第41話 跳ねっ返りのロイズ
「かかってこい、だと……?」
若い騎士ロイズの眉がぴくりと動いた。
「このガキ、ふざけやがって!」
「おい!」
騎士団長ガイルの怒声が飛ぶ。
「まあ待て」
だが、儂は片手を上げて制した。
ロイズは腰の剣へ手をかけた。
「先に言っておくぞ。多少の怪我は覚悟しろよ」
「何を言っとるんじゃ」
「あん?」
「殺す気で来い」
訓練場が、しんと静まり返った。
「……先生?」
アリエルが、何をするつもりなのかと少し不安そうに声をかけてくる。
「心配せんでよい」
ここにある武器は、どれも訓練用だ。剣も槍も斧も、刃は潰してある。
とはいえ、鉄の塊であることに変わりはない。魔力で身体を強化した騎士がまともに振るえば、普通の人間なら骨の一本や二本は簡単に砕けるだろう。
それでも、手加減されては儂もこの者たちの実力が分からない。
「マコト殿。本当によろしいのですか?」
ガイルが低い声で尋ねる。
「構いませんぞ」
儂はアリエルを見る。
「アリエル、すまんな。今日はちょっと見学しておいてくれ。このあとで、ちゃんと太極拳をやろう」
アリエルはため息をついたあと、仕方なさそうに頷いた。
「はい、先生。……やりすぎないでくださいね」
「儂をなんだと思っとるんじゃ」
「ゴブリンの群れを一人で殲滅した方です」
「む……」
儂が答えに詰まると、周囲から小さな笑いが漏れた。
さっきまで張りつめていた空気が、わずかに緩む。
ただ一人、ロイズだけは笑っていなかった。
青筋が浮かんでおるぞ。
「……舐めやがって」
剣を抜く。刃を潰した訓練用とはいえ、十分に重そうな長剣だ。
同時に、ロイズの身体から白い魔力が立ち上がった。
脚から腰、背中、肩、腕へと滑らかに巡っていく。どうやら身体能力そのものを底上げしているらしい。
なるほど。やはりこやつ、面白いな。
態度は荒々しいくせに、魔力の練り方は実に滑らかだ。日々、かなりの修練を己に課しているに違いない。
「それでは――」
ガイルが二人を見比べ、一瞬ためらってから右手を振り下ろした。
「始め!」
「いくぞ!」
ロイズが剣を構える。
儂は――歩いた。
すたすたと、ただ普通にロイズへ向かっていく。
「……え?」
誰かが声を漏らした。
速くはない。走ってもいないし、鋭く踏み込んだわけでもない。
ただ、歩いているだけだ。
子供の足で、わずか数歩。
それだけで、間合いが消えた。
「なっ――」
ロイズの反応が遅れた。
人は、派手な動きには反応できる。
肩が動く。腰が沈む。脚へ力が入る。殺気が立つ。
何かをしようとすれば、身体には必ずその予兆が現れる。
だが、儂はただ歩いている。
攻撃するとも、避けるとも決めた気配を身体に出していない。
だから、相手の意識に引っかからない。
気づいた時には、もう間合いの内側にいる。
「くそっ!」
ロイズが慌てて剣を振りかぶった。
遅い。
しかし、振り下ろす速さはなかなかのものだ。思い切りがいい。太刀筋もいい。
そして、子供の姿の儂に対しても手加減がない。
――いや。無意識なのだろうが、急所だけは外しておる。
さんざん煽ってやったというのに、甘いことだ。
戦う者としては甘いが、それがこやつの本性なのだろう。男としては、なかなか悪くない。風体はチンピラだが。
儂は半歩間合いを詰め、振り下ろしてくる手を取った。
力はいらない。
相手がすでに力を出しているのだから、その力をほんの少し導いてやればいい。
腰を回し、軸を変え、重心を落とす。
「ほい」
「うわっ!?」
ロイズの身体が宙を舞い、ドサッと背中から地面へ落ちた。
再び、訓練場が静まり返る。
「な……」
ロイズ自身が、一番何が起きたのか分かっていないようだった。
新陰流の「転」を、儂なりに応用した技だ。
儂はこれを、「流転」と呼んでいる。
儂は少し離れ、そのまま待つ。
「どうした?」
「……っ!」
ロイズが跳ね起きた。
「まだだ!」
「うむ」
いいぞ。そうこなくてはな。
今度は先ほどより慎重だ。剣を構え、儂との間合いを測っている。
「はあっ!」
鋭い踏み込み。先ほどより速い。魔力も、さらに強く使ったな。
剣が儂の肩口へ入った――はずだった。剣がずるっとすり抜ける。
「……なにっ!?」
だが、ロイズの剣が斬ったのは、儂の残像だけだった。
「後ろじゃ」
「なっ――!」
ロイズが振り返る。
「今のだ!」
騎士の一人が叫んだ。
「あの動きだ! ゴブリン相手にやっていたのも、あれだ!」
「残像だと!?」
「消えたように見えたぞ!」
「幻術じゃないのか!?」
「いや、魔法ではない! 技なんだ!」
「だが、どうやっているかが分からんぞ!?」
周囲が一気にざわめき始めた。
ゴブリン戦に参加した者たちは、これが見たかったようだ。あの場にいなかった者たちは、話には聞いていても、半信半疑だったのだろう。
さらに皆のやる気が出たようで結構。
ロイズの顔が険しくなる。ギリリと奥歯を噛み締める音が、こちらまで聞こえてきそうだ。
怒るのは構わんが、力んではいかんな。
「くそっ!」
再び剣が振るわれる。
横薙ぎには半歩内へ入り、返す剣には肩を沈める。さらに追ってくれば足を運び、刃の軌道からするりと外れる。
ロイズの剣だけが、儂のいた場所を次々と斬っていく。
斬ったと思った時には、もうそこにはおらん。
ただ速く動くだけでは、こうはならない。
中国武術には、相手の攻撃線からわずかに身を外し、自分の中心を崩さずに動くための足運びや身体操作がある。
肩や腰に余計な予備動作を出さず、体の内側の筋肉を使い、全身をつなげて動く。
その積み重ねが、相手から見れば「消えた」ような動きになるのだ。
焦りから、ロイズの剣が次第に大振りになってきた。
「それでは、避けてくれと言っておるようなものじゃぞ」
「誰が言うか!」
「そういう意味ではない。大振りになっておるぞ」
「うおおおっ!」
ロイズが剣を振り下ろす。
儂はその力へ逆らわず、手首へ触れて肘を導き、そのまま一歩入った。
ロイズの身体が宙を舞う。
「ほい」
ドサッ!
「ぐっ!」
また地面へ転がる。
だが、すぐに立つ。そして、また来る。
次は横から。今度は踏み込みを深くし、さらに魔力まで強めてくる。
そのたびに儂は攻撃をかわし、体勢を崩し、地面へ転がした。
何度目だったか。
「まだ……!」
ロイズは膝をつき、剣を杖代わりにしながら、それでも立とうとしていた。
「まだ……やれる……」
技は粗い。力にも頼りすぎる。熱くなれば視野も狭くなる。
だが――いいではないか。
「なかなかいい根性をしとるの」
「……当たり前だ……!」
ロイズは、もう一度立ち上がろうとした。
しかし、さすがに脚へ力が入らず、そのまま尻餅をつく。
「くそ……」
「もうよい」
「まだ……」
「立てんじゃろう?」
「くそっ……!」
実に悔しそうだ。
生意気で、跳ねっ返りで、年長者に対する口の利き方も知らん。
だが、こういう若者は嫌いではない。
儂はロイズの前まで歩き、手を差し出した。
「いいものを持っとるぞ」
「……慰めか?」
「儂は、そんな面倒なことはせんよ。力もある。速さもある。根性もある。ただ――身体の使い方には、まだまだ伸び代がある。それだけじゃ」
ロイズが顔を上げる。
「覚えれば、もっと強くなれるぞ」
ロイズは黙って儂の手を見つめた。
やがて、その手を掴む。
儂はロイズを引き起こすと、訓練場の中央へ戻った。
周囲の騎士たちの目が、先ほどまでとは明らかに変わっている。
疑いは消えていた。
代わりに浮かんでいるのは、驚きと興奮。そして、戦う者ならではの好奇心だ。
いい目になってきた。
「さて。次じゃ」
騎士たちがざわつく。
「まだやるのですか?」
ガイルが尋ねた。
「もちろんじゃ。一人だけでは分からんじゃろ」
それに、儂もまだこの騎士団の実力を十分に見ていない。
剣だけではない。
槍ならどう使うのか。斧ならどうか。複数で来た時にはどう動くのか。魔力をどこまで身体へ巡らせられるのか。
知りたいことはいくらでもある。
儂は騎士たちを見渡し、ニカッと笑った。
「さあ、どんどんかかってこい!」
その瞬間――騎士たちの目の色が変わった。




