第31話 休むことも治療のうちじゃ
用意された部屋には、大きなベッドが一つ置かれていた。
窓からは柔らかな日の光が差し込み、静かで落ち着いた部屋だ。
「助手をつけましょうか?」
そう尋ねられたが、儂は断った。
「いや、必要ありませんぞ」
診察をするだけなら、一人で十分だ。
ただし、アリエルは十三歳の少女である。
儂の中身が九十三歳の爺だろうと、見た目は十歳ほどの少年だ。余計な誤解を招く必要もない。
結局、昨日の会談にも同席していた女性騎士が、付き添いとして一人だけ部屋に残ることになった。
そこで、ふと気づく。
「そういえば、まだお名前を聞いておらなんだな。今日はよろしく頼みますぞ」
声をかけると、その女性騎士は姿勢を正して一礼した。
赤毛が印象的な凛々しい女性騎士だ。
「申し遅れました。サラと申します。辺境騎士団に所属しており、アリエル様の護衛を拝命しています。マコト殿、よろしくお願いいたします」
「サラ殿か。こちらこそ、よろしく頼みますぞ」
落ち着いた話し方をする人だ。
昨日の様子を見ても、周囲によく目が届いている。面倒見もよさそうで、どことなく姉御肌という言葉が似合う。
アリエルの付き添いを任されるのも、なんとなく分かる気がした。
アリエルがベッドの横に置いてあった椅子へ腰を下ろす。
「では、何をすればよいでしょうか?」
どことなく楽しそうでもある。旅から帰ってきたばかりだというのに、さすが辺境領主の娘だ。肝が据わっておる。
「まずは話を聞かせてもらおうかの」
儂は彼女の正面へ椅子を持ってきた。
治療の前に、まず診察。
そして診察は、問診から始まる。
これは世界が変わろうと同じことだ。
「身体の調子が悪くなったのは、いつ頃からじゃ?」
アリエルは少し考えた。
「はっきり覚えているのは、三年ほど前からです」
「最初はどんな具合じゃった?」
「疲れやすくなりました。魔法の訓練をしたあと、以前より身体が重くなるようになって……」
「ほうほう」
そこから、儂は順に話を聞いていった。
いつから始まったのか。最初はどんな症状だったのか。それが今までにどう変わったのか。去年はどうだったか。一昨年はどうだったか。
「今、一番つらいのは?」
「身体の重さ……でしょうか。朝起きた時から、身体の奥に何かが残っているような感じがします」
「楽になる時はありますかな?」
「眠ったあとは少し。でも、魔法をたくさん使うと悪くなります」
「食欲は?」
「あります」
「好き嫌いは?」
「……少しだけ」
「少し、というのは?」
アリエルが、すっと目を逸らした。
隣に立つサラの口元が、わずかに緩む。
なるほど。
本人は隠しているつもりでも、周りにはすっかり知られているようじゃな。
さらに、食事や睡眠、小便や便通、これまでの怪我や病、生まれた時のこと、家族に似た症状を持つ者がいるかまで尋ねていく。
質問が増えるにつれ、アリエルは少し不思議そうな顔になった。
「ずいぶん、いろいろなことを聞くのですね」
「身体というものは、全部つながっておりますからな」
腹の具合と頭痛が無関係とは限らない。眠りと食欲も、呼吸と筋肉も、心と身体も、それぞれ切り離して考えることはできない。
一つだけ見て分かることなど、たかが知れている。
一通り話を聞き終えると、儂は手を差し出した。
「では、手を」
「はい」
細い手首を取り、橈骨動脈へ三本の指を置く。
アリエルが、不思議そうに儂の指を見た。
「何をしているのですか?」
「脈を診ております」
「脈?」
「鍼灸では、この脈を診る“脈診”という診断法を大切にしているのです」
指先へ意識を集める。
脈が浮いているか、沈んでいるか。速いか遅いか。強いか弱いか。滑らかに打っているか、それともどこか滞っているか。
左右を比べ、指の圧を変えながら、浅いところから深いところまで診ていく。
「それで、何が分かるのですか?」
「いろいろ分かりますぞ」
「いろいろ?」
「身体の調子、元気があるかどうか、どこに不調があるか、内臓の状態、食事や睡眠。それから――気の状態じゃな」
アリエルが目を丸くする。
「脈だけで?」
「脈だけで判断するわけではありませんがの」
しばらく診ていると、なるほどと思う。
やはり疲れている。
二日間の旅に加えて、その前にはゴブリンに襲われ、魔力も使っている。昨日より調子がいいとはいえ、身体そのものの疲労まで消えたわけではない。
「旅で疲れておりますな」
「……分かるのですか?」
「ちゃんと脈に出ておりますぞ」
「すごい……」
「いやいや。これが仕事じゃ」
念入りに脈を診ながら、その奥にあるものへ、ほんの少し意識を向けた。
やはり、いる。
この世界の人間から感じる気とは違う。森の異変で感じた、あれと同じものだ。
薄い。
だが、広い。
アリエルの身体のあちこちへ、染み込むように存在している。
まだ判断はしない。
診断はまだ残っている。
さあ次だ。
「では、舌を見せていただきましょうか」
「…………え?」
「舌じゃ」
「舌ですか!?」
なぜそんなに驚く。
「地球では、“舌診”と言って舌の状態を診て全身の調子をみるのです」
「舌で……全身を?」
「色や形、苔のつき方、潤い。いろいろ見るところがあるのですよ」
「はあ……」
「では、舌をべーっと出してみてくだされ」
「べー、ですか」
「べー、じゃ」
アリエルは少しためらった。
隣ではサラが、必死に表情を変えまいとしている。
「……笑っていませんか?」
「いいえ。決して」
真面目な顔で否定するサラ。この娘もなかなかいい性格をしてるようだ。
「それでは、アリエル殿。口を開けてくだされ」
「…………はい」
アリエルは覚悟を決めたのか、目を閉じ、おそるおそる舌を出した。
「べー……」
「うむ」
儂は少し顔を近づけて観察する。
色、形、舌苔、乾湿。
ひと通り見たところで頷いた。
「もうよろしいですぞ」
アリエルは、すぐに舌を引っ込めた。
少し頬が赤い。
「こんな診察は初めてです……」
「儂は何万まいと見てきましたがな」
「何万回……」
さて。問診、脈診、舌診は済んだ。
まだ診たいものはあるが、儂は窓の外へ目を向けた。
いつの間にか、日が傾き始めている。
アリエルは今日、長旅を終えて帰ってきたばかりだ。
「今日はここまでじゃな」
「え?治療は?」
「明日からにしましょう」
「でも、私はまだ大丈夫です」
「大丈夫かどうかを決めるのも、儂の仕事なのです」
優しく、だがきっぱりと言うと、アリエルは黙った。
「そして今日は休むことが、アリエル殿の仕事じゃ。よく食べて、風呂に入って、しっかりお眠りなさい」
「……それも治療なのですか?」
「むろんです。美味いものを食って、温かい湯に浸かって、ぐっすり眠る。身体を治すのに、これほど大切なものもないのですぞ」
アリエルも、ようやく笑顔が戻ってきた。
「分かりました」
儂はニカッと笑ってみせた。
「うむ。よい患者ですな」




