第28話 アドヴァーン領主が十歳の老鍼灸師に困惑する
アドヴァーン城の中も、外から見た印象とほとんど変わらなかった。
華美な装飾は少ない。
分厚い石壁。広い廊下。頑丈そうな扉。
窓も必要以上に大きくはなく、ところどころに武器や甲冑が置かれている。
人を感動させたり、驚かせるための城ではない。
守るための城。そして、いざとなれば戦うための城だ。
「よい城ですな」
儂がそう言うと、隣を歩いていたアリエルが嬉しそうに笑った。
「父が聞いたら喜ぶと思います」
その父親とやらに、これから会うことになっている。
領主アーセル・アドヴァーン。
この巨大な辺境都市と、その周辺一帯を治める男。
アリエルの父親でもある。
案内された部屋へ入ると、その男はすでに儂らを待っていた。
「お父様」
アリエルが呼ぶ。
なるほど。
一目見て、領主だと分かった。
背が高い。無駄なく引き締まった身体。鷲のように鋭い目。
鼻の下から左右へ伸びた立派な髭は、先端がわずかに上を向いている。
儂の知っている言い方なら、カイゼル髭というやつだ。
衣服も上等ではあるのだろうが、必要以上の飾りはない。
この城とよく似ている。いや、こういう男が領主たから、このような城になるのか。
実用的で、堅牢。長く戦いの土地を治めてきた者の顔をしている。
アーセルは娘の姿を見ると、一瞬だけその鋭い目を緩めた。
「アリエル」
「ただいま戻りました」
「よく無事で戻った」
短い言葉だった。だが、それだけでアリエルへの深い愛情が伝わってくる。
すぐにアーセルの視線が儂へ移る。
「あなたが、マコト・イエロー殿か」
儂は一歩進み、頭を下げた。
「お初にお目にかかります。マコト・イエローと申します。こちらへ来てまだ日の浅い身ではございますが、よろしくお願いいたしますぞ」
アーセルの眉が、ごくわずかに動いた。
見た目は十歳ほど。
そのくせ話し方は老人。
まあ、妙に思うのも無理はない。
「アーセル・アドヴァーンだ。この地を預かっている」
そう名乗ると、アーセルは儂をまっすぐ見た。
そして、深く頭を下げる。
「マコト殿。娘を救っていただいたこと、心より感謝する」
「お父様……」
「これは領主としてではない」
アーセルはゆっくりと顔を上げた。
先ほどまで見せていた領主の顔とは違う。
そこにあったのは、一人の父親の顔だった。
「父としての礼だ。本当に、ありがとう」
儂は少しだけ目を丸くした。
領主というものが、どれほど偉いのかはまだよく分かっていない。
ただ、少なくともこの城で一番上に立つ男なのだろう。
その男が、儂のような得体の知れぬ子供に、これほど真っ直ぐ頭を下げている。
悪い気はせん。
儂はニカッと笑った。
「なあに。儂はたまたま通りかかっただけです」
アーセルが顔を上げる。
「それに、あの場にいた騎士たちは、儂を逃がそうとしてくれましたからな」
見ず知らずの子供を守ろうとした者たち。
そして、その主人であるアリエル殿は、自分の護衛を減らしてまで村人を助けようとした。
「よい者たちですな」
アーセルは少し黙り、それから静かに答えた。
「……そう言っていただけると、ありがたい」
一通りの挨拶を終えたところで、アリエルが父親へ声をかけた。
「お父様。お話ししておきたいことがあります」
「何だ?」
「できれば、人の少ない場所で」
アーセルの目が細くなる。
「分かった」
・・・・・・
話し合うため、場所を変えることになった。
通されたのは、先ほどよりずっと小さな部屋だった。
大きな机と椅子。壁には地図。棚には書類が並んでいる。
おそらく私的な会談などに使う部屋なのだろう。
中に入ったのは、アーセル、アリエル、儂、騎士団長ガイル。
それからアリエルの護衛らしい男女が一人ずつ。
「ニャ」
当然のようにグレイも入ってきた。
男性の護衛が一瞬グレイを見たが、アリエルが何も言わないので黙っている。
グレイは儂の足元へ座った。
「それで?」
アーセルが娘を見る。
「話とは何だ」
「私の身体のことです」
その言葉だけで、アーセルの表情が変わった。
「何かあったのか?」
「いいえ。逆です」
アリエルは首を振った。
「今、とても調子がいいのです」
「……何?」
思いがけない言葉に驚いたようだ。旅で娘の体調が悪くなることを心配していたに違いない。
「これほど身体が軽いのは、いつ以来か思い出せないくらいです」
アーセル殿は黙った。
喜ぶより先に、驚いている。
それほどアリエル殿の不調は長く続いていたのだろう。
「どういうことだ?」
「マコト様に、太極拳というものを教えていただきました」
「タイキョクケン?」
「地球という星の武術であり、気功法だそうです」
アーセル殿の眉間に皺が寄った。
聞いたことのない言葉ばかりだろう。
「ほんの少し教えていただいただけなのですが、それをした後から身体がとても楽になりました。それに、魔力も今までよりずっと扱いやすくなったのです」
「魔力まで?」
「はい」
アリエル殿は自分の手を見る。
「今までは、少し動かすだけでも自分の中で何かが引っかかるような感覚がありました。でも、太極拳のあとは……流れるように動くのです」
アーセル殿の視線が儂へ向いた。
「マコト殿が?」
「儂も、そこまで変わるとは思っておりませんでしたがな」
「それだけではありません」
アリエルが続ける。
「マコト様は、私が何もお話しする前から、身体に異常があることに気づいていました」
アーセル殿の目つきが鋭くなった。
「本当か?」
「はい。そして、アドヴァーンへ着いたらきちんと診ると仰ってくださいました」
「団長」
「はっ」
アーセルに呼ばれ、ガイルが一歩前へ出た。
「私もこの目で見ています」
ガイルは、儂と出会ってからのことを簡潔に説明した。
ゴブリンの群れに襲われたこと。
負傷した騎士たちの処置。
回復薬や治癒魔法で傷を塞いだあと、儂が気功とやらで身体の消耗を整えたこと。
そして今朝、アリエルが太極拳を行ったあとの変化。
「少なくとも、アリエル様の顔色は明らかに違います」
「……そうか」
アーセル殿は娘を見る。
父親なら分かるのだろう。
「確かに……」
その声に隠しきれない安堵の気持ちが混じっていた。
「ここしばらくで一番よい顔をしている」
「はい」
アリエルが微笑む。
アーセルは、しばらく娘の顔を見ていた。
やがて、儂へ向き直る。
「マコト殿。あなたは一体――」
「あの、お父様」
アリエルが遮った。
「そのことなのですが」
「何だ?」
「先に、お話ししておいた方がよいことがあります」
なぜか言いにくそうだった。
「何をだ?」
「マコト様についてです」
儂について?
アリエルは一度儂を見た。
儂が頷く。別に隠すことでもない。
「マコト様は……」
アリエルが少し迷う。
「九十二歳だそうです」
「…………」
アーセルの鷲のような目が止まった。
「何?」
「いえ、こちらへ来てからの時間を考えると、九十三歳になっているかもしれないそうです」
今度は男女の護衛が儂を見る。
「アリエル」
「はい」
アリエルは、こうなることが分かったいたかのよつに落ち着いて答えるり
「私には、この方が十歳ほどの少年に見える」
「私にもそう見えます」
「では、なぜ九十三歳なのだ」
「それが……」
アリエルは少し困った顔をした。
「マコト様は、この世界の方ではありません」
沈黙。
「……続けなさい」
「地球という別の星から来られたそうです。その地球の、日本という国で暮らしておられました」
アーセル殿は何も言わない。
「そこで九十二年間、人間として生きておられて……」
「人間として?」
「はい」
「エルフなどではなく?」
「人間だそうです」
このやり取り、前にも聞いたな。
「そして、神に呼ばれて、この世界へ来られました」
「神?」
ついにアーセル殿の表情が崩れた。
「神とは、あの神か?」
「たぶん、その神様ですな」
儂が答える。
アーセル殿がこちらを見る。
「マコト殿。本当に神と会ったのか?」
「ええ。直接お話しいたしましたぞ」
「…………」
アーセルはなんとか表情を保ちながら話を聞いている。
「なかなか強引な神様でしたがな」
「強引……」
「儂を呼ぶのに、ずいぶん苦労されておりました」
ガイルが急に口に手を当て、目を伏せた。
どうも笑いをこらえているようだ。
「それで」
アリエルが何とか話を戻す。
「この世界へ来る際、元のお身体では都合が悪いということで、今のお身体を神から与えられたそうです」
「それが、この十歳ほどの身体?」
「はい」
アーセルは額へ手を当てた。
「……なるほど」
本当に納得したのか?
たぶんしておらん。
「そして地球では、七十年以上、鍼灸師という仕事をされていたそうです」
「シンキュウシ」
「こちらでいう治癒師に近いのだと思います。鍼と灸というものを使って、人の身体を治療する仕事だそうです」
「違う世界の治癒師……」
今度は少し理解できたらしい。
アーセルは改めて儂を見た。
「つまりマコト殿は、九十三歳ほどの治癒師で、別の世界から神に呼ばれ、十歳の身体になった……ということでよいのか?」
「だいたい合っておりますな」
「…………そうか」
しばらく沈黙が続いた。




