第42話 十歳の老鍼灸師に襲いかかる辺境騎士団
ロイズに稽古をつけてから、さらに一時間以上。
儂は、次から次へと向かってくる騎士たちを投げ飛ばし続けていた。
最初のうちは、まだ騎士団の方に遠慮があった。
見た目は十歳ほどの子供なのだから、無理もない。いくらロイズが手も足も出なかったとはいえ、本気で武器を振るうことには抵抗があったらしい。
だが、一人、また一人と地面へ転がされていくうちに、そんな遠慮は綺麗に消えた。
「次、俺が行く!」
「待て、二人で行こう!」
「左右から挟め!」
「槍を使え! 剣より間合いが長い!」
「おい、それは卑怯じゃないのか!?」
「勝つために最善を尽くすんだ!」
「一人ずつまともにやって勝てるわけねえだろ!」
いいぞ。殺す気で来い。
儂の頭を目掛けて、剣が走る。
刃が届く直前に軌道から外れ、すれ違いざまに手首を取った。その勢いを殺さぬまま身体を返す。
「うわっ!」
騎士の身体が、くるりと宙を舞った。
次は槍の鋭い穂先が胸元へ伸びてくる。
わずかに逸らし、そのまま懐へ入る。肩へ手を添え、重心を崩す。
それだけで、相手の身体は前へ泳ぐように浮き上がった。
二人同時。次は三人。
前後から挟む者もいれば、左右から同時に打ち込んでくる者もいる。
一人ずつでは敵わぬと分かるや、今度は連携を使い始めた。
なるほど。ここからが騎士団の本領というわけか。
さらに魔力の使い方まで変わってくる。
脚へ魔力を集中させ、一気に速度を上げる者。全身へ巡らせ、力そのものを増す者。武器へ魔力を通し、威力を高める者。
「はあああっ!」
細身の剣を持った騎士が踏み込んできた。
一突き。二突き。三突き。ほとんど間を置かず、三本の刺突が重なって見える。
ほう、一瞬の三段突きか。まるで沖田総司じゃな。
ボッ、ボッ、ボッ!
三つの切っ先が、儂の残像を立て続けに貫いた。
「速くなったぶん、動きが雑になっとるぞ」
「なっ――」
最後の一突きを紙一重で外し、そのまま剣の内側へ潜り込む。
首筋へ、そっと手を添える。
ほんの少し重心をずらしただけで、騎士の身体が後ろへ崩れた。
「グェッ!」
背中から地面へ落ちる。
その直後。儂が攻撃のために足を止める瞬間を狙っていたように――。
ブオンッ!
頭上から槍の柄が唸りを上げて振り下ろされた。
魔力で力を上乗せしているようだ。長い槍を、まるで小枝のように振り回しておる。
じゃが――槍の勢いに、身体まで引っ張られておるな。
「もっと腰を落とせ!」
振り下ろされるより先に踏み込み、槍ではなく手首を取る。
「なんだとっ!?」
そのまま足を払った。
支えを失った騎士の身体が、その勢いのまま前方へ飛んだ。
「うわあっ!」
ごろごろと地面を転がっていった。
さあ次だ。どんどん来い。
「肩が上がっておるぞ!」
「くそっ!」
「脇を締めろ! そこが開いておる!」
「分かって――うわっ!」
また一人、宙を舞った。
「は、速い……なんだ、あの速さは。まさか“雷鳴”様より……」
「バカ! そんなわけあるか!」
「いや、でも今の動き見ただろ?」
「“雷鳴”様は別格だって。あの人と比べるな」
少し気になる名前が聞こえたな……“雷鳴”じゃと?
その時、背後から気配が近づいた。
女性騎士のサラだ。
足音がほとんどない。
気配を抑えたまま、儂の死角へ滑り込んでくる。
騎士というより、忍びのような動きじゃな。あるいは、獲物へ飛びかかる直前の獣か。
儂は振り向かず、半歩だけ位置をずらした。
次の瞬間、腕が伸びてくる。
短めの剣だ。しかも、反対の手にも同じものを握っている。
双刀使いか。
伸びてきた腕を取る。
「ええ動きじゃ。じゃが――」
「え――」
「攻撃する瞬間の気配が強すぎる。かわしてくれと言っておるようなもんじゃ」
「うわっ!?」
そのまま崩すと、サラまで地面へ転がった。
気がつけば、訓練場のあちこちで騎士たちが倒れている。
それでも、少し休めばまた立ち上がってくる。
いい。実にいいぞ。
儂も、だんだん楽しくなってきた。
「なんじゃ、もう終わりか?殺す気で来い!死ぬ気で来い!」
「言ったな!」
「今度こそ捕まえるぞ!」
「カカカカッ!」
とうとう笑い声まで出た。
いつの間にか、稽古というより祭りの喧嘩のようになっていた。
騎士たちの顔つきも、だんだん険しくなっている。これはもう、少し殺気立っておるな。
とはいえ、本気で怒っているわけではない……はずだ。
きっと、悔しいのだ。
自分より遥かに小さな子供へ、本気で打ち込んでいる。魔力まで使い、しまいには複数人で襲いかかっている。
それなのに、触れることすらできない。
「くっそおおお!」
大柄な騎士が突っ込んでくる。
「ほら、どうした!」
その勢いを利用して転がす。
「うおおおっ!」
すぐに起き上がり、また突っ込んでくる。
なかなか根性があるな。
「力むな! 力むから動きが読めるんじゃ!」
正面から受け止めず、身体を開いてその力を流す。
すれ違いざまに腕と背中へ手を添える。それだけで、大男の重心が前へ崩れた。
「うわっ!」
勢いのまま、前方へゴロゴロと転がっていく。
その様子を見ていたロイズが、地面へ座ったまま、呆れたように呟いた。
「……勝てる気がしねえ」
隣の騎士も肩で息をしている。
「な、なんなんだ、あの技……」
「こっちは魔力まで使って速度を上げてるんだぞ」
「いくら攻撃しても、触られたと思ったら、もうぶん投げられてる」
「なのに、力ずくで投げられた感じがないんだ」
年嵩の騎士が、悔しそうに、それでもどこか感嘆したような声で言った。
「あの少年……俺たちが怪我をしないように投げている」
それを聞いた騎士たちが、驚いたように周囲を見渡す。
「……たしかに、誰も怪我していない」
「嘘だろ。そこまで余裕があるのかよ!」
「くそっ、一体何者なんだ」
「俺が一泡吹かせてやる!」
「バカ、やめとけ。お前、まだ足がフラフラだぞ」
「うるせえ! このまま黙って見てられるか!」
ほお。まだ元気そうではないか。
口ではいろいろ言っておるが、全員どこか楽しそうだった。
儂も楽しい。
武術とは、本来こういうものでもある。
強くなるため。自分を守るため。誰かを守るため。
もちろん、それも大切だ。
だが、身体というものは、それ自体が面白い。
昨日までできなかったことが、今日はできるようになる。
知らなかった身体の使い方を知る。相手と触れ合い、崩し、時には自分が崩され、そこからまた学んでいく。
そうして、自分の身体のことが少しずつ分かってくる。
出来ることも、少しずつ増えていく。
その過程そのものが、楽しいのだ。
「次!」
儂が手招きすると、すぐに何人もの声が上がった。
「俺だ!」
「いや、今度は俺が!」
「三人で行くぞ!」
「来い来い!」
騎士たちが一斉に構えた。
その時だった。
「先生ー!」
訓練場の端から、アリエルの声が飛んでくる。
儂は振り返った。
「なんじゃー?」
「もう、そろそろ時間です!」
そういえば、鍛冶屋へ行くのだったな。
あらためて周囲を見渡す。
訓練場のあちこちに騎士が転がり、肩で息をしている者もいれば、腰を押さえている者もいる。悔しそうにこちらを睨んでいる者までいた。
それでも全員、まだやりたそうな顔をしている。
「もうそんな時間か」
「一時間以上やっています!」
「そんなにやっとったか?」
夢中になっていて、まるで気づかなかった。
「先生が一番楽しんでいたではありませんか」
アリエルが呆れた顔をしている。
「そうかの?」
「そうです。途中から大笑いしながら投げ飛ばしてましたよ」
まあ、否定はせん。
そこへガイルが歩いてきた。
「マコト殿、今日はありがとうございました。皆にとって、良い訓練、良い気づきになったと思います」
そういえば、ガイルとはまだ手合わせしていなかったのう。
「あなたも、やりなさるか?」
儂がそう声をかけると、ガイルは一瞬だけ顔を引き締めた。
それから、わずかに笑う。
「……いえ、私は」
「そうか」
儂も、それ以上は勧めなかった。
ガイルはそのまま、騎士たちへ視線を戻した。
儂も訓練場を見渡す。
せっかく太極拳を教えるために集まってもらったのだ。
投げ飛ばされただけで終わっては、さすがに申し訳ない。
「では最後に、少しだけ太極拳をやるか」
「太極拳だと……」
ロイズが立ち上がった。
「今の技を教えてくれるのか?」
「今のような技を使えるようになるためにも、まずは太極拳から始めるんじゃ」
今日使った技が、すべて太極拳というわけではない。
じゃが、太極拳を続けることで、身体の使い方そのものが変わっていく。いわば、技を身につけるための器を作るようなものだ。
「どういうことだ?」
騎士たちがざわつく。
「技の形だけ真似しても、使えるようにはならん」
まずは立つこと。
身体を緩めること。
呼吸を整え、自分の重心を知ること。
そして、自らの身体を巡る豊かな気に気づくこと。
そこからだ。
「技を入れるには、それを受け止められる身体が必要じゃ。その身体を作るのに、太極拳は実にええぞ」
もっとも、今日はもう時間がない。
難しい話は、また後でよい。
「まずは見よう見まねでええ。やってみるといいわい」
儂は騎士たちの前へ立った。
アリエルが嬉しそうに、そのすぐ後ろへ並ぶ。
ガイル、ロイズ、サラも近寄ってきた。
先ほどまで儂へ剣や槍を振るっていた者たちも、ぞろぞろとその後ろに列を作る。
ついさっきまで殺気立って襲いかかってきた騎士たちが、今度は神妙な顔で儂の背中を見ている。
なんとも妙で平和な光景だ。
だが、悪くない。
「では、始めようかの」
足を肩幅ほどに開き、膝を緩める。
肩の力を抜いて呼吸を整え、ゆっくりと両腕を上げていく。
儂が何十年、何万回と繰り返してきた動きだ。
その後ろでは、三十人ほどの騎士たちが、ぎこちなく同じ動きを真似ている。
剣を握れば強者である者たちが、ただ腕を上げて下ろすだけの動きに悪戦苦闘していた。
「力を抜け」
何人かの肩が下がる。
「もっとじゃ」
「これでもですか!?」
「ガチガチじゃぞ」
「剣を振るより難しいぞ、これ……」
あちこちから困惑の声が上がった。
儂は笑いながら、騎士たちを見渡す。
「カカッ。そうじゃろう、そうじゃろう」
力を入れることを覚えてきた者ほど、力を抜くことは難しいのかもしれん。
民や味方を守るため、ひたすら鍛えてきたのだろう。
だが、今まで身につけてきたものを捨てる必要などない。
速さも、筋力も、魔力も、そのままでいい。
そこへ、新しい身体の使い方を一つ知って欲しいのだ。
この者たちは、きっと強くなる。
儂はゆっくりと腰を沈めた。
騎士たちも、それを真似て身体を沈めていく。
朝の光が差し込む、異世界の城の訓練場。
アリエルと騎士たちとの、これが初めての太極拳だった。




