第43話 異世界で作る、刺さない鍼
朝の稽古を終えた儂は、汗と土埃を落とし、着替えを済ませた。
騎士たちを一時間以上も投げ続けたというのに、身体にはほとんど疲れが残っていない。
十歳というのは、実に素晴らしい。
九十を過ぎた身体では、どれほど鍛えていてもこうはいかなかった。若い肉体の体力と回復力というものを、あらためて実感する。
城を出ると、すでに馬車が用意されていた。
当然のようにアリエルが乗り込み、当然のようにグレイもその隣へ飛び乗る。さらに、昨日から何度も顔を合わせている女性騎士サラも、護衛として同行することになった。
「別に一人でも大丈夫じゃがのう」
「駄目です」
アリエルに、笑顔できっぱりと言われた。
「先生はまだ、この街のことを何も知らないではありませんか」
「それはそうじゃが」
「それに、私も鍼とは何なのか気になります」
そちらが本音ではなかろうか。
まあよい。
儂としても、街を知る者が一緒にいてくれた方がありがたい。
馬車は城を出て、朝のアドヴァーンを進んでいく。
目指すのは、この都市で一番の腕を持つという鍛冶師の店だ。
鍛冶師の名前は、ドルガン。
人間ではなく、ドワーフという種族らしい。
この街で初めてドワーフを見かけた時には、儂もつい声を上げてしまった。
聞けば、ドワーフは人間ほど背は高くないが、頑丈な身体を持ち、それでいて手先も器用なのだという。鍛冶や建築、細工物など、生産に関わる仕事に優れた者が多いそうだ。
さらに、人間よりもずっと長命で、エルフほどではないにせよ、かなり長く生きるという。
これから会う鍛冶師――ドルガンは八十代。
しかも、ドワーフとしてはまだ若い方なのだそうだ。
「八十代か。なんじゃ、年下ではないか」
「…………」
アリエルとサラが揃って儂を見る。
「何じゃ?」
「いえ。先生が言うと、何も間違っていないのですが……」
見た目十歳の儂が言うと、どうにもおかしく聞こえるらしい。
アリエルは少し困ったように笑ってから続けた。
「ですが、鍛冶師としての腕はアドヴァーンでも随一です」
・・・・・・
ドルガンの工房は、職人たちが集まる一角にあった。
近づくにつれて、金属を打つ音が響いてくる。
カァン。カァン。カァン。
店へ入ると、むっとする熱気が身体を包んだ。鉄と炭の匂いが鼻をつき、壁には剣や斧、槍、鎚、それに見たことのない武器まで並んでいる。
その奥に、一人の男がいた。
背丈は低いが、身体は分厚い。太い腕に節くれ立った指、豊かな髭。前掛けには、いくつもの焦げ跡が残っていた。
なるほど。いかにもドワーフだ。
ドルガンはこちらを見ると、太い眉を寄せた。
領主の娘に女性騎士、十歳ほどの子供。それに、角の生えた灰色の猫。
なんとも妙な一行だろう。
胡乱げな目になるのも無理はない。
「アドヴァーン家のお嬢様」
ドルガンはアリエルへ軽く頭を下げた。
「朝っぱらから、こんなむさ苦しいところへ何の用です?」
口調は無骨だが、最低限の礼儀は持ち合わせているらしい。
「今日は私ではありません。こちらのマコト先生が、ドルガンにお願いがあるそうです」
「先生?」
ドルガンの視線が儂へ向いた。
頭から足まで、じろりと眺める。
「……この坊主が?」
「そうです」
アリエルが、失礼は許しませんよ、とでも言いたげな目を向ける。
「ふうん」
ドルガンは気にした様子もない。
どうやら、気難しいことで有名という話は本当らしい。
まあ、職人というものはこれくらいでよい。
「お初にお目にかかる。儂はマコト・イエローという者じゃ」
「ドルガンだ。それで坊主、俺に何を作らせたい?」
儂の老人言葉にも反応せん。
話が早くて助かるわ。
「鍼を作ってほしいんじゃ」
「ハリ?」
当然、そこからになる。
「儂のいた世界で、治療に使っていた道具じゃよ」
「治療道具なのか?」
「うむ。非常に細くて小さいものじゃがの」
今回は実際に作ってもらわねばならない。
口だけで説明するより、見せた方が早いと思い、昨夜のうちに紙へ簡単な図を描いておいた。
懐から取り出し、作業台へ広げる。
細長い一本の鍼。先端、鍼柄、横から見た形。それに、実際に手で持った時の様子も描いてある。
簡単なものではあるが、必要な寸法も書き込んでおいた。
ドルガンが紙を覗き込む。
「……見事なもんだ。お前、絵の先生か何かか?」
アリエルとサラも気になったようで、横から覗き込んできた。
「わぁ! 本当に上手ですね!」
アリエルが素直に褒めてくれる。
「この鍼を持っている手なんて、まるで生きているみたいです」
サラまで感心したように言う。
「……ま、まあ、ほんの手慰み程度じゃがの」
アリエルが、くすりと笑った。
「先生がそんなふうに照れているところ、初めて見ました」
「そうしていると、マコト殿も見かけ通りの子供に見えますね」
サラまで、にやにやしながらこちらを見ている。
やかましいわ。
「まあいい。おかげで言いたいことは分かった」
ドルガンは図を指差した。
「どれくらいの細さが必要なんだ?」
「髪の毛くらいじゃな」
「……そんなに細いのか」
「うむ」
日本では、髪の毛より細い鍼を使うこともあった。
ドルガンはしばらく図と儂を見比べた。
「それで、先端は?」
「松葉のような形がよい」
「マツバ?」
「そうか。こちらではまだ松を見とらんな」
紙へ描き足す。
一本の細い葉を描き、その形を説明しながら鍼尖を示した。
「こういう形じゃ。先端へ向かって、滑らかに細くなっていく」
「釘みたいに尖らせりゃいいってもんじゃないのか」
「その通りじゃ」
ここは重要なところだ。
「人の皮膚へ入れるものじゃからな。できるだけ組織を傷つけず、痛みも少なく入れたい。そのためには、鍼先の形も、表面の滑らかさも大切なんじゃ」
ドルガンの顔が少し変わった。
最初は、子供の戯言でも聞くような顔だった。
今は違う。
紙を手に取り、じっと見つめている。
「なるほどな。言いたいことは分かる」
図を指でなぞりながら、ドルガンが唸る。
「だが、こいつはちと難しいぞ」
「やはりか」
「金属ってのは、細くすりゃそれだけ折れやすくなる。だからって柔らかい金属にすりゃ、今度は先端を保てねえし、曲がりやすくもなる」
「うむ。それはよく分かる」
「しかも、これだけ細い線を均一に作るとなると、うちの設備じゃ厳しい」
「そうなのか」
「王都の細工師なら、やれる奴がいるかもしれんがな」
どれももっともだ。
無理だからといって、職人の腕が悪いとは思わない。
必要なのは腕だけではない。道具も設備も素材も、それぞれ揃って初めて作れるものがある。
むしろ、このように出来ないものは出来ない、と言ってくれたことで、ますますこの鍛冶師のことが気に入った。
それに――問題は、鍼そのものだけではない。
「もう一つ、課題があるんじゃ」
「あ?」
「衛生じゃよ」
「エイセイ?」
「その鍼を人の身体へ刺し入れる以上、清潔にしておかねばならん」
「それは当然だな」
使用した鍼には、血液や体液が付着することもある。
地球にいた頃なら、滅菌済みの使い捨て鍼を使えばよかった。だが、この世界には当然そんなものはない。
昔のように鍼を繰り返し使うなら、そのたびにきちんと処理する必要がある。
煮沸だけでは、十分とは言えん。
本当なら、高圧蒸気滅菌――オートクレーブが欲しいところだが。
「……無理じゃな」
「何がだ?」
「すまん。こちらの話じゃ」
オートクレーブを一から作れと言われても、もちろん儂には作れん。
使い方は知っている。
原理も、おおよそのところは分かる。
しかし、それを一から説明しろと言われると、かなり怪しい。
ましてや、患者へ使う医療器具を滅菌するための装置だ。
曖昧な知識だけで作る気にはなれなかった。
命に関わることだ。
適当にはできん。
そこまで考えたところで、ふと気づいた。
何も、今すぐ毫鍼にこだわる必要はないではないか。
「……そうか」
「今度はなんだ?」
「いや。儂が頭を固くしておった」
鍼と聞けば、普段使い慣れた毫鍼ばかりを考えていた。
毫鍼というのは、現代の鍼灸で広く使われている、細く長い鍼のことだ。
皮膚へ刺し入れ、ツボや身体の状態に応じて刺激を加える。
儂にとっては、長年使い続けてきた最も馴染み深い鍼でもある。
だが――鍼というものは、毫鍼だけではない。
古代の医学書『黄帝内経』に記された九鍼には、毫鍼のほかにも、用途の異なるさまざまな鍼がある。
刺すものもあれば、刺さずに使うものもある。
その中に――。
「鍉鍼があった」
「テイシン?」
「刺さない鍼じゃ」
ドルガンの眉間に皺が寄った。
「……刺さねえのか?」
「そうじゃ」
「意味が分からん」
「カカッ。そうじゃろうな」
鍉鍼は皮膚へ刺し入れず、経穴などへ触れたり押し当てたりして刺激する。
それもまた、立派な鍼治療だ。
今の儂には指圧がある。気功がある。朧による灸もある。
そこへ鍉鍼が加われば、治療の幅は大きく広がる。
しかも皮膚へ刺し入れないのであれば、少なくとも今の段階で、毫鍼と同じ衛生上の問題を抱える必要はない。
もちろん、清潔に扱う必要はある。だが、これなら今のこの街でも十分に運用できるはずだ。
「それなら、もっと太くても構わん。先端も皮膚へ刺さらぬよう、丸く滑らかに仕上げればよい」
ドルガンが腕を組んだ。
「それくらいなら、俺でも作れそうだ」
「ほう!」
思わず身を乗り出した。
「素材は、どういうものがある?」
「用途次第だな。鉄でも作れる。銀でもいい。だが……」
ドルガンが儂を見る。
「その鍼ってやつに『魔力』を通すんだろ?」
「必要に応じてな」
儂にとっては、気だが。
「だったら、一つ面白い金属がある」
ドルガンはそう言うと、工房の奥へ入っていった。
しばらくして、ドルガンは小さな金属片を手に戻ってきた。
銀に似ている。
だが、どこか違う。
光の反射の加減だろうか。表面だけではなく、内側からごく淡い光を宿しているようにも見える。
「ミスリルだ」
「みすりる」
これが。異世界へ来てから、何度か耳にした名前だ。
「魔力の伝達が、ずば抜けていい」
ドルガンは金属片を作業台へ置いた。
「魔法使いの杖や、魔力を通して使う武器なんかに使われる。軽くて丈夫だ。それに魔力をよく通すから、使い手次第で性能が大きく変わる金属だ」
「ほう……」
それは面白そうだ。
「ただし、恐ろしく高いぞ」
「それは困るのう」
「剣一本まるごとミスリルなんぞで作れば、洒落にならん値段になる」
だが――鍉鍼なら?
使う金属の量など、たかが知れている。
「最近は、いいミスリルがなかなか出回らねえんだが、こいつは最高級だぞ」
「そうなのか?」
「ああ。ミスリルが採れるミストリアでも、流通がかなり減っているらしい」
ふむ……。たしか、ミスリルはダンジョンの中でしか採れないんだったな。
少し気になるが――今は目の前のミスリルだ。
「触ってもよいか?」
「ああ」
儂はミスリルを手に取った。
「……軽いのう」
見た目から想像したより、ずっと軽い。
金属としては、不思議なほどだ。
だが、驚いたのはそれだけではなかった。
「……?」
掌の中に、かすかな感触がある。
気――。いや、違う。
「これは……魔力か?」
ごくわずかだが、金属そのものに魔力が宿っているように感じる。
鉄にも銅にも、こんな感触はなかった。
「ほう……」
儂はもう一度、ミスリルを掌の上で転がした。
「他の金属にはない性質じゃな」
試しに、ごくわずかな真気を流してみる。
「……ほほう」
驚いた。抵抗が、ほとんどない。
気というものは、人の身体には実によく通る。それに負けぬほど、するりと通っていく。
真気が金属の中へ入り、そのまま端まで抜けていく。
それどころか、流しているうちに、金属を握っているという感覚すら次第に薄れていった。
手の中に異物があるのではない。
まるで、自分の指がそのまま少し長くなったような――そんな感覚だった。
「これは……」
思わず笑みがこぼれる。
「ええのう」
「分かるのか?」
「うむ」
もう一度、真気を流す。
やはり、気持ちがいいほど素直に通る。
まるで、自分の身体の一部になったようだ。
面白くて、ついつい何度も試したくなる。
「これじゃ」
「決まりか?」
「ああ」
儂はミスリルを作業台へ戻した。
「この金属で、鍉鍼を作ってくれ」
ドルガンの口元が、わずかに上がった。
「面白え」
どうやら、この男も少しその気になってきたらしい。
ありがたい。
「どんな形にする?」
「まずは長さじゃな。それから太さと、先端の丸み――」
儂は紙を引き寄せる。
ドルガンも身を乗り出した。
いつの間にか、アリエルたちのことを半ば忘れていた。
鍼灸師と鍛冶師。
生きてきた世界も、種族も、年齢も違う。
だが、いいものを作りたいという気持ちは同じらしい。
ようやく。
本当に、ようやくじゃ。
この世界へ来た時、儂の手には何もなかった。
鍼もなければ、灸もなかった。
そこからヨモギを見つけ、朧という艾を作った。
そして今――異世界の金属から、新しい鍼が生まれようとしている。
これが完成すれば、鍼と灸。
ようやく、この世界でも二つが揃う。
儂は作業台の上のミスリルを見つめた。
「楽しみじゃのう」
異世界へ来て初めて。
儂は再び、自分の手に「鍼」を取り戻そうとしていた。




