第38話 転生した時より感動しておる
案内された客室は、儂一人で使うには少々広すぎるほど立派な部屋だった。
昨日の部屋も立派だったが、広さが3倍ほどになった。来賓用なのではないか?
大きな寝台に机と椅子が置かれ、窓からはアドヴァーンの街並みを見渡すことができる。
「立派な部屋じゃなあ」
「ニャ」
「おぬしもそう思うか」
グレイはさっそく寝台へ飛び乗ると、我が物顔で丸くなった。
森を出てからまだ一週間ほど。荷物といっても、それほど多くはない。
着替えに、前任者殿の家から持ち出した旅道具。それから、異世界艾の朧を入れた小さな木箱。
それらを片づけていると、部屋まで案内してくれたメイドが声をかけてきた。
「お食事の前に、浴場をお使いになりますか?」
儂の手が止まった。
「今、なんと申されました?」
「浴場でございます」
「風呂があるのですか?」
「はい」
「この城に?」
「ございますが……」
儂は立ち上がった。
「行きましょう」
「え?」
「すぐにいきましょう」
風呂があると聞いた以上、じっとなどしておられんわ。
・・・・・・
「くぅぅぅぅ……」
思わず声が漏れた。
広い浴槽には、たっぷりと湯が張られている。立ち上る湯気の中、肩まで浸かれば、その温かさが身体の芯までじんわりと染み込んできた。
「はぁぁぁ……」
いかん。これはいかんぞ。
「極楽じゃ……」
こちらへ来てから、身体を拭いたり、水を浴びたりはしてきた。だが、こうして湯に肩まで浸かるのは初めてだ。
異世界へ来てから、一番嬉しいかもしれん。
神様には悪いが、転生した時より感動しておる。
旅のあいだ張っていた筋肉が、湯の中でゆっくりと緩んでいく。身体の芯から力が抜けていくのが分かる。
「やはり風呂はええのう……」
湯を両手ですくい、バシャッと顔へかける。
「ああ……よくぞ日本に生まれけり、じゃなあ。おっと、ここは異世界じゃったな。カーッカッカッカッ!」
「ニャアアアア!」
儂の腕の中におるグレイから、盛大な抗議の声が上がった。
「なんじゃ。おぬしも気持ちええじゃろ」
「ニャアアアアアア!」
「おっとっと。暴れるでない。せっかくの風呂じゃぞ」
浴槽から出ようとするグレイを、優しく、しかし逃がさぬようにしっかりと抱き留める。
どうやらグレイには、この喜びが理解できないらしい。
まったく。
人生の半分は損をしておるぞ。
「ニャアアアアアアアア!」
・・・・・・
湯上がりの儂はすっかり上機嫌だった。
用意してもらった服へ着替えて客室へ戻る。身体は軽く、血の巡りもいい。肌もさっぱりして、思わず鼻歌でも出そうになる。
「いやあ、いい湯じゃった」
ちょうどその時、部屋を訪ねてきたアリエルが儂を見た。
「先生、お風呂からお上がりになったのですね」
「おお、アリエル!」
「……ずいぶんご機嫌ですね」
「風呂があったからのう」
「そんなにお好きなのですか?」
「好きも何も」
儂は胸を張った。
「風呂は日本人の心じゃ」
「はあ……」
「肩までゆっくり浸かってな。身体の芯まで温まったところで、ふぅーっと息を吐く。いや、最高じゃな。あれに勝るものは、そうそうないぞ」
カッカッカッ!と気持ちよく笑う儂。
「やはり毎日、湯に浸かれるというのはありがたいのう。この城は実にいい城じゃ」
アリエルがジトッとした目でこちらを見る。
「先生」
「なんじゃ?」
「おじいちゃんみたいですよ」
「そりゃそうじゃろ」
「見た目は十歳なのに……」
「中身は九十三じゃからな」
「そうでしたね……」
妙に納得された。
その時だった。
「…………ニャ」
か細い声がした。
アリエルが振り返る。
「グレイ?」
部屋の隅。
そこに――濡れそぼった灰色の猫がいた。
毛はぺったりと身体へ張りつき、いつものキリリとした美しい姿はどこにもない。じっと座ったまま、こちらを睨んでいる。
「一体どうしたの?グレイ……」
グレイの姿に驚いたアリエルが、ハッとした顔で儂を見る。
そしてもう一度、グレイを見た。
「先生」
「なんじゃ?」
「まさか……」
「一緒に入ったぞ」
アリエルはすぐさまグレイのもとへ駆け寄り、しゃがみ込んだ。
「グレイ……」
「ニャァ……」
「かわいそうに……」
「おい」
ずいぶんな言われようだ。
アリエルは近くにあった布を手に取り、濡れたグレイの身体を優しく拭き始めた。
「嫌だったのですね」
「ニャ……」
「怖かったですね」
「ニャァ……」
「儂は綺麗にしてやっただけじゃぞ」
グレイがこちらを睨む。
アリエルまでこちらを睨む。
「先生」
「なんじゃ」
「グレイに謝ってください」
「なぜじゃ」
「無理強いはいけません」
「…………」
弟子になった途端、強くなっておらんか?
「……悪かったの、グレイ」
「ニャ」
そっぽを向かれた。
アリエルはそんなグレイを抱き上げる。
「今日は私と一緒にいましょうね」
「ニャ」
返事が早い。何を甘えておるのだ。
「おぬし、儂の連れじゃろうが」
グレイは振り返りもしなかった。
どうやら今夜は、アリエルのそばがいいらしい。
・・・・・・
その日の夕食は、アリエルと二人だけだった。
いや、正確にはグレイもいるので、二人と一匹か。
アーセルが気を遣ってくれたらしい。大勢を集めた堅苦しい晩餐ではなく、気楽に食事を楽しめるようにしてくれたようだ。
ありがたい。
こちらの料理についてアリエルに教えてもらい、儂は地球の食べ物について話す。その間にもグレイは肉を要求し、儂が呼んでも風呂へ入れた恨みからか、しばらく無視を決め込んだ。
それを見て、アリエルが笑う。
楽しい夕食だった。
こうして儂は、異世界へ来てから一番と言ってもいいほど、のんびりとした夜を過ごした。
・・・・・・
そして翌朝――。
城の訓練場へ向かった儂を待っていたのは、思っていたよりずっと大勢の騎士たちだった。




