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老鍼灸師は転生しても治さない  作者: かどやん。
第2章 辺境都市アドヴァーン

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第33話 龍蛇一如

 淡い光は、しばらくアリエルの身体を流れ続けていた。


 胸から腕へ、そこから手先へ。さらに身体へ戻り、頭や胴を通って脚へと下っていく。光は一か所で止まることなく、全身を循環するように流れていた。


 その流れは、筋肉や血管に沿っているわけではない。


 この世界の人々には馴染みがないかもしれないが、儂には分かる。


 経絡だ。


 地球で何十年も診てきた、気の通り道。


 古典では、気は経絡を通って手足や胸、頭、胴を巡りながら、全身へとつながっていくと考えられている。


 それが今、目に見えるほどの淡い光となって、アリエルの身体を巡っている。


 隣にいる女性騎士サラは、声も出せずにその光景を見つめていた。


 儂も同じだった。こんなものは、見たことがない。


 やがて光は少しずつ弱くなり、最後にはアリエルの身体へ溶け込むように消えていった。


 あとには、穏やかに眠るアリエルだけが残った。


「……終わったのでしょうか?」

 

 寝ているアリエルを気遣っているのだろう。サラが小声で尋ねた。


「さて。まだ何とも言えんな」


 儂はアリエルの様子を確かめる。


「すぅ……すぅ……」


 寝ている。

 しかも、実に気持ちよさそうだ。


 顔色もよく、呼吸も深く穏やかだった。額へ手を当てても熱はない。


 もう一度手首を取り、脈を診る。


 ふむ。悪くない。


 いや、それどころか、治療前より明らかに整っている。


 何より――あの異質な気が流れている。


 あれほど全身へ薄く広がり、ところどころで引っかかっていた異質な気が、今はアリエル自身の気と一緒になって巡っていた。


 消えたわけではない。確かに、まだある。それなのに、もう身体の流れを邪魔していない。


「白と黒の気が混ざることなく、絡み合いながら流れておる……」


 まるで太極図のように。


 思わず口元が緩んだ。なんなのだ、これは。


「大丈夫なのですか?」


「今のところはな」


 サラが、ほっと息を吐く。


「もう少し診たいところではあるが……」


 儂は眠るアリエルを見た。


「これだけ気持ちよさそうに寝ておるものを、わざわざ起こすこともあるまい」


 治療のあとによく眠れるのなら、それも立派な身体の反応だ。このまま休ませた方がいい。


 それに――儂自身、少し考えたかった。


 今、いったい何が起きたのか。


 ・・・・・・


 アリエルをサラに任せ、儂はアーセルのもとへ向かった。


 事情を聞いたアーセルは、すぐにガイルも呼んだ。アリエルの護衛を別の者と交代し、治療を見届けたサラにも同席してもらう。


「それで」


 アーセルが身を乗り出した。


「アリエルは?」


「寝ておりますぞ」


「寝ている?」


「ええ。それはもう、気持ちよさそうに」


「身体に異常は?」


「今のところ見当たりません。脈も治療前より、むしろ整っております」


 それを聞いて、アーセルの肩から少し力が抜けた。


「では、治療はうまくいったと?」


「おそらくは」


「おそらく?」


「なにぶん、儂も初めて見る現象が起きましてな」


「……あの光ですね」

 サラが口を開いた。


 アーセルとガイルが、そろって彼女を見る。


「治療の途中で、アリエル様のお身体が光り始めました。身体の中を、何本もの細い光が流れているように見えました」


「光?」

「はい」


 アーセルが儂を見る。


「何が起きたのだ?」


「それを今から説明しようと思っておるのですが……」


 儂は顎へ手をやった。


「その前に、少々言葉を整理した方がよさそうですな」


 考えてみれば、この世界へ来てからも、儂は何でも地球の言葉で考えている。


 気、経絡、経穴。龍脈に龍穴。


 儂には馴染み深い言葉でも、この者たちにとっては初めて聞くものばかりだ。


 まして、あの異質な気。


 いつまでも「異質な気」と呼んでいては、話をするにも不便である。


「まず、龍脈については昨日お話ししましたな」


「ああ。大地の下を流れる、気の道だったな」


「左様です。そして、その気が集まる場所を龍穴と呼んでおります」


「そうであったな」

 アーセルが頷く。


「儂が森で見つけた小さな龍穴には、龍脈の化身とも思える龍がおりました」


「なに、龍だと!?」

 アーセルたちの表情が変わる。


 この世界では、龍という生き物は、ほとんど不可侵といっていいほど恐れられているらしい。

 それなら、アーセルたちがこれほど驚くのも当然だろう。


「龍脈というのは、地球では大地を巡る気の流れを龍になぞらえた呼び方でした。ですが、この世界では、どうやら本当に龍と深く結びついているらしいのです」


 儂は少し考えてから続けた。


「つまり、こちらでは“龍脈”という言葉が、ただの比喩では済まんようですな」


 アーセルたちが息を呑む。


「ならば、この世界にもともと存在し、龍脈を巡っている気を――ひとまず“龍気(りゅうき)”と呼ぶことにしましょう」


「リュウキ……」

 サラが繰り返した。なんとか理解しようとしているようだ。


「龍――ドラゴンの気と書いて、龍気ですな。この世界の大地や生き物の中を巡っている気、と今のところ儂は考えております」


「では、アリエル様の身体にあった異質な気というのは?」

 ガイルが尋ねた。


「そうですな……」

 少し考える。


 龍気とは違う。だが、まったく無関係なものとも思えない。性質は異なるが、どこか通じるところがある。


「“蛇気(じゃき)”とでも呼びましょうかの」


「ジャキ?」


「蛇の気と書いて、蛇気です」


 アーセルの眉がわずかに動いた。


「それは……悪い気という意味なのか?」


「いえ、そういう意味ではありませんぞ」

 儂はすぐに首を振った。


「邪気の“邪”ではなく、蛇の“蛇”です。この気が本当に悪いものなのか、まだ分かりませんからな」


 確かに、これまでは身体を苦しめ、森の龍穴にも異変を起こしていた。それだけを見れば、害をなすものと思いたくなる。


 だが、今のアリエルの身体を見る限り、どうもそれほど単純ではない。


「龍気とは違う。されど、まったく別物とも言い切れん。ならば龍に対して蛇――そのくらいの意味ですな」


「龍の方が上、ということではないのか?」


「それも違いますぞ」

 儂はこちらもすぐに否定した。


「龍には龍の性質があり、蛇には蛇の性質がある。それだけのことです。違うからといって、すぐに上下や善悪を決める必要はありますまい」


 アーセルはしばらく考え、それからゆっくりと頷いた。


「では、マコト殿が使っている気というものは、何なのでしょうか?」


 今度はガイルから質問が飛んできた。


「儂のか」

 少し虚をつかれた気がした。


 確かに、ここまで名前を付け始めると、儂の使っている気だけをただ“気”と呼ぶのも収まりが悪い。


 ならば、古典に倣うのがよかろう。


「地球では昔から気のことを、“真(まこと)の気”と書いて真気(しんき)と呼んでおりました。この世界でも、儂の気はそう呼ぶことにしましょう」


「シンキ……マコトのキ……あれ?」

 サラが首を傾げた。


「マコト殿の気だから、真気なのですか?」


「いやいや」

 つい笑ってしまった。そんなに自己主張は強くないわ。


「儂の名前は関係ないぞ」


「違うのですか?」


「地球に昔からある言葉じゃ。儂の名前と同じなのは、ただの偶然じゃよ」


「そうなのですね」


 考えてみれば、自分の名前と同じ字なのだから、ややこしい話ではある。


 どうせ誰にも分からんからと、勝手に自分の名前を付けたと思われてもかなわん。そこはきちんと訂正しておこう。


「そして、もう一つあります」


「まだあるのですか?」

 ガイルが少し困った顔をしている。がんばって付いてきてくれ。


「神気(しんき)です」


「シンキ?」

 今度はアーセルが眉を寄せた。


「先ほどの真気とは違うのか?」


「違いますぞ。こちらは“神の気”と書いて神気と読みます」


「……同じに聞こえるが」


「文字は違いますが、読みは同じですな」


「ややこしいな」


「儂もそう思います」

 そこは素直に認めておく。


「神気は、儂をこの世界へ呼んだ神様の気です。召喚された際、儂はあの気に何度か触れております」


「神の気に何度か……?」


 アーセルは何か聞きたそうな顔をしたが、今はやめたらしい。


 賢明だ。あの話を始めると、また長くなる。また別の機会にしよう。


「さて。ここからが、アリエル殿の身体に起きたことです」


 三人の顔が引き締まる。いよいよ本題だ。


 儂は指を一本立てた。


「もともとアリエル殿の身体には、この世界の龍気が巡っている」


 もう一本、指を立てる。


「そこへ蛇気が入り込んだ」


 二本の指を近づけて見せた。


「これまで、この二つがうまく馴染まず、互いの流れを邪魔していたのでしょう」


 アリエルは膨大な魔力を持っている。それが関係しているのか。


 巨大な龍穴の上で長く暮らしてきたことが関係しているのか。


 あるいは、その両方なのか。


 そこまでは、まだ分からない。


 ただ、蛇気がアリエルの全身へ薄く広がり、龍気とうまく流れずに滞りを作っていた。その状態が、長年の体調不良につながっていた可能性は高い。


「そこで、儂が指圧をいたしました」


 経絡へ働きかけ、筋肉を緩め、滞っていた気の流れを整えていく。


「その際に、指先から儂の真気も入っております」


「マコト殿の真気が?」


「ええ。九十年以上、気功や太極拳を続けておりますのでな。治療しながら指先から気を通すことは、もう身体が勝手にやるようなものです」


 もっとも、ここで予想外のことが起きた。


「儂の真気が入ったあと、龍気と蛇気が一緒に流れ始めたのです」


「一緒に?」


「ええ。ただし、混ざり合ったわけではありません。龍気は龍気のまま、蛇気は蛇気のままです」


「蛇気が身体から出ていったのではないのか?」


「出ておりません」


 アーセル殿の顔が険しくなった。


「では、まだ娘の中に?」


「ありますぞ」


「それで大丈夫なのか?」


「そこが今回の不思議なところでしてな。むしろ、アリエル殿の身体は治療前より明らかに良くなっております」


「良くなっている……?」


「ええ。脈は整い、身体の緊張も抜けている。そして何より、龍気も蛇気も、以前より力強く巡っております」


「蛇気もなのか」


 治療の最中、儂はその変化を確かに感じていた。


 それまでぶつかり合っていた二つの気が、経絡の中を同時に流れ始めたのだ。互いを押し退けるでもなく、溶け合うでもなく、それぞれの性質を保ったまま絡み合うように巡っている。


 その様子を思い返すと、儂の脳裏に一つの形が浮かんだ。


 ――太極図。


 白と黒が混ざり合うことなく、それぞれの形を保ったまま一つの円を成している、あの陰陽の図だ。


 龍気を白、蛇気を黒とするなら、アリエル殿の身体を巡っていた二つの流れは、どこかそれに似ていた。


 とはいえ、それが何を意味するのかは、まだ分からない。


 単なる連想かもしれんし、この世界の気にも、陰陽と呼べるような関係があるのかもしれん。


 まだ一度見ただけだ。


 今ここで太極図まで持ち出しても、ただでさえややこしい話を、さらにややこしくするだけだろう。


 これは、ひとまず儂の胸にしまっておくことにした。


「問題だったのは、蛇気が存在することそのものではないのかもしれません」


 儂はもう一度、二本の指を立てた。


「龍気と蛇気が、うまく馴染めずにぶつかり合っていたこと。それが、アリエル殿の身体を苦しめていたのではないかと考えております」


「では、マコト殿の真気が、その二つの間を取り持った……と?」


 ガイルが尋ねた。

 なかなか的を射ている。


 まさに“仲を取り持った”という表現が相応しい。


「おそらくは」

 儂は頷いた。


「ただ、もう一つ気になることがあります」


「何だ?」


「今の儂の真気は、地球にいた頃のものと、まったく同じではありません」


 三人が、どういうことだという顔で儂を見る。


「儂は神気に触れ、この世界へ来た。その時に、儂自身の気も何らかの影響を受けております」


 これは、異世界の森で站桩功をした時から感じていたことだ。


 初めて触れる龍気を、儂の身体も魂も驚くほど素直に受け入れた。


「つまり、神気そのものをアリエル殿へ流したわけではありません。ただ、神気に触れて変化した儂の真気だからこそ、性質の違う龍気と蛇気の間へ入ることができた――そういう可能性はありますな」


「なるほど……」

 ガイルがゆっくり頷いた。


「神の影響を受けたマコト殿の気だからこそ、二つをつなぐ何かになったということですか」


「そういうことです。地球の言葉なら、“触媒”と言いたいところですが……」


「ショクバイ?」


「……まあ、仲人のようなものだと思ってくだされ。先ほどガイル殿が言ったように、仲の悪い二人の間へ入って、うまく取り持ったということじゃ」


「ああ。なるほど」


 今度は伝わったらしい。


 儂は片方の手で二本の指を立て、もう片方の手の人差し指を近づけた。


「龍気と蛇気の間へ真気が入り、二つが喧嘩せずに一緒に流れ始めた」


 そこで、ふと口をついた。


「龍と蛇が、一つの流れになる――」


 少し考える。


「龍蛇一如(りゅうじゃいちにょ)、とでも言いましょうかの」


「リュウジャ……イチニョ?」


「ええ。儂のいた国では、異なるものが分かれたまま、一つのものとして働く。そうした考え方を“一如”と表すことがあります」


 もっとも、これも今、儂が勝手に名づけただけだ。


 まだ一人診ただけで、理論などと呼べる段階ではない。


「そして、その龍蛇一如とも呼ぶべき流れが経絡を巡り始めた時、アリエル殿の身体が光った」


「なぜ光るのだ……」


 アーセルが「なぜそうなる」と言いたげにつぶやいた。


 ガイルもサラも、完全に同意だというように頷いている。


 儂にも、まったく分からん。


 なぜあんなふうに光る必要があるのだ。


「以上が、治療中に起きたことになります」


 三人の顔を見る。

 納得していないというより、そもそも情報が多すぎて整理しきれていないようだ。


「……分かりにくかったですかな?」


 しばらくして、ガイルがゆっくり口を開いた。


「申し訳ありません。初めて聞くことばかりで、頭が追いついておりません」


 隣でサラも深く頷いている。


「そうか」

 まあ、無理もない。


 儂も一度きちんと整理しておかんと、こんがらがりそうだ。


 神気は、神様の気。白い天の気。


 龍気は、この世界の大地や生き物を巡る気。白い地の気。


 蛇気は、この世界へ入り込んだ異質な気。まだ謎が多く、色にするなら闇のような黒。


 そして真気は、儂が地球で長年練ってきた気。ただし、神気に触れたことで、今では儂独自の気となっている可能性がある。色で言えば、黄色か金色のように見える。


 こんなところじゃな。


「安心せい。儂も全部分かっておるわけではない」


「マコト殿も?」


「当然じゃ。分からんから、こうして調べておる」


 ふとアーセルを見ると、表情が険しくなっていた。


「今の話を聞いて、一つ懸念がある」


 先ほどまでの父親の顔ではない。領主としての顔だ。


「蛇気は、人や土地に影響を与えるという。それで苦しむ者は、アリエルだけではないかもしれない。もし魔力の強い者ほど影響を受けやすいのだとしたら、これから同じような者が増える可能性もあるのではないか」


 ――その可能性はある。

 むしろ、そう考えない方が不自然だ。


 おそらく、これはまだ始まりに過ぎないのだろう。


「もしそうなった時、このままでは、それを癒せるのはマコト殿だけということにならないだろうか」


 さすがに鋭い。


 地球で練った真気を持ち、しかも神気に触れたことで、その性質まで変わっている者。


 そんな人間が、この世界にあちこちおるとは思えん。


「おっしゃる通りですな」

 儂は頷いた。


「神様も、この蛇気については、まだ分かっていないことが多いようでした。だからこそ、何か手立てを探すために、儂が地球から呼ばれたのだと思います」


「神様でも……!」

 アーセルが絶句した。


「ただ、今のところは、まだ何も分かっていないに等しいのです。儂でなくても、薬や魔法で改善できる方法が見つかるかもしれません。あくまで、これから調べていくしかありませんな」


 アーセル、ガイル、サラの三人は、そろって「これは大変なことになったぞ」という顔をしておる。


 儂も同感じゃ。早く何か方法を見つけねばならん。


 儂一人が世界中を飛び回って、片っ端から治療していくわけにもいくまい。


 となれば、考えるべきは治療だけではない。

 もっと根本から、この蛇気というものを調べる必要がある。


 それぞれが自分なりに話を整理しようとして、しばらく誰も口を開かなかった。


 その時――勢いよく部屋の扉が開いた。



挿絵(By みてみん)

お読みいただき、ありがとうございます。


龍気、蛇気、真気、真気の説明はこんがらがりそうですね。

少しでも分かりやすくするため、この四つの気をまとめた4コマ解説を作りました。

よろしければ、ぜひご覧ください。


一日一話、毎日20時30分頃に更新する予定です。


よろしくお願いいたします。



「四つの気」

挿絵(By みてみん)



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