第32話 指圧をしたら、異世界を実感した
辺境都市アドヴァーンに到着した翌日。
昨日と同じ部屋で、儂は再びアリエルと向かい合っていた。
女性騎士サラも、護衛として同席している。
「よく眠れましたかな?」
「はい。昨日より、さらに身体が軽いです」
アリエルが嬉しそうに答えた。
「それは結構ですな」
儂も安心する。
昨日と比べて、顔色も悪くない。
「では、昨日の続きと参りましょうか」
昨日の診断をもとに、治療方針はまとめてきた。
アリエルは十三歳。儂の見た目より三つほど年上とはいえ、身体はまだ成長の途中にある。
鍼が使えない年齢というわけではない。地球でも、子供に鍼をすることはある。
だが、この身体、この症状、そしてこの世界。
最初から強い刺激を入れる必要はないだろう。
そもそも――まだ鍼がないのだが。
これについては、早くなんとかしなくてはいけない。
異世界艾「朧」があるので、灸ならできる。
だが、昨日あらためて診て分かったことがある。
異質な気は、一か所に固まっているのではなく、アリエルの全身へ薄く広がっていた。
成長途中の身体だからなのか。
この巨大な龍穴の上で暮らしているからなのか。
あるいは、アリエルが持つという膨大な魔力が関係しているのか。
理由は、まだ分からない。
ただ、この状態を灸だけで調えようとすれば、かなり多くの場所へ刺激を入れることになるだろう。
十三歳の身体に、最初からそこまでやる必要もあるまい。
では、気功治療はどうか。
グレイには、それでうまくいった。
儂は足元にいる、灰色の毛を持つ猫の魔物へ目を向けた。
「ニャ?」
「いや。何でもない」
だが、アリエルはグレイとは違う。
身体もグレイと比べれば大きく、その内側にある異質な気の量も多い。
そこへ儂の気を直接入れた時、どう反応するか。
馴染むのか。反発するのか。あるいは、まったく別の変化が起きるのか。
今の段階では、まだ読めない。
それならば――アリエルへの負担が少なく、しかも全身に働きかけられる方法から始めるのがよいだろう。
「本日は、指圧をさせていただきます」
儂は鍼灸師でもあるが、あん摩マッサージ指圧師という資格も持っている。
日本でも、患者の状態によって鍼灸と指圧を使い分けていた。
「シアツ?」
アリエルが首を傾げる。
儂は両手を開いて見せた。
「指で身体を圧しながら、全身の状態を調えていく治療ですな」
・・・・・・
アリエルには、楽な姿勢でベッドへ横になってもらった。
「マコト様」
アリエルは寝た状態のまま儂を見つめる。
「なんですかな?」
「私の身体のことは、すべてマコト様にお任せします」
「……ありがたいことです」
まだ出会って数日だが、この少女の人となりはある程度は分かっているつもりだ。
本心から言ってくれているのだろう。
迷いのない声だった。
患者がこちらを信頼してくれる。
治療する者にとって、これほどありがたいことはない。
この信頼には、誠実な治療で応えさせてもらおう。
「では、始めますぞ」
指圧とは何か。
指で経穴――いわゆるツボを圧し、一定時間その圧を保ちながら身体を調えていく手技療法だ。
昨日は問診、脈診、舌診を行った。
東洋医学には、ほかに「切診」という診断法がある。
実際に患者の身体へ触れ、その状態を確かめる方法だ。
脈を診るのも切診の一つだが、ほかにも皮膚の温かさや冷たさ、硬さ、張り、圧した時の反応などを確かめていく。
見るだけでは分からないことも、手で触れることで見えてくるのだ。
指圧では、その切診と治療をほぼ同時に進めていく。
身体に触れ、状態を確かめ、その反応を見ながら圧を加えていく。診断と治療を切り離さず、一続きのものとして考えるのだ。
いわば、診断即治療。
儂はアリエルの身体の状態を確かめながら、そのまま治療へ入っていった。
アリエルの蛇気をどうにかする、という目的を考えれば、ただ筋肉を揉みほぐすだけでは足りない。
儂がこれから行うのは、“経絡指圧”という方法だ。
身体を走る経絡を意識しながら筋肉を緩め、経穴へ働きかけ、気の流れを調えていく。
ゆっくり、深く。
だが、強すぎてはいけない。
指を沈める。
そこで止める。
そして待つ。
身体がこちらの圧を受け入れ、ふっと緩んだところで、次へ移る。
「……う」
アリエルから、小さな声が漏れた。
「痛いですかな?」
「いえ……気持ちいいです」
「なら結構ですな。痛いだけではよくありません。かといって、気持ちいいだけでも少し足りない。心地よい痛み――“快痛”が大切なのです」
「心地よい痛み……まさに、そのような感じですね」
旅の疲れは、確かに残っていた。
肩から背中、腰、脚へと触れていくと、あちこちに緊張がある。
十三歳とはいえ、領主の娘としての生活に加え、日頃から貴族としての勉強や魔法の訓練もしているらしい。
そこへ長く続く体調不良、二日間の旅、そしてゴブリンとの遭遇だ。
身体が力んでいないはずがない。
一つずつ、丁寧に緩めていく。
そうして指圧を続けていると、アリエルの呼吸が少しずつ深くなってきた。
「……ふぅ」
瞼も、だんだん重くなっている。
「眠ってしまっても構いませんぞ」
「でも……」
アリエルは眠気に耐えようとしている。
まだ少女とはいえ、貴族の女性だ。人前で眠ってしまうことに抵抗があるのかもしれない。
「治療中に眠る患者など、珍しくもありませぬよ。『寝てもいいですか?』と聞いておいて、儂が返事をする前に寝てしまった者もおりましたからな」
「では……少しだけ……」
もう、声が半分眠っている。
そばに控えていたサラが、思わず微笑んだ。
儂はそのまま治療を続けた。
眠ったことで余計な力が抜けたのか、アリエルの身体はさらに緩んでいく。
それに合わせるように、経絡の流れも少しずつ変わってきた。
「……ほう。この世界の身体でも、指圧でちゃんと変化するようじゃな」
滞っていたアリエル自身の気が、ゆっくりと動き始めている。
昨日より、ずっと分かりやすい。
だが、その中へ薄く広がっている異質な気までは、そう簡単には動かないだろう。
少し身体が緩んだ程度で変化するものではない。
そう思っていたのだが――。
「……ん?」
儂の指が止まった。
異質な気が、流れている。
アリエル自身の気と一緒に。
追い出されたわけではない。
消えたわけでもない。
混ざったのか?
いや、一つになったわけではない。二つの気は、二つのままだ。
それなのに、互いを拒むことなく、同じ経絡の中を進み始めている。
白の気と黒の気が、それぞれの色を失わぬまま、絡み合うように流れていく。
「これは……太極図か?」
その時だった。
アリエルの身体に、淡い光が浮かんだ。
「……!」
儂は目を見開いた。
細い光だった。ごく淡い。
それでも、はっきりと見える。
腕から肩へ。肩から胸へ。胸から腹へ、さらに脚へ。まるで経絡そのものが、身体の内側から光を帯びているようだった。
「マ、マコト殿!」
サラが思わず声を上げた。
「これは……大丈夫なのですか!?」
どうやら、儂だけに見えているものではないらしい。
「…………」
分からん。
こんなものは、儂も見たことがない。
九十年以上生きてきた。七十年以上、人の身体を診てきた。
それでも、こんな光景は初めてだった。
「アリエル殿」
ならば、本人に聞くのが一番早い。
「……え?」
アリエルが薄く目を開けた。
「何か変な感じはありますかな?」
「変な……?」
「苦しいとか、熱いとか、痛いとか。そのような感じです」
「いえ……」
眠たそうな目でこちらを見る。
「とても……心地いいです……それに……眠い」
そう言うと、また目を閉じた。
「…………」
サラが儂を見る。
儂もサラを見る。
そして二人で、もう一度アリエルを見る。
淡い光は、今も経絡に沿ってゆっくりと流れていた。
その光の中では、アリエル自身の気と、あの異質な気が、互いに押し合うことも、弾き合うこともなく進んでいる。
一つに溶け合うのではない。二つのまま、同じ流れの中にいる。
白は白のまま。
黒は黒のまま。
それでも、共に流れている。
儂は我知らず呟いていた。
「……異世界に来たんじゃなあ」
龍を見た時よりも、今の方がずっと異世界に来たのだと実感していた。




