勢の動きをしてみる。
うむ。実にいい。
そのまま店内へ戻ると、三人の視線が一斉にこちらへ向いた。
「先生、とてもお似合いです!」
アリエルが嬉しそうに声を上げる。
「あまり見慣れない衣装ですが……本当に似合いますね」
サラも、少し驚いたようにこちらを見ている。
「ええ。思っていた以上です」
店員まで満足そうに頷いた。
「そうかの?」
そこまで言われると、少々気恥ずかしいわ。
だが、着心地も申し分ない。
それに――この感じ。
日本にいた頃も、治療をする時には作務衣を好んで着ていた。
朝、袖を通す。紐を締め、身なりを整える。
それだけで――よし。今日も仕事じゃ。
自然と、そんな気持ちになったものだ。
「……これは気合いが入るのう」
鍼を持ち、患者と向き合う。
あの時間が、また始まるのだ。
口元が緩むのを抑えきれなかった。
その時、小さく息を呑む音がした。
「……ん?」
顔を上げると、アリエルもサラも、こちらを見たまま黙っていた。
「どうした?」
「あ、いえ……」
アリエルが少し頬を赤くする。
「さっきも似合っていると思ったんですけど……今、急に雰囲気が変わった気がして」
「分かります」
サラも小さく頷いた。
何もしとらんのだが。
店員が感心したように儂を眺めた。
「いやあ……そのお年で、その男ぶりですか。将来が恐ろしいですねえ」
苦笑いが漏れる。
客商売とはいえ、お世辞がすぎるわ。九十三歳のじじいをつかまえて、将来もないだろう。
アリエルとサラは目を合わせて、困ったように笑い合った。
「ニャア」
足元では、グレイが尻尾を立てて儂の脚に身体をすり寄せてきた。
「おぬしも気に入ったのか?」
「ニャ!」
まあ、皆が作務衣を気に入ってくれたのなら、それでよい。
「実は、その右腕の模様には少し理由があるんです」
女性店員が、どこか照れくさそうに笑った。
「以前、お客様にお会いした時、右腕に何かが巻き付いているような、不思議な印象を受けまして……」
「ほう?」
「白いものが、腕をぐるぐると螺旋状に巡っているような……。うまく説明できないんですけど、その時に浮かんだイメージが、どうしても頭から離れなかったんです」
店員は作務衣の袖を指さした。
「それで、思い切って模様にしてみました。勝手なことをして、すみません」
「いやいや、謝ることはない。実によい意匠じゃ」
儂は改めて、白い螺旋を眺めた。
「ほう……おぬしには、このように見えたんじゃな」
「え?」
「いや、こちらの話じゃよ」
儂の気の流れを、螺旋のように感じ取ったのじゃろうか。
訓練していない人間に気が見えることは少ない。じゃが、優れた職人というものは、理屈では説明できん何かを捉えることがある。
鍛冶師のドルガンもそうじゃった。
ミスリルの中に混じった、儂の真気を感じとっていた。
一流の職人の感性とは、侮れんものじゃな。
「気に入っていただけましたか?」
「もちろんじゃ。これは、よい仕事をしてくださった」
そう言ってニカッと笑うと、女性店員も嬉しそうに顔をほころばせた。
「ところで、おぬし、名前は何と申す?」
「え? 私ですか?」
「うむ。これほど面白いものを仕立ててくれた職人の名くらい、覚えておきたいのでな」
女性店員は少し驚いたようだったが、すぐに笑顔になった。
「モニカと申します」
「モニカか。よい名じゃ。覚えておこう」
「ありがとうございます!」
儂はもう一度、右袖の白い螺旋を眺めた。
ドルガンといい、モニカといい、この世界の職人たちは実に面白い。
儂は袖口を軽く整えた。
深い黒の作務衣は、今の小さな身体にも不思議なほど馴染んでいる。
螺旋状に走る白いラインも、黒地によく映えていた。まるで龍か蛇が右腕に巻きついているようだ。
「これは……なかなか、ええではないか」
見た目だけなら、どう考えても十歳ほどの子供だ。
だが、長年着慣れた仕事着に袖を通したせいだろうか。
ようやく、本来の自分に戻れたような気がする。
朧という異世界ならではのお灸がある。
ミスリルの鍼も手に入った。
これだけあれば――万全の状態で、鍼灸師としての仕事ができる。
「これで治療もはかどるのう」
儂は満足して、ニカッと笑った。
「……っ」
なぜか、また全員が黙った。




