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老鍼灸師は転生しても治さない  作者: かどやん。
第2章 辺境都市アドヴァーン

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第39話 SIDE アリエル アドヴァーンから逃さない

 マコトがこの城に滞在することになった、その夜。


 アリエルの部屋では、すっかり乾いたグレイが寝台の上に丸くなっていた。


「まだ怒ってるの?」


「ニャ」

 当然でしょ、と言いたげだった。


 アリエルは思わず苦笑する。


 マコトに風呂へ入れられたことを、相当根に持っているらしい。


 もっとも、気持ちは分からなくもない。


『汚れたままではいかん』


 おそらく、そう思って嫌がるグレイを有無を言わせず風呂へ連れていったのだろう。


 悪気などまるでない。


 グレイを綺麗にしてやろうと思っただけなのだ。


 けれど、嫌がっているのならやめよう、という考えには至らなかったらしい。


 ああいうところを見ると、アリエルは妙に納得してしまう。


「やっぱり、おじいちゃんよね……」


「ニャ?」

 グレイは、どうしたの? とでも言うように顔を寄せてきた。


 あぁ、実に可愛い。可愛すぎる。


 グレイの背中を愛おしそうに撫でながら、アリエルはマコトに初めて会った時のことを思い出していた。


 ゴブリンから助けてもらった後のことだ。互いに挨拶を交わした時、マコトは自分を九十三歳だと言った。


 見た目は十歳ほどの少年。


 それなのに、中身は九十三歳の老人で、別の世界から転生してきた。


 しかも神に会い、その神に頼まれて、この世界へ来たのだという。


 正直なところ、最初はどこまで本当なのか疑っていた。


 あまりにも話が突飛すぎる。


 だが、数日一緒に過ごしてみると――。


「……本当に九十三歳なのかもしれない」


 少なくとも、十歳の少年には見えなかった。


 頭は驚くほど切れるし、知識も豊富だ。この時点で、すでにただの十歳ではない。


 身体のことになると、この世界の誰にもついていけないほどよく知っているし、治療や気について話し始めれば、それまでとは別人のように集中する。


 そのくせ、興味のないことになると途端にひどい。


 アドヴァーンの町について説明しても、少しするとまた同じことを聞く。


 料理の名前も、地名も、人の名前もそうだ。


 何度か説明して、アリエルはようやく気づいた。


 忘れているというより――そもそも覚える気がないのだ。


「ニャ」

 手が止まってるぞ、と注意されてしまった。


「あ、ごめんごめん」

 ふふ、と笑って、また背中を撫でる。


 なんて美しい灰色の毛並みなのだろう。ずっと撫でていられる。こんな可愛い子と一緒にいられるなんて、嬉しくてたまらない。


 そうそう。

 マコトの話だった。


 興味のない話は何度聞いても忘れるくせに、アリエルが治癒魔法について書かれた本を貸した時は、まるで違った。


 受け取った途端、目の色が変わった。


 もう本しか目に入っていない。


 ページをめくり始めると、何を話しかけても上の空だ。


 夕食の時間になって呼びに行っても、『儂はいいから、食べてきなさい』の一点張りだった。


『マコト様も食べないと駄目です』


『あとで食べますわい』


『いつですか?』


『読み終わったらですな』


 とても分厚い本だった。

 返事が適当すぎる。


 アリエルが取り上げなければ、本当に食事を抜くつもりだったのかもしれない。


 それに――。


 アリエルは頭が痛くなるような気分で、こめかみを押さえた。


 マコトは、少し目を離すとすぐにいなくなるのだ。


 隣にいたはずなのに、気づけばどこにもいない。探しても見つからない。


 幸いなことに、グレイはなぜかアリエルたちに好意的だった。おそらく、一緒にいる方が快適だと思っているのかもしれない。


 アリエルたちがマコトを探していると、グレイがその居場所まで連れていってくれる。


 そして見つけたマコトは、見慣れない植物の前にしゃがみ込み、夢中になって葉や茎を眺めていたりするのだ。


 それが何度か続いてからは、騎士たちも気をつけて見張るようになった。


 それでも、何人もの騎士が周りを囲んでいるというのに、マコトはいとも簡単に抜け出してしまう。


 本人に、騎士たちを欺こうなどという意識はまるでなさそうだった。


 あの人間離れした身体能力と技術を、自分の好奇心のまま使っているだけなのだ。


 見張っていた騎士たちが泣いていた。


 だから本人には、誰かを心配させているという自覚もほとんどない。


 別にアリエルたちに置いていかれても、それはそれで構わないと思っていることが丸わかりだ。


 本当に厄介極まりない。


 結果としてアリエルが、まるで小さな弟の面倒を見るように、そばについて回ることになった。


 マコトの質問に丁寧に答えているうちに、意外に話し相手になると思われたのか、勝手にどこかへ行ってしまうことは少しずつ減っていった。


「そういうところも、ひいおばあさまと似てるのよね」


 ふと、亡くなった曾祖母のことを思い出した。


 曾祖母も相当頑固な人だった。


 一度こうすると決めたら人の話を聞かず、興味のあることに夢中になると食事まで忘れる。


 家族が心配しても、本人だけはどこ吹く風だった。


 そんな曾祖母も、アリエルにだけはとても優しく、一緒に遊んだり、話を聞いてくれたりした。


 家族からは恐れられていた曾祖母だったが、アリエルは大好きだったのだ。


 もちろん、マコトは曾祖母とはまるで違う。性格も、性別も、見た目も、何もかも。


 よく考えたら、あの頃の曾祖母よりもマコトの方が年上なのだが。


 それでも時々、目の前にいる白髪の少年を見ていると、曾祖母の相手をしていた頃の感覚が蘇るのだ。


 見た目は、自分より幼いくせに。


 背も、まだまだ小さいくせに。


「それに……私のことも、全然女の子として見てないし」


 アリエルは少しだけ頬を膨らませた。


 同年代に見える男の子から、あんなふうに扱われたのは初めてだった。


 照れもしない。意識すらしていない。 


『冷えますぞ』 


『ちゃんと食べておりますか?』


『若いうちは、よう寝た方がええですぞ』


 そんなことばかり言う。


 どう考えても、孫か曾孫を見る目だった。


 いや――あの時すでに、私は“患者”だったのだろう。


 その目に、少しイラッとすることもある。


 けれど……アリエルは自分の胸元に、そっと手を置いた。


 身体の奥を巡る魔力は、以前とは比べものにならないほど穏やかだった。


 苦しくない。息ができる。歩けるし、走ることだってできる。


 この身体を救ってくれたのは、間違いなくあの人だ。


 大地を巡る気の流れである龍脈。その気が集まる龍穴。そして、そこへ入り込んだ異質な気――蛇気。


 どうやら、その蛇気が人の身体へ入り込むと、以前の自分のような症状を引き起こすことがあるらしい。


 そして今のところ、それに対処できるのはマコトだけだ。



 だから絶対に――マコトをアドヴァーンから出すわけにはいかない。



 このアドヴァーンの地そのものが、巨大な龍穴の上にあるとマコトは言っていた。


 ならば、これから蛇気による問題が次々と起きるかもしれない。いや、おそらく、すでにどこかで起き始めているのだ。


 その問題を解く鍵となるマコトの力は、何をおいても確保しておかなくてはならない。


 しかも、問題はアドヴァーンだけに留まらない。場合によっては、世界全体に関わる問題へ発展する可能性すらある。


 なんとしてもマコトにはこの地に留まってもらい、解決策を見つけてもらう。


 そして同時に、自分もマコトから学ばなければならない。


 いつか自分自身で蛇気に対処できるようになる。できることなら、マコト一人に頼らなくても済む方法を見つける。


 今は、それしかない。


 他に解決する方法が見つかるか、自分がその役目を担えるようになるか。少なくとも、それまではアドヴァーン領にいてもらわなくては困るのだ。


 宿屋など、とんでもない。下手したら、明日にでもいなくなりそうだ。


 できることなら、このままずっと城に滞在してもらいたいくらいだ。


 おそらく、あの場にいた全員が似たようなことを考えていたはずだ。


 当のマコトを除けば。


 しかし――どうやって?


 あのマコトを、力ずくでどうにかできるとは思えない。命令したところで、素直に聞いてくれるとも思えなかった。


 領主から治療の謝礼をしたい、助けてもらった礼をしたい、と申し出ただけであれほど苦労したのだ。


 父も、まさかマコトがあそこまで頑なだとは思っていなかったのだろう。


 この頑固ジジイが。


 きっと、そう思っていたはずだ。


 私には分かる。私もそう思っていたからだ。


 なぜ礼を拒む。


 ガイルは騎士団総出でかかっても、マコトを殺し切れるかどうか分からないと言っていた。まして、殺さずに拘束するとなれば、さらに難しいだろう。


 そもそも、殺してしまっては何の意味もない。


 だから、何とか本人の意思でここに留まってもらう理由が必要なのだ。


 例えば――助けた患者から弟子入りを望まれる、といった。


 自分から弟子にしてほしいと頼んだ気持ちは、決してその場の勢いでも、打算だけでもなかった。


 もっと知りたい。


 身体のことを。魔力のことを。気のことを。


 マコトが見ているものを、自分も見られるようになりたい。


 いつか必ず、マコトの医術を身につけてみせる。


 そして、自分自身の力をきちんと扱えるようになる。


 誰かを守れるほど、強くなってみせる。


 その気持ちは、今も少しも変わっていない。


 この思いもまた、紛れもない本心なのだ。


 だから、マコトの「今から、あなたは儂の弟子じゃ」という言葉は、恥ずかしながら泣いてしまうほど嬉しかった。


 けれど、私は辺境領主の娘でもある。


 民を守り、この土地を安寧に保つ責任がある。


「ふぅ……」

 小さく息を吐く。


 さすがに今日は、いろいろありすぎた。


 アリエルは軽く頭を振ると、寝台の上のグレイを見た。


 背中を撫でられているうちに、眠くなってきたようだ。可愛い。あぁ可愛い。


 この子ともっと一緒にいるためにも、マコトにはアドヴァーンに居てもらわねば。


「ねぇ、グレイ」


 灰色の魔物が顔を上げた。


「あなたのご主人って、ずいぶん困った人ね」


「ニャ!」


 今度の返事は、妙にはっきりしていた。


 風呂へ無理やり入れられた恨みが、まだ残っているのだろう。


 まるで、「まったくだ!」と言っているように聞こえた。


 アリエルは堪えきれず、くすっと笑った。



挿絵(By みてみん)

お読みいただき、ありがとうございます。


今回はアリエル視点です。

ずいぶん印象が変わったのではないでしょうか。


一日一話、毎日20時30分頃に更新する予定です。


よろしくお願いいたします。

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