第22話 九十三歳かもしれん
「怪我人を診ようか」
儂が騎士たちへ歩き出すと、それまで荷物のそばで大人しくしていたグレイが立ち上がった。
こちらへ駆け寄り、儂をかばうように前へ出る。
その瞬間、騎士たちの緊張が一気に高まった。
「魔物!?」
一人が剣を構え、それにつられるように何人かが武器へ手をかける。
「待て待て」
儂はグレイの前に出て、両手を広げた。
「こやつは大丈夫じゃ」
「しかし、その角……!」
グレイの額には、黒曜石のような一本の角が生えている。
こちらの者たちから見れば、やはり立派な魔物らしい。
「こやつはグレイという。森で知り合っての。それから一緒に旅をしとる」
「魔物と……一緒に?」
「そうじゃ」
「従魔なのですか?」
聞き慣れない言葉だった。
「従魔?」
「契約を結び、使役している魔物です」
「いや。そんなものはしとらん」
儂はグレイの頭を撫でた。
「ただの連れじゃよ」
「ニャ!」
そうだ!と、グレイも当然のように返事をする。
騎士たちは顔を見合わせた。どうやら、それはそれで珍しいことらしい。
「グレイ。この人たちは大丈夫じゃ」
「ニャ」
儂が言うと、グレイはすぐに警戒を解き、何事もなかったように足元へ座った。
それを見て、騎士たちもようやく剣から手を離す。
「先ほどは……助けていただき、ありがとうございました」
一人の男が進み出た。
ひときわ鋭い剣を振るっていた騎士だ。
四十前後だろうか。他の騎士より装備がよく、立ち姿にも落ち着きがある。どうやら、この一団を率いている人物らしい。
男は儂へ深く頭を下げた。
それに続き、周囲の騎士たちも一斉に頭を下げる。
「あなたが来なければ、我々はかなりの被害を受けていたでしょう」
「なあに。通りかかっただけじゃ」
儂の見かけの年齢にそぐわない話し方を聞いても、男は表情を崩さなかった。
なかなか好感の持てる御仁じゃな。
「それでもです」
男は顔を上げた。
「私は辺境騎士団の団長を拝命しております、ガイルと申します」
「ガイル殿か。丁寧に痛み入る。儂はマコト・イエローという者じゃ」
その時、馬車の方から声がした。
「団長」
若い女性だった。
騎士たちが一斉に振り返る。
「アリエル様! まだ出てこられては――」
「もう戦いは終わったのでしょう?」
馬車を降りた少女は、そのまま儂の前まで歩いてくると、丁寧に頭を下げた。
まだ若い。
いや、幼いと言ってもいい年頃だ。今は十歳である儂よりは年上のようだが、それでもまだ少女と呼ぶのがふさわしい。
その身なりや周囲の反応を見れば、ただの旅人ではないことくらいは分かる。
「この方が、私たちを助けてくださったのですね」
「はい。マコト・イエロー殿とおっしゃるそうです」
ガイルが答える。
少女は改めて儂へ向き直り、しっかりと頭を下げた。
「マコト・イエロー様。助けていただき、ありがとうございました。私はアリエル・アドヴァーンと申します。この辺境領を治める領主の娘です」
「ほう。アドヴァーン領主のお嬢さんでしたか」
これは奇遇なご縁だ。
儂らが向かっている領地の娘だったとは。
儂も軽く頭を下げ、改めて名を告げる。
「儂はマコト・イエローと申します。以後、どうぞよしなに」
「マコト・イエロー様……」
アリエルは、その名を確かめるように繰り返した。
それから少し迷うように、こちらを見る。
「失礼ですが、マコト様は……いったいどのようなお方なのでしょうか?」
もっともな質問だ。
周囲の騎士たちも、いっせいにこちらへ視線を向ける。
十歳ほどにしか見えない子供が、武器も持たずにゴブリンの群れを倒し、挙げ句には魔法まで消してしまったのだ。
気にならない方がおかしい。
「実は、儂らも辺境都市アドヴァーンへ向かう途中だったのです」
「まあ、そうでしたか」
アリエルの顔がぱっと明るくなる。どうやら少し安心したらしい。
だが、すぐにまた何かが気になったようで、今度は言葉を選びながら尋ねてきた。
「あの……マコト様のお国では、皆さん、そのような話し方をされるのですか?」
どうやら、年齢にそぐわない儂の口調が気になっていたらしい。
「いや。身体は若返ったとはいえ、この口調はなかなか変わりませんでな。もとは九十二歳じゃし」
アリエルが瞬きをした。
「……はい?」
「いや、待てよ」
儂は顎へ手をやった。
「こちらへ来てから、どれくらい経ったかのう」
森で過ごした日々を思い返す。おそらく数か月ほどは経っていると思うのだが、そもそもこの世界の一年が地球と同じ長さなのかすら確認していない。
「もしかしたら、九十三になっとるかもしれませんな」
「九十三歳……?」
騎士の誰かが、戸惑ったように呟いた。
しばしの沈黙のあと、アリエルがおそるおそる口を開く。
「もしかして……マコト様は、長命種の方なのですか?」
「長命種?」
「はい。エルフなどは、私たち人間とは比べものにならないほど長い年月を生きると聞いています」
「おぉ、えるふという種族のことか」
前任者殿の本に書いてあった。
千年を生きる者もいるらしい。ぜひ一度お会いして、その身体を診せてもらいたいものだ。
「いえ。儂は人間のはずじゃが」
「人間……」
アリエルの視線が、儂の顔から足元までゆっくり下がり、また戻ってくる。
まあ、無理もない。
どう見ても、今の儂は十歳ほどの少年だ。
「少なくとも、九十二年間は人間として生きておりましたぞ」
今度は騎士たちまで、儂の全身をまじまじと見始めた。
「それで、仕事は鍼灸師をしとります。もう七十年ほどになるでしょうか」
「シンキュウシ……?」
アリエルの口元が、わずかに引きつった。十三歳の彼女には、七十年など途方もない時間に聞こえるのだろう。
「マコト様は、どちらの国からいらしたのですか?」
ガイルが助け舟を出してきた。
「儂は日本という国からやって参りました」
「ニホン……?」
「地球という星にある国でしてな」
「チキュウ……?」
騎士たちの間に、また小さなざわめきが走る。
「聞いたことのない地名ですが……」
ガイルが慎重に言葉を選んで尋ねてきた。
「それは……ここから、ずいぶん離れた場所にあるのでしょうか」
「遠いでしょうな。なにしろ、この世界にはありませんので」
「この世界には……ない?」
「ええ。儂は別の世界から来た者でしてな」
アリエルが、ゆっくり瞬きをする。
「別の……世界?」
「左様です」
「どうやって?」
「神様に呼ばれましてな」
「…………」
アリエルの口が、今度こそ完全に止まった。
騎士たちまで、微動だにしない。
しばらくして、ようやくガイルが口を開いた。
「神と申されましたか……?」
「ええ」
「神とは……あの、神ですか?」
「この世界にどのような神がおるのかは存じませんが、ご本人がそうおっしゃってましたからの」
今度はガイルの口も止まった。
「それで、こちらへ来るには元の身体では都合が悪いそうでしてな。新しい身体を用意してくださいました。十歳くらいだそうです」
儂は自分の身体を見下ろした。
「なかなかええ身体でしてな。まだ育ち盛りで、すぐ腹が減ってしまいます。カッカッカッ」
誰も答えなかった。
風だけが吹き抜け、草がさわさわと揺れている。
「……団長」
アリエルが小さな声で呼んだ。
「はい、アリエル様」
「私、何から聞けばいいのでしょう」
「申し訳ありません。私にも分かりません」
「そうですか」
儂は頷いた。
「まあ、分からんことがあれば、何でも聞いてくだされ」
その言葉に、アリエルも騎士たちもさらに困った顔をした。




