第40話 老鍼灸師、ちょうどよい相手を見つける
まだ街が完全に目を覚ます前。
儂が城の訓練場へ向かうと、そこには思っていたよりずっと多くの人間が集まっていた。
「…………多いのう」
アリエルに、団長のガイル。女性騎士のサラもいる。
それだけではない。
二十人――いや、三十人近くいるか。
若い者もいれば、年季の入った者もいる。腰に剣を下げた者、槍を持つ者、弓を背負った者までいた。
どうやら話を聞きつけて集まってきたらしい。
「先生!」
アリエルがこちらへ駆けてくる。
「おはようございます!」
「うむ。おはよう」
ずいぶん張り切っている。
昨日まで病人だったとは思えないほど顔色もよく、足取りも軽い。
まずは一安心じゃな。
「マコト殿、おはようございます。本日はよろしくお願いします」
騎士団長のガイルが頭を下げる。
「ガイル殿、こちらこそよろしく頼みますぞ」
儂は集まった騎士たちを、あらためて眺めた。
いい騎士団だ。
それは旅を共にした時から感じていた。
規律があり、士気も高い。領主への忠誠も厚く、何より仲間を守るために命を張れる。
ゴブリンに襲われた時、見知らぬ子供にしか見えなかった儂を逃がそうとしてくれたこともそうだ。
個々の身体能力も高く、戦う者として十分に鍛えられている。
ただし、戦いの技術については――まだ粗い。
この世界へ来てから、何度か戦いを見る機会があった。剣や槍、斧、弓、それに無手。地球にも似たような武器や技術はあったが、身体操作という点だけで比べれば、この世界の武術はかなり未発達に見える。
その理由も、なんとなく分かってきた。
ひとつは、魔力だ。
この世界では、魔法を使えない者であっても魔力を持っている。
そして戦士たちは、その魔力を身体へ巡らせることで、筋力や速度、耐久力、反応速度といった身体能力そのものを底上げできる。
便利なものだ。便利すぎる、と言ってもいい。
地球では、人間の身体能力にはどうしても限界があった。
だからこそ、どう立つか、どう重心を移すか、どこから力を出すか。相手の力をどう受け、どう逸らし、どう崩すか。さらに、小さな力で大きな相手を動かすにはどうすればよいのか。
長い年月をかけて、驚くほど熱心に工夫を重ねてきた。
だが、この世界では足りないものを魔力で補える。
遅いなら速くすればいい。力が足りないなら強くすればいい。
それが、本当にできてしまう。
そして、もうひとつ。
この世界では、魔物という脅威があまりにも身近にある。
いつ襲われるか分からない相手がいて、実際に命を奪われる者もいる。そんな中で、何年、何十年とかけて身体の使い方を練り上げていく余裕など、なかなか持てないのだろう。
今日を生き延びるためには、時間をかけて技を磨くより、すぐに使える力の方が必要になる。
そう考えれば、この世界の武術が地球とは違う形に発展したのも不思議ではない。
「もったいないのう」
つい、思いが口からこぼれた。
力はある。速さもある。身体そのものは、ずいぶん恵まれておる。
それなのに、持っているものをまだ十分に活かし切れておらん。
逆に言えば――伸び代があるということだ。それも、ものすごく。
身体の使い方そのものを変え、そのうえで、これまで力や速さを引き出すために使ってきた魔力を、もっと精妙に扱えるようになれば。
この騎士団は、相当に強くなる。儂にも予想できないほど、化けるかもしれん。
「先生?」
アリエルがこちらを覗き込む。
「どうなさいました?」
「いや」
儂は笑った。
「面白くなりそうじゃと思ってな」
とはいえ、今日は鍛冶屋へ行く予定もある。鍼の話をせねばならんから、朝から何時間も稽古するわけにはいかない。
さて、何から教えたものか。
立ち方か。呼吸か。放鬆か。気功から始めるか。それとも――。
「おいおい!」
そうして今日の予定を考えていると、荒々しい声が飛んできた。
「なんだ、この小僧は!?」
訓練場が静かになった。
一人の騎士が、こちらへ歩いてくる。
若い。二十歳そこそこだろうか。
鍛えられた身体に鋭い目。立ち方を見るだけでも、それなりに腕が立つことは分かるし、魔力の巡りも強い。
それに、いかにも跳ねっ返りという顔をしておるわ。
この騎士団にも、こんなチンピラみたいな男がいたんじゃな。
「ロイズ!口を慎め!」
ガイルの叱責の声が飛んだ。
「ですが団長!」
若い騎士は全然納得していない。
「昨日戻ってきた連中が、やたらと騒いでいたから何事かと思えば――」
儂をピシッと指さす。
「こんな子供に、俺たちが武術を教わるんですか!?」
「ロイズ、やめなさい!」
アリエルが声を上げた。
「先生に失礼です!」
「先生?」
若い騎士の眉が、ますます寄る。
「アリエル様まで、何を言って――」
「よいよい」
儂は片手を上げた。
「先生、申し訳ございません」
アリエルが頭を下げようとするのを止める。
「構わんよ」
むしろ当然の反応だ、とすら思う。
儂だって逆の立場なら疑う。
昨日まで見たこともない十歳ほどの子供が現れて、突然「武術を教える」と言い出したのだ。
はい、そうですかと頭を下げる方がおかしい。
まして、この者たちは戦うことを仕事にしている。命を預ける技術なのだから、実力の分からぬ者から教わりたくないと思うのも無理はない。
それに――ちょうどよいかもしれん。
儂は心の中で、またニヤリと笑った。
今日は時間がそれほどない。一から太極拳を教えたところで、何がどう違うのかを実感するところまではいかないだろう。
ならば先に、力と速さだけではないもの――精妙な技というものを、身体で味わってもらった方が早い。
できれば、こやつ一人だけではなく───全員に。
「ガイル殿、この者は騎士団の中ではどの程度の腕ですかな?」
「……上位です」
ガイルは渋い顔で答えた。
「ロイズと申します。若いですが、実力だけなら十分に優秀です」
「ほう」
やはりな。
立ち姿に力があるし、魔力の巡りも悪くない。
これは本当に都合がいい。
「先生?」
儂が笑ったのに気づいて、アリエルが不安そうにこちらを見る。
「なあに。少し稽古をするだけじゃ」
儂はロイズの前へ歩いた。
相手がこちらを見下ろしてくる。
身体の大きさがまるで違うので当然だ。儂は今、十歳ほどの子供なのだから。
正直なところ、儂自身も知りたかった。
この世界の騎士が、どれほど強いのか。魔力で身体を強化した人間が、どれほどの力と速度を出すのか。
そして、地球で長い年月をかけて磨いてきた身体の使い方が、この世界の人間を相手にどこまで通じるのか。
やっぱり、一人だけでは足りんな。
儂は訓練場を見渡した。
集まった騎士たちと、次々に目が合う。
「せっかく皆さん集まってくださったのじゃ」
儂の笑みが深くなる。
「今日はまず、儂が何を教えようとしておるのか、身体で知ってもらいましょうかの」
「身体で……?」
ガイルが、何やら嫌な予感でもしたような顔をした。
儂は訓練場の中央へ歩いていく。そして、騎士たちへ向き直った。
「うむうむ。広さもちょうどええではないか」
儂は両腕を自然に垂らし、肩の力を抜く。胸を緩め、腰を沈める。
何の構えにも見えないだろう。
だが、精妙な動きというものは、まずこの「ただ立つ」ことから始まる。
目の前には、この世界でも優秀な騎士たちが並んでいる。
力もある。速さもある。さらに魔力によって、地球の人間では到底届かぬほど身体能力を高めることもできる。
だからこそ、知ってもらいたい。
強くなるというのは、ただ力を増すことでも、速くなることでもない。
身体というものには、まだまだ使いようがある、ということを。
「では――始めようかの。ロイズとやら、まずはおぬしからじゃ」
ニカッと笑った。
「かかってこい」




