第20話 SIDE 騎士団 なんなんだ、あの子供は
包囲していたゴブリンの一匹が、こちらへ向かってくる少年に気づいた。
奇声を上げ、剣を手に駆け出す。
「危ない! 逃げろ!」
騎士が叫んだ。
だが、少年は慌てる様子もなく、向かってくるゴブリンを眺めている。
「生き物相手に技を試すのは、初めてじゃな」
小さな呟きは、ゴブリンの咆哮にかき消された。
荒々しく剣が振り下ろされる。
刃が少年の頭を捉えた――ように見えた。
「えっ?」
見ていた騎士の口から、間の抜けた声が漏れる。
剣が通り抜けた場所に残っていた少年の姿が、ふっと薄れた。
霧がほどけるように。
水面に映った月が揺らぐように。
残像だけをその場に置き去りにして、少年はすでにほんの少し離れた場所へ立っていた。
「ギャッ?」
ゴブリンが慌てて振り向き、もう一度剣を振るう。
今度こそ少年の身体を斬り裂いたはずだった。
「またあの動きだ!」
騎士の一人が叫ぶ。
刃が通り抜けた瞬間、少年の姿がわずかに揺らぎ、その輪郭が空気へ溶けるように消えていく。
そこにあったのは、またしても残像だった。
「あれは技なのか……?」
一人が呆然と呟く。
「剣の軌道を完全に見切ってかわしている……?」
「いや、それでは説明がつかん。動いた瞬間が見えなかったぞ」
「幻術ではないのか!?」
「だが、魔力の気配がない!」
「じゃあ、なんなんだよ……」
誰かが乾いた声を漏らした。
離れて見ている騎士たちでさえ、少年がいつ動いたのか分からない。速いというだけでは説明がつかない。なんらかの魔法も発動していない。
ただ一つ分かるのは――剣が届くたび、そこには少年の残像しか残っていないということだった。
ゴブリンが苛立ったように大きく吠えた。
その声に応じ、さらに二匹が飛び出してくる。
三方向から、ほとんど同時に刃が迫った。
「まずい!」
三本の剣が少年へ殺到する。
多方向からの一閃、二閃、三閃。
その中心で、少年の姿がふっと揺らいだ。
どの刃も確かに身体を斬ったように見えた。
だが、血は一滴も飛ばない。
三匹が斬っていたのは、やはりすべて残像た。
「どこだ!?」
騎士が目で追う。
いた!
いつの間にか別のゴブリンの目の前にいる。
そのゴブリンが目を見開き、慌てて腕を振り上げた。
だが、少年はすでにその懐へ入り込んでいた。
「さて」
少年が小さな呟きが聞こえた。
その顔に怒りはない。憎しみもない。殺気もない。
ただ――もう殺すと決めている。
そんな目だった。
少年がゴブリンの胸へ、軽く手を触れた。
トン。
それだけで、ゴブリンの瞳から力が消える。
剣が手から滑り落ち、膝が折れ、そのまま地面へ崩れた。
「触れただけで魔物を殺した……!?」
騎士たちが凍りつく。
だが、残ったゴブリンたちは止まらなかった。完全にこの少年を自分たちの“敵”と認識している。
一斉に吠え、剣や斧、棍棒を振り上げて、四方から少年へ襲いかかる。
「誰か助けに入れ!」
自分も二匹のゴブリンを相手にしている騎士団の一人が叫んだ。
しかし、どうやらその助けは少年に必要なかったらしい。
少年は襲ってくるゴブリンたちへ向かって歩いていく。
まるで森の中を散歩でもしているように。
剣が振り下ろされる。
ふっ。
刃は幻を斬った。
次の瞬間。
トン。
一匹が倒れる。
別のゴブリンが槍を突き出す。
少年の身体を貫いた――と思った時には、その姿はもうない。
気づけば懐に入っている。
離れて見ている騎士には、まるで瞬間移動の魔法でも使っているように見えた。これではゴブリンが動きを捉えられるはずがない。
トン。
また一匹。
斧が振るわれる。外れる。棍棒が飛ぶ。当たらない。
そしてまた、「トン」という軽すぎる音と共に、ゴブリンの命が消える。
少年は決して急がなかった。
力まず、構えず、声も上げない。
ただ群れの中を歩き、相手の攻撃が来れば消え、気づけば懐に入り、軽く触れる。
その触れ方がまるで労わっているかのように優しいのだ。
小さな子供の頭でも撫でるかのように。医師が患者の体に触れる時のように。
それなのに、少年が通り過ぎたあとには、ゴブリンだけが静かに倒れていった。
「……なんなんだ、あの子供は」
誰かが、ぽつりと呟いた。
殺気を出さずに敵を倒すことは、こんなにも恐ろしいのか。
ただ歩き、ただ触れる。それだけで、敵の命が消えていく。
騎士たちは、いつしか剣を構えることすら忘れていた。




