第15話 新しい仲間の名は、グレイ
しばらく撫でていると、猫のような魔物がふいに顔を上げ、森の奥を見つめた。
儂にも分かる。さっきまでとは、また森の様子が変わった。
耳を伏せ、尻尾を下げている。儂を警戒しているのではない。あちらを怖がっているのだ。
「大丈夫じゃ」
魔物の耳が、わずかに動いた。
「おぬしはもう、儂の患者じゃ。何が来ても、儂が守ってやる」
儂はその顔を見て、ニカッと笑った。
もちろん、言葉が通じているかは分からない。
それでも魔物は、しばらく儂を見つめたあと、「ニャ!」と鳴いた。
儂は立ち上がり、もう一度、周囲の気を探った。
重い。湿っている。そして、流れていない。
先ほどこの魔物の身体にあった異質な気と、この場所に滞っているもの。どこか似ている。
「……おぬしだけではないのか」
改めて周囲を見渡す。
鳥も虫も少ない。地面は妙に湿り、木々は枯れてはいないものの、葉の色にはどこか生気がない。風は吹いているはずなのに、この辺りだけ空気がよどんでいる。
昨日までなら、それぞれ別の異変として見ていただろう。
だが、こやつを診た今なら分かる。
全てつながっているのだ。
儂はしゃがみ込み、掌を地面へ当てた。
目を閉じ、意識を土の奥へ沈めていく。
そこにも、気の流れがあった。
植物の気でも、獣の気でもない。もっと大きな、森そのものを巡っているような流れだ。
そして、その流れが途中で滞っている。
その場所は――先ほどから、この猫の魔物が怯えるように見つめていた方角と重なっていた。
「これは、地脈の気が乱れておるのか……」
目を開ける。
足元の魔物を見る。木々を見る。土を見る。そして、もう一度、森の奥へ目を向けた。
やはり患者は一匹だけではないらしい。それどころか……。
「森が病んでおるのか」
その先に何があるのかは、まだ分からない。
ならば、まずは診てみるしかあるまい。
儂は猫の魔物に向かって声をかけた。
「それではまたの。まだ完全には回復しとらんのじゃから、無理するでないぞ」
最後にもう一度、角のある頭を撫でてやり、魔物が怯えていた方角へ歩き始めた。
・・・・・・
しばらくすると、後ろからトコトコと軽い足音が聞こえてきた。
振り返ると、さっき別れの挨拶をした猫の魔物がいた。
「なんじゃ。おぬしも来るのか?」
「ニャ」
「危ないぞ?」
もう一度 「ニャ」と鳴く。
分かっているのかどうかは怪しいが、帰る気はないらしい。
改めて見ると、なかなか綺麗な毛並みをしていた。弱っていた時には気づかなかったが、灰色の毛は陽の光を受けると銀色にも見える。
額に生えた一本の角も、小さいながら磨いた黒曜石のような艶があった。
「やはり、猫ではないんじゃろうなあ」
前任者殿の残した本にも似たような生き物は載っていたが、まったく同じものかどうかは分からない。
そんな儂の考えなど知るはずもなく、魔物は足元まで来ると、当然のように身体を擦りつけてきた。
「カカッ。調子のいいやつじゃ」
頭を撫でると、ごろごろと喉を鳴らす。
「いつまでも名無しでは、呼ぶのにも困るのう」
灰色の毛を撫でながら、少し考えた。
この世界で初めて診た患者。そして今は、危険かもしれない森の奥へ、儂と一緒に行こうとしてくれている。
仮の名になるかもしれんが、どうせなら似合う名前をつけてやりたい。
「グレイ」
魔物が顔を上げた。
灰色の毛並みから取った名だ。ついでに、儂の新しい名がイエローなのだから、色つながりでちょうどいい。
……少し安直だったかのう。
「おぬし、グレイでええか?」
「ニャ!」
思っていたより、ずいぶん元気な声が返ってきた。
いいね!と言っておるのだろうか。
「そうかそうか」
まあ、気に入ったことにしておこう。
儂はもう一度、その灰色の頭を撫でた。
「では行くぞ、グレイ」
名を呼ぶと、グレイは当たり前のように儂の隣へ並んだ。歩き始めると、素直についてくる。
ところが、しばらく進んだところで、今度はグレイが儂の前へ出た。
少し先まで行っては振り返り、また進んではこちらを見る。
「……ついて来いということか?」
「ニャ」
どうやら、そのつもりらしい。
「おぬし、何か知っとるのか」
グレイは答える代わりに、迷いなく森の奥へ歩き出した。
仕方がない。今度は儂が、その後を追う。
森は次第に深くなっていったが、グレイの足取りに迷いはない。
やがて、木々の向こうに光が差した。
「ほう……」
森が開けた。
その先には――大きな湖が広がっていた。




