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老鍼灸師は転生しても治さない  作者: かどやん。
第2章 辺境都市アドヴァーン

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第46話 一番弟子はゆずれません!

いつものように、日の出より少し早く目を覚ました。


 顔を洗い、身支度を整える。これから訓練なので、昨日買った黒の着流しではなく、シャツと半ズボンに着替えた。


 グレイはまだ寝台の上で丸くなっている。


「グレイ。儂は稽古に行ってくるぞ」


「ニャ……」


 片目だけ開けて返事をした。どうやら朝には弱いらしい。


 部屋を出て、城の訓練場へ向かう。


 外へ出ると、朝の空気が心地よかった。空はまだ淡く、東の端が少しずつ明るくなっている。


 訓練場には、すでに何人もの騎士が集まっていた。


 昨日参加した者だけではない。どうやら話を聞きつけたらしく、さらに人数が増えている。


 その中に、アリエルの姿もあった。


「先生!おはようございます!」


「おお。おはよう、アリエル」


 そして、もう一人。


 こちらへ勢いよく駆けてくる者がいる。


「先生!おはようございます!」


 このやたらと大きな声は――昨日の跳ねっ返り騎士、ロイズだった。


「……おぬしか」


「はい!」


 昨日まで儂を「ガキ」呼ばわりしていた男とは思えん。


 背筋を伸ばし、妙にきらきらした目でこちらを見ている。


「先生!」


「なんじゃ」


「本日も一手、お願いします!」


「朝から元気じゃのう」


「昨日、一晩考えました!」


「なにをじゃ」


「どう考えても、俺は先生に勝てそうもありません!」


「それを一晩考えとったのか」


「はい!ですから、先生に食らいついていく覚悟を決めました!」


 実に清々しい顔をしている。


 どうやら、負けたことをいつまでも引きずる性格ではないらしい。


 それはよいことじゃ。


「先生!昨日の、相手の力を利用して投げる技を、ぜひもう一度!」


「今日は投げんぞ。ガイル殿に釘を刺されておるからの」


「えっ」


「しばらくは基本の稽古じゃ」


「そんな……」


 なぜ落ち込む。


 そこへアリエルが近づいてきた。


「ロイズ。先生を困らせてはいけませんよ」


「アリエル様!」


 ロイズはすぐに背筋を伸ばした。


 その態度には、ふざけたところなど微塵もない。領主の娘に対する敬意と忠誠が、はっきりと伝わってくる。


「おはようございます!」


「おはよう。朝から元気ですね」


「お嬢様も、朝早くからお疲れ様です」


「今日から先生に、本格的に太極拳を教えていただくのです」


「それは存じております」


 ロイズは爽やかに笑った。


「ですが、先生のことは我々にお任せください。アリエル様は、どうぞあちらでお茶でも飲みながら見学なさっていてください」


「…………はい?」


「朝は冷えますから。先生のお世話は私がいたします」


 アリエルの眉がぴくりと動いた。


 ロイズに悪意はない。


 それどころか、心からアリエルを気遣っているのだろう。


 つい先日まで病弱だったアリエルの印象が、まだ抜けていないのだ。まあ、それも無理はない。


 だからこそ本人は、自分がなぜアリエルを怒らせているのか、まるで分かっとらん。


「いいですか、ロイズ」


「はい、アリエル様!」

 返事はいいのだ。


「あなた、何か勘違いしていませんか?」


「何をでしょう?」


「先生の弟子は、私です」


「もちろん存じております」


「では、なぜ私がお茶を飲んでいるのです!」


「しかし、アリエル様。昨日の先生の稽古をご覧になったでしょう。あれは少々激しすぎます」


「今日は基本の稽古だと、今おっしゃっていたではありませんか!」


「ですが、何が起こるか分かりません」


「起こりません!」


「アリエル様の御身に何かあってからでは遅いのです」


「私は先生に太極拳を習うために来たのです!」


「お気持ちは分かります。ですから、まず我々が習得し、安全を確認したのち――」


「ロイズ!」


「はい!」


「あなた、私より先に先生から習いたいだけではありませんか!?」


「……そんなことはありません!」


「今の間はなんですか!」


 図星らしい。


 アリエルの額に青筋が浮かぶ。


「先生!」


 今度はアリエルが、こちらを振り返った。


「なんじゃ」


「私は先生の一番弟子ですよね!?」


「一番も何も、今のところ弟子にしたのはおぬしだけじゃ」


「ほら!」

 なぜか勝ち誇った顔でロイズを振り返る。


 ロイズはしばらく考え込んだ。


 そして、儂へ向き直る。


「先生!」


 嫌な予感がする。


「俺も弟子にしてください!」


「なぜそうなる」


「ロイズ!!」

 アリエルの声がさらに大きくなる。


 朝から元気じゃのう。


 周囲の騎士たちから、とうとう笑い声が漏れた。


 ガイルまで少し離れたところで額を押さえている。


「まあ、弟子の話は置いておけ」


「先生!」


「置いておけ」


「……はい」


「アリエルもじゃ」


「はい」


 二人とも、ようやく静かになった。素直は素直なんだがのう。


 さて……少し出鼻をくじかれた気もするが、そろそろ始めるか。


 ・・・・・・


「今日は昨日とは違って、太極拳の基本をやる」


 集まった者たちの視線が、儂へ集まる。


「まずは、身体をほぐそうかの」


「身体を?」


「うむ」


 こちらの世界へ来てから、身体を鍛える者たちを何人も見てきた。


 剣を振り、走り込み、重いものを持ち上げ、魔力で身体を強化する。そうした訓練は盛んだ。


 だが、身体を柔らかくし、関節や筋肉をゆっくり伸ばすための運動を、体系的に行う習慣は、少なくとも儂が見た範囲ではあまりないようだった。


 地球でいう、ストレッチである。


「まず、こうして腕を伸ばしてみなさい」


 儂が見本を見せると、騎士たちもそれを真似た。


 肩、腕、背中、腰と順番にほぐし、さらに腿やふくらはぎ、股関節まで、ゆっくりと伸ばしていく。


 無理に伸ばさせることはしない。


 息を止めず、気持ちよく伸びるところで止める。


「痛いところまでやる必要はないぞ。気持ちよく伸びるところで十分じゃ」


「先生」


 アリエルが、身体を前へ倒したままこちらを見る。


「こうですか?」


「ほう」


 柔らかい。余裕で地面に手のひらをつけている。


 さすが十三歳というべきか。長く病に苦しみ、身体を自由に使えなかった時期があったとはいえ、やはり若い身体じゃ。


「先生! 俺はどうですか!」


 ロイズは地面に座り、両脚を大きく開いていた。


 そのまま上半身を前へ倒し、胸が地面につきそうなほど深く身体を折り曲げている。


「おぬしも意外に柔らかいのう」


「意外って何ですか!」


「カッカッ。若さじゃな」


「先生は俺より若いでしょう!」


 周囲から笑い声が上がった。


 しばらく身体をほぐしたところで、儂は皆を立たせた。


「さて。ここからが大切じゃ」


 騎士たちの顔が引き締まる。


「太極拳で最も大切なものの一つが、放鬆(ファンソン)じゃ」


「ファンソン?」


 何人かが、その言葉を口にした。


「儂のいたところの言葉じゃ。簡単に言えば、身体を緩めること。リラックスすることじゃな」


 ただし、単に力を抜けばよいというものではない。


「ぐにゃぐにゃになればよい、という意味ではないぞ」


 昨日の稽古でも、騎士たちは「力を抜け」と言われるたびに困惑していた。


 力を抜けば弱くなる。


 戦う者なら、そう考えるのも当然だろう。


「放鬆の『放』には、外へ放ち、広がっていくような意味がある。そして『鬆』は――」


 そこで少し考える。


 こちらの世界の者に、漢字そのものを説明しても仕方がない。


「儂の国にはな、野菜や果物の中に細かな空洞ができることを、『すが入る』と言うことがある。その『す』のように、身体の内側に細かな余裕を作るような感覚じゃ」


 皆が真剣に聞いている。


「身体を柔らかく緩める。関節も筋肉も、ぎゅっと縮めて固めるのではなく、内側からふわりと広がるようにする」


 肩や肘、手首だけではない。胸、腰、股関節、膝、足首。全身のどこにも、余計な詰まりを作らない。


「そうしてできた隙間を、気がすっと通っていく。そんな感覚じゃな」


 そこで儂は、昔聞いたブルース・リーの言葉を思い出した。


「儂のいた世界に、世界中に名を知られた武術家がおってな。その男が、こんなことを言っておった」


 皆がこちらを見る。


「友よ、水になれ」


「水に……?」

 騎士たちに戸惑いの色が浮かぶ。


 アリエルは何か感じるものがあったのか、自分の掌をじっと見つめていた。


「水は柔らかい。器が変われば、その形に合わせて姿を変える。だが、柔らかいからといって、弱いわけではない」


 儂はゆっくりと腕を上げた。


「流れれば川となり、集まれば大きな力にもなる。固まらず、滞らず、変化し続ける。太極拳の身体も、それに近いと儂は思っとる」


「なるほど……」


 何人かが、自分の肩や腕を確かめるように動かしている。


「そして、この世界では、気だけではないかもしれん」


 騎士たちが、また儂の方へ顔を向けた。


「おぬしらには、魔力があるからのう」


 その一言で、皆の表情が変わる。


「身体を固めれば、気も魔力も流れにくくなるかもしれん。逆に、身体を緩め、余計な詰まりをなくせば、今までより素直に巡る可能性がある」


 もちろん、これはまだ仮説だ。


 だが、アリエルを見ている限り、その可能性は高い。


「だからまずは、流れを邪魔せぬ身体を作るんじゃ」


 儂は皆の方を向き、ニカッと笑った。


「水のようにな」


 ・・・・・・


アリエルも騎士たちも、いい具合に身体がほぐれてきたようだ。


「では次じゃ。今度は、“立つ”ことを覚えてもらう」


 ロイズがきょとんとした。


「……もう立ってますけど」


「立っておらん」


「立ってますよ!?」


「日常的な意味での“立つ”とは違うんじゃ。太極拳には、太極拳の立ち方というものがある」


「……同じじゃないんですか?」


「ああ、違う。もっとも、稽古を続けていけば、いずれは普段立っている時にも、その立ち方が自然にできるようになる」


 儂は皆の前へ出た。


 両足を自然に開き、膝を固めない。


 頭頂は上へ伸ばし、肩は落とす。胸を張りすぎず、かといって背中も丸めない。


 骨盤を無理のない位置に収め、足裏全体で大地を捉える。


「きちんと立つことができねば、太極拳は始まらん」


 騎士たちも、儂の姿を見ながら真似をする。


「力で姿勢を作ろうとするな。骨で立つんじゃ。筋肉は、必要な分だけ使えばよい」


 一人ずつ見て回る。


「ロイズ。胸を張りすぎじゃ」


「騎士は胸を張れと教わります!」


「今は騎士の立ち方を教えとるのではない」


「はい、先生!」


「肩も下ろせ」


「はい!」


「まだじゃ」


「はい!」


「まだ力んどる」


「これ以上抜いたら肩が抜けます!」


「抜けんわ」


 不覚にも笑いそうになる。


 長年身体を鍛えてきただけあって、皆、自分の身体を動かす感覚そのものは悪くない。


 少し位置を直し、余計な力を抜かせてやれば、それなりの形にはすぐなりそうじゃ。


「アリエルは……そうじゃな。もう少し膝を緩めて」


「はい」


「腰を反らさんように」


 背中へ軽く触れ、姿勢を整える。


「そう。そのままじゃ」


 アリエルが静かに息を吐いた。


「目を閉じてもよい。呼吸は自然に」


 しばらく、そのまま立たせる。


 誰も動かない。


 朝の風が訓練場を抜け、遠くから鳥の声が聞こえてくる。


「上手く立てるようになるとな」


 儂は静かに言った。


「足の裏から、地面の力が返ってくる感覚が、少しずつ分かるようになる」


 地球にいた頃にも、立つことを教える時にはよく話していた。


 身体の重さは、足裏を通して地面へ伝わる。


 そして地面からは、それに応じるように力が身体へ返ってくる。


 儂は昔から、そうしたものも含めて、身体と大地がつながる感覚を“気”として捉えてきた。


 だが、この世界には魔力がある。


 そして大地そのものには、龍気が流れている。


 ならば、ここで静かに立つという行為は、地球にいた頃とは少し違う意味を持つ可能性がある。


 身体を緩めて立つ。それだけでも、自分の中を流れる気や魔力に気づきやすくなるかもしれん。

 

 「そうすると、大地の力を貸してもらえるようになるんじゃ」


 そんな風に話を続けようとした時。


「……先生」

 アリエルが小さく声を上げた。


 儂も気づいていた。


 アリエルの周囲の空気が、わずかに変わっている。


 何かが噴き出したわけではない。


 強烈な魔力を、周囲へ撒き散らしているわけでもない。


 むしろ、逆だった。


 静かだ。


 アリエルの小さな身体の中に、巨大な魔力が穏やかに満ちてくる。


 まるで、水が器を満たしていくように。


 無理なく、淀みなく。


 騎士たちも、次第にその変化に気づき始めた。


「……アリエル様の魔力が」


「なんだ、これは……」

 騎士団長のガイルが目を見開いている。


 ロイズも、アリエルを凝視していた。


「アリエル様……」


 その顔が、なんとも悔しそうである。


 分かりやすい男じゃ。


「先生!」


「なんじゃ」


「俺は!?」


「力みすぎじゃ」


「くっ……!」


「競うところではない」


「でも悔しいです!」


「正直じゃのう」


 つい笑ってしまったが、これは悪くない。


 アリエルの魔力は、やはり規格外だ。


 儂の治療を受けてから、その巨大な力は以前よりはるかに素直に流れるようになっている。


 もともと大きな魔力を持っているだけに、身体を緩め、流れを妨げない放鬆との相性もよいのかもしれん。


一方で、身体の使い方そのものは、まだこれからだ。


 長く病に苦しんできたこともある。足腰の使い方、重心の置き方、姿勢、動作――武術として身につけるべきことはいくらでもある。


 ロイズは、その逆だった。


 今の時点で、魔力はアリエルに及ばない。


 だが、長年騎士として鍛えてきただけあって身体能力は高く、柔軟性も悪くない。昨日の手合わせを見る限り、身体の使い方にも勘がある。


 二人は違う。


 得意なことも、苦手なことも違う。


 だからこそ、よいのだ。


「ロイズ」


「はい、先生!」


「アリエルをよく見ておけ」


「……はい」


「アリエルもじゃ」


「……私もですか?」


「うむ。身体の使い方では、今はロイズの方がずっと上じゃ」


「…………はい」

 少し悔しそうな顔をした。


 アリエルも、ロイズが自分に忠誠を尽くしていることは、よく分かっているはずだ。


 本気で身を案じてくれていることも。


 似た者同士じゃな。


「自分にないものを持っている者は、敵ではない」


 二人を見る。


「よい手本じゃ」


 アリエルとロイズが、互いの顔を見る。


「競うのは構わん。むしろ大いに競えばよい。ただし、相手のよいところを見て、盗め」


 二人の表情が、少し変わった。


「一人で稽古するより、よほど上手くなれるぞ」


「はい、先生!」

 二人の声が重なった。


 今度は、どちらも相手を睨んでいなかった。


 ……いや。


 少しだけ睨んでおるな。


 まあ、よい。


 若い者同士、多少張り合うくらいがちょうどよかろう。


「では、もう少し立ってみようかの」


「はい!」

 騎士団全員の声が重なる。


 いつの間にか、朝日は城壁の向こうから顔を出していた。


 儂は騎士たちの間を歩きながら、一人ずつ姿勢を直していく。


 肩を落とし、腰を緩め、膝を固めない。そして足裏で、しっかりと大地を感じる。


 まずは、立つ。


 すべては、そこからじゃ。



挿絵(By みてみん)

お読みいただき、ありがとうございます。


これで第2章「辺境都市アドヴァーン」は終了です。


明日からは、新章が始まります。


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明日からも、一日一話、毎日20時30分頃に更新する予定です。


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引き続き、よろしくお願いいたします。



挿絵(By みてみん)

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