第36話 城から出してもらえない老鍼灸師
「鍼が欲しいんじゃ」
儂がそう言うと、アーセルはしばらく黙っていた。
「……ハリ、とは?」
「以前、“置き鍼”という話をされていましたね」
ガイルが思い出したように言った。
分からないのも無理はない。
この世界には治癒魔法も薬もある。だが、少なくとも儂がこれまで調べた限り、鍼治療に使うような道具は存在しない。
「鍼というのは、鍼灸師が使う医療道具の一つですな」
儂は親指と人差し指を少し開き、長さを示してみせた。
「だいたい、これくらいの長さのものです。細く、先の尖った道具でしてな。釘やまち針に似ておりますが、治療に使う鍼は、それよりずっと細くて繊細なのです」
「それを身体に使うのでしょうか?」
ガイルが怪訝そうな顔をする。
「ええ。身体に使いますぞ」
「……刺すのですか?」
「むろんです。皮膚へ刺して使います」
ガイルの顔がさらに険しくなった。
そんな顔をせんでもよかろう。
「治療なのですよね?」
今度はサラまで確認してくる。
「もちろんじゃ。れっきとした治療法ですぞ」
どうやら、この世界の者たちには、ずいぶん物騒な治療法に聞こえるらしい。
そんな中、アリエルだけは興味深そうに話を聞いていた。
「その鍼があれば、マコト様はもっといろいろな治療ができるのですか?」
「ええ。それは間違いありませんな」
指圧も灸も気功も、どれも立派な治療法だ。
だが、鍼には鍼にしかできないことがある。
刺激の強さや深さ、入れる角度。経穴への働きかけ方。そして何より、気の流れへ繊細に触れられる。
「七十年以上、使い続けてきた道具ですからな。ないと、どうにも片腕を取られたような気分でしてな」
「なるほど」
アーセルが腕を組んだ。
「それならば、この都市で一番の鍛冶職人に頼んでみてはどうだろうか」
「おお!」
思わず身を乗り出した。
「作っていただけるのですかな?」
「見たこともない道具だ。実物がない以上、一度で希望どおりのものができるかは分からんが――」
「構いませんぞ!」
ようやく、鍼が手に入るかもしれん。
そう思うと、自然と声が弾んだ。
形なら儂が説明できる。太さも長さも、弾力も、先端の形も分かる。
素材については、この世界のものをまだ知らないが、そこは職人と相談すればよい。
アリエルが、くすりと笑う。
「マコト様、先ほどよりずっと嬉しそうですね」
「そりゃそうですぞ。鍼が手に入るかもしれんのですからな」
この世界へ来てから、初めて鍼を使えるかもしれない。
どんな金属があるのか。どこまで細く加工できるのか。しなりや強度はどうか。気を通しやすい素材まであるのだろうか。
ひょっとすると、地球では作れなかったような鍼が作れるかもしれん。
そう考えるだけで、胸が躍る。
「ふふ」
アリエルがまた笑った。
「なんですかな?」
「いえ。マコト様も、そんなお顔をなさるのだと思って」
それは心外な。
「儂だって、嬉しい時くらいありますぞ」
「そうですね。申し訳ございません」
そう言いながら、なぜかますます笑われた。
アーセルまで、つられたように口元を緩めている。
「では、こちらで職人を選び、事情を伝えておこう。急な話だからな。少し手配は必要だが、明日の朝には案内できるようにしておく」
「それは助かりますな」
ありがたい。実にありがたい。
「では、明日の朝、またこちらへ伺うことにいたしましょう」
「明日また来る?」
どういう意味だ、という顔でアーセル殿がこちらを見る。
儂は立ち上がった。
「これから街へ出て、今晩泊まる宿を探さねばなりませんからな」
「待ってくれ」
アーセル殿が即座に止めた。
「なんでしょう?」
まだ何かあるのだろうか。
「なぜ宿を探すのだ?」
「泊まるためですが?」
他に何がある。
「ここへ泊まればよいではないか」
「ここに? この城に、ということですかな?」
「当然だ。娘の恩人を、その日のうちに宿探しへ放り出したとあっては、アドヴァーン家の名折れだ」
「いやいや」
儂は手を振った。
「お気持ちはありがたいのですが、そういう堅苦しいのは苦手でしてな」
領主の城に泊まる。
どう考えても、気楽な宿屋とは違う。
食事の作法だの、客人としての礼儀だの、朝から晩まで誰かが世話をしてくれるだの。想像するだけで肩が凝る。
「儂は街の宿で十分ですぞ」
「いや、それでは私の面目が立たん」
また面目か。
貴族というのも大変だのう。
「お父様のおっしゃるとおりです」
アリエルまで加勢してきた。
「マコト様。ぜひ今日は、こちらにお泊まりください」
「いやいや」
「私からもお願いいたします」
ガイルまで頭を下げる。
「ぜひご滞在を」
サラまで、妙にいい笑顔で迫ってくる。
「…………おい」
気がつけば、四方を囲まれていた。
なんじゃこれは。
ゴブリンに囲まれた時より逃げにくいぞ。
「しかしなあ……」
その時、アリエルが何かを思いついたように手を合わせた。
「それでしたら、マコト様」
「なんじゃ?」
アリエルの無邪気な笑みに、なぜか少し警戒してしまう。
「明日の朝、私どもにご指導いただけませんか?」
「指導?」
「太極拳です」
「ああ」
そういえば、旅の途中でそんな話をした。
アリエルだけではない。騎士たちも興味を持っていたはずだ。
「たしか、また教えてくださるというお約束でしたよね?」
「うむ……」
たしかに言ったが。
「でしたら、ここにお泊まりいただいた方が、朝からすぐに教えていただけます」
なるほど。
理屈は通っておる。いや、通っておるように聞こえるだけか?
アリエルを見ると、やはりにこにこしている。
「ぜひ、そうしてくれ」
アーセル殿は真剣な顔で、娘の案を後押ししてくる。
ガイルとサラまで、「それはいい考えだ」とでも言うように、もっともらしく頷いていた。
「うーむ……」
まあ、一晩くらいならよいか。
「分かりました」
その瞬間、全員がほっとしたような顔になった。
「では、一晩お世話になることにいたします」
「おお!」
「ありがとうございます!」
なぜ泊まる側より、泊める側の方が喜んでおるのだ。
こんな年寄りを相手に、律儀なことだ。この土地の者は、みなこうなのか。
「すぐに客室を用意させよう」
アーセル殿がメイドへ指示を出す。
「食事の用意も頼む。マコト殿の好みを――」
「普通でいいですぞ」
「グレイ殿の食事も必要だな」
「ニャ!」
頼むよ! と返事しておる。
こういう時の反射速度は、とても速い。さっきまで寝ておったくせに。
にわかに周囲が慌ただしくなる中、儂は明日の予定のことを考える。
朝は太極拳を教えて、それから鍛冶屋へ行く。
思いがけず、明日がずいぶん楽しみになってきた。




