第30話 老鍼灸師は、治せるとは言わない
領主アーセルは、しばらく何も言わなかった。
何か心当たりがあるようにも見える。
だが今は、それよりアリエルだ。
「問題は、その龍脈です」
「何かあるのか?」
「異質なものが混じっております」
「異質なもの?」
「気に似ておりますが、儂の知る気とも、この世界で感じる魔力とも少し違うものです」
アーセルの眉が寄る。
森でも感じた。グレイの身体にも、龍穴にもあった。
そして今、この土地の遥か下を流れる巨大な龍脈にも、同じ気配が混じっている。
「それが、娘の病と?」
「おそらくは」
儂はアリエル殿を見る。
「アリエル殿の身体にも、同じものを感じます」
アーセルの顔から、わずかに血の気が引いた。
「しかし、なぜアリエルだけが?」
「そこですな」
まだ仮説にすぎない。
だが、昨日からアリエル殿を見ていて、ひとつ気になっていることがある。
「どうも、この世界でいう魔力の大きさと、異質な気の影響には何か関係があるように思えます」
「魔力の大きさと……」
アーセルの表情が変わった。
「……それなら」
「何か心当たりが?」
アーセルは娘へ目を向ける。
「アリエルの魔力量は、強いなどというものではない」
「お父様」
アリエルが、少し困ったように父をたしなめる。
「事実だ」
アーセルは儂へ向き直った。
「この子の魔力量は、生まれつき異常なほど大きい。同年代とは比較にならない。成人した優秀な魔術師たちと比べても、なお桁が違う」
「それほどですか」
ガイルも頷く。
「アリエル様の魔力量は、辺境でも広く知られております」
なるほど。それなら、ますます無関係とは思えない。
「幼い頃から、魔力が大きすぎることが身体へ負担をかけているのではないかと考えてきた」
アーセルが続ける。
「何人もの治癒師や魔術師に診せた。だが、誰にも原因は分からなかった」
その手が、わずかに握られた。
「もし、マコト殿の言う異質な気というものが、魔力の大きい者ほど引き寄せられるのだとすれば……」
「そこまでは、まだ分かりません」
儂は首を振った。
「引き寄せるのか。反応しやすいのか。それとも、魔力が大きいことで身体の中の均衡が崩れやすいのか。今の段階では、どれとも断定できません。ただ――何らかの関係がある可能性は高そうですな」
アーセルは、しばらく黙っていた。
やがて静かに口を開く。
「マコト殿」
「はい」
「娘を、治せるだろうか」
それは領主の声ではなかった。
最初に儂へ頭を下げた時と同じ。
一人の父親の声だった。
だから儂も、鍼灸師として誠実に答える。
「まだ分かりません」
アーセルの表情が固まった。
「治るとも、治らぬとも、今の段階では申し上げられません」
まだ脈も診ていない。
安請け合いをするつもりはなかった。
七十年以上この仕事を続けてきても、まず診なければ何も始まらない。
それは、ここが異世界であっても同じだ。
「それに――治すのは、アリエル殿の身体です」
「娘の……身体?」
「ええ。儂が治すのではありません。儂にできるのは、その力が働けるように手を貸すことだけです」
アーセルは、黙って儂の言葉を聞いていた。
「しかし――」
儂はアリエルを見る。
「太極拳を少ししただけで、これだけ身体にはっきりと変化が出たのです」
流れを整えることには、きちんと身体が応えている。
「ならば、手の打ちようはあると思いますぞ」
アーセルの目に、わずかに光が戻った。
「お願いできるだろうか」
「もちろんです」
儂は頷く。
「そのために、ここまで来たようなものですからな」
アーセルが、小さく息を吐いた。
儂は改めてアリエルへ向き直る。
「では、アリエル殿」
アリエルはまっすぐに儂の目を見る。強い娘だ。
「はい」
「まずは――」
七十年以上、何千、何万と繰り返してきた言葉を口にする。
「脈を診せてもらいましょうか」




