第47話 老鍼灸師の一日は充実しすぎている
アドヴァーン城で世話になるようになってから、儂の生活も少しずつ落ち着いてきた。
朝は、騎士団との太極拳の稽古から始まる。
アリエルとは話し合って、朝の稽古への参加は遠慮してもらうことにした。
あの娘は領主の娘として学ばねばならぬことも多い。それに、まだ十三歳じゃ。
何より、つい先日まで長く病に苦しんでいた。
成長期の子供には、しっかり眠ることも大切な仕事である。
そこでアリエルには、騎士団の稽古が終わってから、儂と一対一で稽古をすることにした。
結果として、朝の稽古に参加するのは騎士たちだけになった。
つまり――アリエルに合わせて手加減する必要がなくなったということだ。
監視の目もなくなったことじゃし――。いやいや。別に、何か悪いことをするわけではないぞ。
ただ、騎士には騎士に合った鍛え方というものがある。幼いアリエルには、ちと負荷が強すぎるだけじゃ。
やることは太極拳だけではない。
身体をほぐすためのストレッチ。自分の体重を使った筋力鍛錬。スクワットや走り込み。短時間で一気に身体を追い込む高強度の運動に、持久力を養う有酸素運動。
ただ闇雲に身体を痛めつけるのではない。
安全に、効率よく。
身体の使い方を覚えながら、必要な体力をつけていく。
「おっと。ロイズがそろそろ限界じゃな」
張り切りすぎなのだ。あの根性は評価するが。
さらに、こちらの世界ならではの鍛錬も加えた。
魔力の訓練だ。
儂は、地球で学んできた気功の訓練法を、魔力の鍛錬へ応用してみることにした。
放鬆。呼吸法。丹田。軸。站桩功。小周天。五禽戯。
まだ始めたばかりなので断言は出来んが、どうやら魔力と気功法は恐ろしく相性がいい。
呼吸を整える。身体の余分な力を抜く。意識を身体の内側へ向ける。
この数日の訓練だけでも、騎士たちの魔力の流れには少しずつ変化が現れていた。
そこで朝の稽古は、こうした身体づくりと気の訓練から始めることにした。
騎士たちには、まだるっこしく感じるかもしれん。
じゃが、この「太極拳以前の太極拳」こそが大切なのだ。
そして最後に、全員で太極拳を行う。
こちらはまだ、形を覚えるだけで精一杯だ。
今はそれでいい。
「ガイル殿、もう少し力を抜いてくだされ。太極拳は、そのような怖い顔でやるものではないのじゃ」
「いつもの表情ですが」
ガイルの眉間の皺が、さらに深くなる。
「むしろ、笑顔でやるくらいがよいですぞ」
「……笑顔」
ガイルが口元を引き上げた。
……さらに怖くなっておるが。
まあよい。
この朝稽古は、儂にとっても実に興味深い研究だった。
地球で伝えられてきた伝統的な鍛錬。現代のトレーニング。気功を応用した魔力の訓練。そして太極拳。
これらを組み合わせれば、異世界の人間の身体にどんな変化が起こるのか。
こうしたらどうじゃろう。
いや、こちらの方が効率がよいか。
あれも試してみたい。
そう考えていると、次から次へとアイデアが湧いてくる。
おかげで、朝が楽しみでならん。
何しろ、こやつら自身のためでもあり、アドヴァーンのためでもある。
多少きつくても、頑張ってもらわねば。
そう思っていたのだが――。
「マコト殿」
「なんじゃ?」
「少々、やりすぎではないでしょうか」
騎士団長ガイルから、やんわりと注意されてしまった。
まだ始めて数日じゃぞ。
まったく。最近の若い者は――。
……いや、年寄りがそんなことを口に出したらお終いじゃな。
年寄りの方が、若い者に合わせねばならん。
そこは反省しよう。
まあ、よい。今度はガイルの目をかいくぐる方法を考えるとするか。
・・・・・・
稽古が終わると、騎士団の中から何人かずつ、城の一室へ来てもらう。
そこには寝台を一つ置いてもらい、簡易的な施術室として使わせてもらっていた。
訓練を見ていると、身体の不調というものは意外によく分かるものだ。
動きが左右で違う者。肩が上がりにくそうな者。腰をかばっている者。息の上がり方が妙に早い者。
そうした騎士たちに声をかけ、数人ずつではあるが、ここで身体を診ることにしている。
治癒魔法については、まだ儂にも分からないことが多い。
ただ、これまで見聞きした限りでは、傷や外傷の治療には強い一方で、筋肉に蓄積した疲労や、長く続く身体の不調などには、あまり向いていないようだった。
騎士団長のガイルもそうだったが、騎士という仕事は、どうにも身体へ無理をさせることが多いらしい。仕方のないことなのだろう。
実際、訓練を見ていると、よくこれで毎日動いておるものじゃ、と思う者までいる。
これでは、いざという時に万全の力を発揮するのも難しいだろう。
そこで今は、疲労の強い者から順に、毎日数人ずつ身体を診ている。
もちろん、あくまで本人が希望すればの話だが。
騎士本人からも、アーセル殿やガイル殿からも、施術料は払わせてほしいと言われている。
じゃが、今のところは受け取っていない。
これも騎士たちの訓練の一環。
儂が勝手に鍛えて、勝手に診ておるのだ。
それくらいは、好きにさせてもらおう。
まだミスリルの鍉鍼は完成していないが、こうした疲労を和らげるだけなら、指圧でも十分にできる。
異世界艾「朧」も、まだ在庫はある。
とはいえ、いつまでも森から持ってきた分だけに頼るわけにもいかん。
「このあたりでも、ヨモギを探しておかんとのう」
出来れば近いうちに、原料になる異世界ヨモギを見つけておきたいところじゃ。
・・・・・・
騎士団の稽古が終われば、今度はアリエルの番だ。
何しろ、異世界へ来て最初の弟子である。
儂にとっても、まだ分からないことが多い。
ましてやアリエルは病み上がりだ。
儂がこの世界へ来た時以上に、慎重に進めなくてはならない。
それに、領主の娘として他にも学ぶことが山ほどあるらしい。
鍼灸師としての修行は、アリエルの体調を見ながら進めるしかない。
子供は、よく食べ、よく眠り、よく動き、よく遊び、そしてよく学ぶ。
まずはそれが一番だ。
・・・・・・
「では、脈から診させてもらおう」
「はい、先生」
最初にするのは、アリエルの脈を診ることだった。
毎朝、その日の体調を確かめる。
脈だけではない。顔色、声、呼吸、身体の動き。昨日と何か違うところはないか。疲れが残っていないか。どこに無理が出ているか。
こうして診ておけば、その日の身体がどこまで動けるかはだいたい分かる。
「よし。今日も元気そうじゃな」
「はい!」
「では、勉強を始めるぞ」
「……はい」
なぜそこで声が小さくなる。
鍼灸師を目指すのであれば、実技だけではいかん。
中国の思想家・朱子に、「半日静坐、半日読書」という言葉がある。
身体を通して学ぶことも、書物から学ぶことも、どちらも大切だと儂は受け取っている。
鍼灸師になろうというのなら、学ぶことは山ほどある。
解剖学。生理学。運動学。東洋医学の考え方。経絡と経穴。病の成り立ち。さまざまな病についての知識。そして、それぞれに対する治療法。
それだけではない。
突き詰めれば、数学もいる。物理もいる。生物もいる。
人の身体を診るというのは、それほど簡単なことではない。
「先生……これ全部、覚えるんですか?」
アリエルの表情が、だんだん曇ってきた。
「いずれはな」
「い、いずれ……」
「そんな顔をするでない。今すぐ全部覚えろとは言っとらん」
今はまだ入り口だ。
いわば――。
「ちゅーとりある、というやつじゃな」
「ちゅーと……?」
「まずは全体を把握する、ということじゃ」
全体を眺めて、自分がこれから何を学ぶのか知ればよい。
この子には、まだ時間がある。
焦る必要はない。
今の体調で、無理はせず、できることをやればいいのだ。
・・・・・・
座学のあとは、外で身体を動かす。
こちらも、騎士団と同じことをさせるつもりはない。
まずは少しずつ体力と筋力をつけていく。
日本のラジオ体操のような体操。気功で使う柔軟法。スワイショウ。走り込みもいる。自重を使った鍛錬もよい。
身体を思い通りに動かす感覚を養うために、いずれは空手や少林寺拳法の型、剣術の素振りなども取り入れてみたい。
次は、魔力の鍛錬だ。
アリエルの膨大な魔力を上手く育て、鍛え、そして繊細に扱えるようにする。
そのためには、騎士団以上に丁寧で、密度の高い訓練が必要になるかもしれない。
呼吸法もやらせたい。站桩功も、早いうちから始めた方がよいだろう。
「先生……」
「なんじゃ?」
「まだ増えるんですか?」
また顔が引き攣っておる。
「心配するな。身体に無理がないように、慌てず、じっくりと進めよう」
身体は問題ない。
脈もいい。顔色もいい。呼吸も乱れていない。
まだまだいけるではないか。
「……なんで、私まで」
隣から、もう一つ声が聞こえた。
アリエルの護衛を務めるサラだ。
外で身体を動かす鍛錬の時には、彼女にも一緒に参加してもらっている。
女性騎士の護衛は貴重らしく、サラは朝の騎士団の稽古には参加できないことが多い。
そこで、この時間だけ別の騎士に護衛を代わってもらい、アリエルと一緒に鍛えることにした。
それに――サラの魔力も、なかなか面白い。
他の騎士たちと比べても、妙に荒々しい。
力そのものはあるのだが、扱いづらく、細かな制御が難しいようだ。そのせいか、本人も魔法はあまり得意ではないらしい。
だが、もしこの魔力を上手く扱えるようになれば――。
身体能力も、まだかなり伸びるのではないか。
というわけで、サラには気功の訓練を重点的にやらせている。
もちろん、すぐに結果が出るものではない。
だが続けていけば、いずれ本人にも変化が分かってくるだろう。
「一緒に頑張りましょうね、サラ」
アリエルが笑顔で声をかける。一緒に鍛える仲間ができて嬉しそうだ。
互いに励まし合い、高め合える相手がいるというのは、二人にとっても悪くない。
儂としても、二人まとめて経過を見られる。
実にありがたいことだ。
そして最後は太極拳。
こちらはまず、見よう見まねでよい。
細かな形や身体の使い方を最初から求めるつもりはない。
大きな流れを覚え、身体を動かすことそのものに慣れてもらう。
最初の目標は、二十四式の套路を、大まかでもよいから一通り覚えることだ。
「では、昨日の続きからじゃ」
「はい!」
こちらになると、アリエルは急に元気になる。
分かりやすい娘だ。
・・・・・・
一通り稽古が終われば、最後に治療をする。
今は軽い指圧が中心だ。
身体の状態を確かめながら、幼い身体へ負担をかけぬよう、ゆっくりと刺激を入れていく。
どこに疲れが出ているか。
どこまでなら翌日に残らないか。
今日の負荷で、身体がどう変わったか。
毎日診ていれば、少しずつ分かってくる。
分かれば、次はもう少し先まで行ける。
蛇気の状態も毎日確認している。
今のところ、問題はなさそうだ。
白い龍気とは混ざり合わず、それでいて争うこともなく、二つの気がそれぞれの性質を保ったまま身体を巡っている。
実に貴重な症例だ。
しかも、その本人が我が弟子ときた。
毎日診られる。
運動させた時の変化も見られる。
気功をさせた時の変化も見られる。
疲労した時も、回復した時も、すぐに確かめられる。
これほど都合のよい――いや、興味深い状態もない。
実に重畳。
今後のためにも、徹底的に見ておかなくてはならん。
蛇気の影響が、これからどこまで広がるかも分からない。
アリエル自身も、いずれ人の身体を診るようになる。
ならば、自分の身体で学ぶことも多いだろう。
午前中は、だいたいこんなふうに過ぎていく。
・・・・・・
午後からは街を歩いてみたり、城にある書物を読ませてもらったりして過ごす。
この世界について、知りたいことはいくらでもある。医学、魔法、地理、歴史、魔物、宗教。そして――龍。
手当たり次第に読んでいると、時折、気になる言葉に出会う。
まず驚いたのが、前任者殿の名前が、あちこちの本に出てくることだった。
儂より前に、この世界へ送られた神の使徒。
勇者、レイ・リバー。
戦いに長けた人物だったとは聞いていた。
名前だけだと性別までは分からなかったが、どうやら女性らしい。
各地で多くの魔物を倒し、多くの人々を救った。その名は、英雄として今も残っているそうだ。
まさか、あの森の一軒家を残してくれた人物が、それほど名の知れた勇者だったとは思わなかった。
レイ・リバーは長く戦い続け、晩年になると、ある日ひっそりと表舞台から姿を消したという。
おそらく、その後にあの森で暮らしていたのだろう。
家を残し、金を残し、この世界で生きるために必要なものまで用意してくれた。
改めて考えると、ありがたいことだ。
前任者殿の恩に応えるためにも、儂なりに誠実に生きていかなくてはならん。引き締めていこう。
龍について書かれたものは、思っていたより少なかった。
どうやらこの世界でも、龍は人の手が容易に届く存在ではないらしい。
目撃記録や古い伝承は残っている。だが、詳しい生態や身体の仕組みとなると、ほとんど分かっていない。
人が進んで近づくような相手ではない。
それどころか、遭遇すれば災害に近い扱いをされることもあるようだ。
なるほどのう。
黒龍を間近で診た儂の経験は、思っていた以上に珍しいものなのかもしれない。
治癒魔法について調べていると、必ずと言っていいほど「白の教団」という名が出てきた。
白を神聖なものとして重んじる宗教組織らしいが、詳しいことはまだ分からない。
ただ、回復薬や治癒魔法については、この白の教団が深く関わっているようだった。
そもそも治癒魔法とは、身体の何をどう変えて治しているのか。
人が本来持っている回復力を早め、傷を塞いでいるだけなのか。
それとも、本来なら起こり得ないほどの回復そのものを引き起こしているのか。
いくつか書物を読んでみたが、肝心の仕組みまでは書かれていない。本を読んだだけで使えるようになる、というわけにはいかないようだ。
また、魔法そのものについて調べていると、今度は「黄金の塔」という魔法使いたちの組織が出てきた。
魔法の研究や教育、魔道具の開発などを行っているらしい。
この世界の魔法を本格的に調べるなら、いずれ避けては通れぬ場所なのだろう。
魔法そのものにも、まだ分からないことが多い。
火や風、水などを生み出す属性魔法。
身体能力を高める身体強化。
さまざまな道具を生み出す錬金術。
そして、王家のみが扱えるとされる予知魔法。
それに――マジック・キャンセル。
以前、儂がゴブリンを相手に使った、魔法の働きを打ち消す技術だ。
どうやら、魔力を魔力で打ち消すことは出来ないとされていて、魔法の無効化はかなり珍しいものらしい。
だとすれば、なぜ儂の気では魔法を消せたのか。
気と魔力が似た性質を持つのなら、なぜ一方は残り、一方だけが消えるのか。
「……調べたいことが増える一方じゃな」
思わず笑ってしまう。
異世界へ来てからというもの、退屈する暇がない。
まあ、今はここにある本で学べることを学べばよい。
それでも分からなければ、分かる者に聞けばよいのだ。
白の教団も、黄金の塔も、辺境とはいえ支部くらいはあるだろう。
いずれ、ちょっと覗きに行ってみるかの。
・・・・・・
夕方にはアドヴァーン城へ戻り、グレイと遊んだり、絵を描いたり、アリエルの教科書代わりになるものを書いたりして過ごす。
城に居候させてもらっているおかげで、食事にも困らない。寝床もある。風呂まである。
ありがたい限りだ。
そしてグレイも、すっかり城での暮らしに馴染んでしまった。
今も儂の寝台の上で、当然のように丸くなっている。
「おぬし、そこが自分の寝床だと思っとらんか?」
「ニャ」
当然だろ、とでも言いたげだった。




