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老鍼灸師は転生しても治さない  作者: かどやん。
第2章 辺境都市アドヴァーン

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第35話 鍼が欲しいんじゃ

 部屋には、先ほどまでとはまるで違う空気が流れていた。


 アリエルは元気そうに笑っている。アーセルも、ガイルも、サラも、その姿を見て自然と頬を緩めていた。


 何年も続いていた不調。


 何人もの治癒師や魔術師に診せても、原因すら分からなかったという。それが今、目の前でこうして元気に立っている。


 ひとまずは、一件落着といったところか。


 もっとも、儂としてはこの先の経過まで診なければ、本当に治療が終わったとは言えんのだが。


「さて」

 アーセル殿が、ようやく領主らしい顔へ戻った。


「マコト殿。もう一つ、大切な話をしなければならない」


「なんでしょう?」


 このタイミングで?

 何かあっただろうか。


「治療の対価についてだ」


「おお」

 なるほど。それは大切だ。


 アーセル殿は儂の前へ立つと、真剣な顔で言った。


「娘のために、これほどのことをしていただいた。望むものがあるなら言ってほしい。私に払えるものであれば、何でも用意しよう」


「ほう」

 何でもときたか。


 ずいぶん大きく出たものだが、気持ちは分かる。娘が何年も苦しんできたのだから、父親としてそれだけ嬉しいのだろう。


「では、遠慮なく」

 儂は頷いた。


「一回の治療の対価は、小金貨一枚じゃ」


「…………なに?」

 アーセルの動きが止まった。


「小金貨一枚ですぞ」

 聞こえなかったのかと思い、もう一度言った。


 こちらへ来てから、貨幣については前任者殿の家にあった本で調べてある。実際に街へ来て、だいたいの物価も分かってきた。


 地球の日本円に無理やり置き換えるなら、銅貨一枚が百円ほど。銀貨が千円、小金貨が一万円、金貨なら十万円。そして大金貨ともなれば、百万円ほどになる。


 もちろん、物の値段そのものが違う以上、単純な換算などできない。あくまで感覚として、そのくらいという話だ。


「小金貨一枚……」

 アーセルが、確かめるように繰り返した。


「うむ」

「それだけか?」

「治療一回分ですからな」


 儂は当然のように答えた。


 治療をした。ならば、その対価をいただく。


 そこに抵抗はない。儂は七十年以上、それを仕事にしてきたのだ。


 善意で人を診ることもあるし、金を取らずに、こちらから頼んで治療させてもらったことだってある。


 だが、治療という仕事そのものに正当な対価をいただくのは、当たり前のことだと思っている。


「しかし……」

 アーセルが困った顔をした。


「それでは安すぎる」


「そうですかの?」


「そうだ」

 きっぱりと言われた。


「娘は何年も苦しんできた。何人もの治癒師や魔術師を呼び、さまざまな治療を試した。それでも治らなかったのだ」


「そうでしたな」


「その娘を治して、小金貨一枚では……」


 アーセル殿は眉間に皺を寄せた。


「私の面目が立たん」


「面目と言われましてもな」

 治療費に面目も何もあるまい。


「相手が領主だからといって、値段を変えるつもりはありませんぞ」


「しかし」


「王様でも同じじゃ」


 アーセル殿が黙った。


 すると、ガイルが尋ねる。

「では、貧しい者なら?」


「払えぬ者から、無理に取ったりはせんよ」


「ならば、領主様からは多く取ってもよいのでは?」


「それとこれとは別じゃ」

 儂は首を振った。


「金持ちだから高くする。偉いから高くする。そんな値段のつけ方を、儂はしてきておらんのじゃ」


 ここが異世界だろうと、治療の対価についての方針を変えるつもりはない。


 アリエルが、くすりと笑った。


「マコト様らしいです」


「そうかの?」


「はい」


 アリエルが、どことなく嬉しそうににこにこしておる。


 アーセルだけは、まだ納得していないようだった。


「ならば、小金貨一枚は治療の正式な対価として支払おう」


「ありがたく頂戴いたします」


「だが、それとは別に、娘や騎士団を救っていただいた礼もある」


「もう十分ですぞ」

 食い下がるのう。


「もらってもらわねば困る」


「アリエル殿にも、ガイル殿にも、騎士団のみなさまにも、十分よくしていただいておりますのでな」


「そういう話ではない。こちらは領主としての礼だ。金でなくともいい。欲しいものはないか?」


「特にありませんな」


「土地でもよい」

「いりませんな」


「屋敷は?」

「家なら森にありますぞ」


「馬は?」

「乗れませんな」


「武器は?」

「素手で間に合っております」


 ついにアーセル殿が黙った。


 この頑固ジジイとでも思っとるのかもしれんな。いらんものはいらんのじゃ。


 横を見ると、ガイルが少し俯いて肩を震わせている。


 あやつ、笑っておるだろ。


「本当に何もないのか?」


 アーセル殿が大きなため息をつきながら聞いてくる。


 まだ諦めておらんのか。


「うーむ」

 そう言われてもな。


 今のところ衣食住には困っていないし、金も前任者殿が残してくれたものがある。地位にも興味はない。爵位など、なおさらいらん。


 欲しいもの、欲しいもの。

 ……あ。一つ、あったの。


「アーセル殿」

「何だ?」


「では、図々しいようですが、一つ相談してもよろしいですかな」


 アーセル殿の顔がぱっと明るくなった。


「もちろんだ。何でも言ってくれ」


「実は――」

 儂は自分の指先へ目を落とした。


 指圧もいい。灸もいい。気功もある。


 どれも儂にとって大切な治療法だ。


 だが、七十年以上、毎日のように使ってきたものが、今はない。


 こちらの世界へ来てから、ずっと思っていた。


 やはり、あれがないとどうにも落ち着かん。


「鍼が欲しいんじゃ」


「…………ハリ?」

 アーセル殿が首を傾げた。


 アリエルも、ガイルも、サラも、同じような顔をしている。


「うむ」

 儂はニカッと笑った。


「鍼灸師なのに、鍼を一本も持っておらんのでな」



挿絵(By みてみん)


お読みいただき、ありがとうございます。


思わぬところでマコトの頑固さが出てきましたね。


一日一話、毎日20時30分頃に更新する予定です。


よろしくお願いいたします。

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