第五十四話:復活
光が収まると、そこは元の広間に戻っていた。
「……ハァ……ハァ……」
アレンはアストライアを杖代わりに突き、荒い息を吐きながら立ち尽くしていた。その視線の先には、胸から血を流し、折れた黒剣の柄を握りしめたまま倒れているクラウスの姿があった。
『アレン!』
元の空間から戻ってきたエリーとディーネが、無事なアレンの姿を見て駆け寄ってくる。アレンは手で二人を制し、ゆっくりとクラウスの傍らに屈み込んだ。
「……勝負はついたぞ、クラウス」
クラウスは力なく天を見上げていた。その瞳からは既に魔族特有の赤みが消え、元の澄んだ貴族の青い瞳に戻っていた。胸の傷は深く、命の灯火が消えかけているのは誰の目にも明らかだった。
「……ふ……くく……」
クラウスの口から、自嘲気味な笑いが漏れる。
「負けたか……。二年前と同じだな……。お前には……届かない……」
「お前の剣は強かった。魔人の力なんて借りなくても、お前は勇者だったよ。……俺は、お前の努力を尊敬していた」
アレンの言葉に、クラウスは大きく目を見開いた。血の混じった息を吐き出しながら、ポツリと呟く。
「尊敬……? 俺をか……? 常に……上から目線で……嫌われ者だったこの俺を……?」
「最初は嫌な奴だと思ってたさ。でも、あそこまで自分に厳しくなれる奴を、俺は他に知らない」
「……そうか……」
「それにな……自分でいうのもなんだが、この国に来るまでは俺だってお前に負けないくらい努力してきたつもりだ。あんまり才能才能いうなよ」
「……だろうな。それくらい俺でも分かる。ただ認めたくなかった……」
クラウスの視界が急速に霞んでいく。彼の頭裏に消えては浮かぶのは、旅の途中で見た焚き火の光、不器用ながらも自分に差し伸べられた仲間の手、そして――一番届きたかった、あの美しい剣士の背中だった。
俺は……何を焦っていたんだ……。一番になりたかったのは……バランドール家のためでも……勇者になるためでもない……ただ……
「……エレナ……」
クラウスの唇が、かすかにその名を紡ぐ。
「俺は……お前に……並び立つ男に……なりたかっただけ……なんだ……。なぁ……エレナ……俺は……どこで……間違えた……? ごめん……お前を傷つけるつもりなんて……」
涙が一筋、クラウスの頬を伝って床にこぼれ落ちた。
「……クラウス」
アレンが呼びかけるも、返事はなかった。クラウス・バランドールは静かに瞼を閉じ、二度と動かなくなった。
静寂が広間を包み込む。エリーは握りしめた聖剣を胸元に抱え、静かに祈りを捧げた。ディーネも悲しげな目を伏せている。
アレンはゆっくりと立ち上がり、冷たくなっていくかつての仲間を見下ろした。
「さようなら、クラウス。……お前は、間違いなく俺たちのパーティーの仲間だったよ」
「――っ!?」
次の瞬間、息をのむような凶絶な圧力が謁見の間全体を覆い尽くした。
まるで巨大な心臓が拍動したかのような錯覚。大気が歪み、床の石畳が一斉に悲鳴を上げてヒビが入る。肌を刺すのは、先ほどまでのクラウスの魔力とは次元の異なる、冷気と圧倒的な禍々しさだった。
「な、なに……この嫌な感じ……身体が上手く動かない……!?」
エリーが顔を蒼白にし、胸を押さえて膝をつきかける。身体が、本能的な恐怖で激しく震えていた。
「エリー、離れろ!!」
アレンの怒号が響く。アレンとディーネは瞬時にエリーの前に立ちふさがり、彼女を庇うようにしてクラウスの遺体から大きく距離を取った。
「くっ……! アレン、これは……!」
ディーネの蒼い瞳が戦慄に揺れている。その手は微かに震えていた。
アレンは【魔剣アストライア】の柄を割りそうなほど強く握り締め、牙を剥くように倒れたクラウスを睨みつけた。
この胸が押し潰されるような狂暴で、冷たくて、全てを呑み込む泥のような魔力……!
忘れるはずがなかった。二年前、魔人国ダークコンテの深部で対峙し、己の無力さを思い知らされた絶望の記憶。
「魔王……エスパス……!!」
アレンの呟きに、ディーネが息を呑む。
そう、この魔力には覚えがあった。あの時、世界を恐怖で塗り替えた歴代最強の魔王エスパスそのものの魔力だった。
倒れたクラウスの胸の傷口から、ドロリとした漆黒の液体が溢れ出し始める。それは意志を持つ蛇のように広がり、やがて人の形を成していく。
そこにいたのは、人間で言えば僅か7〜8歳ほどの無邪気さを残した子供の姿。
しかし、その幼い体躯から溢れ出る膨大な魔力は、空間を歪め、空気を重く押し潰す。間違いなく魔王エスパスそのものの禍々しい波動だった。
「さすがだな……アレン。っと、その前に」
エスパスは小さく可愛らしい子供の声で呟くと、クラウスへと右手を向けた。
「ダーク・リビルド」
指先から放たれた漆黒の闇が、津波のようにクラウスの遺体を包み込む。
絶命していたはずのクラウスの胸の傷が、黒い泥のような魔力によって急速に塞がり、クラウスの目が開く。
「ガハッ……! ぐ、あ……ッ……!?」
荒い息と共に、クラウスはまるで糸で吊るされた人形のように弱々しく立ち上がる。だが、その瞳に宿る光は――自分を蘇生させた小さき魔王への、溢れんばかりの憎悪と激怒だった。
「エスパス……」
「駄目じゃないかクラウス、契約は守ってもらわなければ」
エスパスは幼子のような愛くるしい笑みを浮かべながら言った。
契約――それは莫大な力を得る代わりに、寿命の半分と、そして「死ぬ間際の生きた状態の魂」を差し出す悪魔の誓約。
エスパスの狙いは、まさにクラウスが息絶える直前のその瞬間にあったのだ。
己が最後まで利用されていたことを悟ったクラウスは、残された生命の全て、誇りの全てをその腕に込めた。黒剣を強く握り直し、渾身の力でエスパスへと切りかかる。
「二度目はないよ、クラウス」
極小の声音と共に、エスパスは差し出した左手の指先一つで、クラウスの命懸けの一撃を静止させた。
金属音すら鳴らず、クラウスの剣はピタリと止められる。
指先から溢れ出た黒い霧が、瞬く間にクラウスの全身を這い回り、包み込んでいく。
「な……に……っ……」
クラウスの身体が、黒い粒子となって端から崩れ、消滅していく。
「アレン……すまん……」
最期の最期、消えゆく間際にクラウスが遺した言葉は、黒い霧の彼方へと呑み込まれて散った。
クラウスの存在が完全にこの世界から消滅した瞬間――と空間全体が打たれたような衝撃が走る。
クラウスの命と魂を喰らったエスパスの身体から発せられる魔力が爆発的に跳ね上がり、その幼い容姿がみるみると伸長し、徐々に二年前の記憶にある魔王の姿へと近付いていった。
「危ない、危ない。完全に死んでしまっては、契約が無駄になってしまうところだった。しかしまだ足りぬか……」
十代半ばほどの姿まで戻ったエスパスは、自身の掌をまじまじと見つめ、不満そうに細い首を振る。
その身勝手極まる惨劇を目の当たりにした上、自分の前に立つのはかつて愛した女性の仇。アレンの怒りは頂点へと達した。
【魔剣アストライア】から激しい白銀の光が散る。
「エスパス――っ!!!!」
アレンの腹の底からの咆哮が、崩れかけた城の謁見の間に激しくこだまする。
アレンは地面を爆散させながら一直線に肉薄し、魔剣アストライアを極限の速度で振り下ろす。手加減も、様子見もない。相手が完全な姿を取り戻す前に絶つ――その強い意志を込めた一撃だった。
「――っ!?」
十代半ばの姿まで肉体を取り戻したばかりのエスパスは、冷や汗を浮かべながら瞬時に右手を掲げた。
『ダーク・シールド』
ギリギリのタイミングで展開された多重の漆黒魔法陣に、アレンの純白の斬撃が真っ向から突き刺さる。強烈な魔力と魔力の衝突が巻き起こり、広間を支えていた柱が数本まとめて粉々に砕け散った。爆風の中でエスパスの足元が数メートル削れ、魔法陣に幾重もの亀裂が入る。
「くっ……相変わらず人外の魔力だな、アレン!」
魔王の余裕に満ちた笑みが消え、その顔にわずかな焦燥が浮かぶ。万全の魔力には程遠い今の状態では、アレン渾身の一撃を完全には防ぎきれず、衝撃波がエスパスの皮膚を薄く切り裂いていた。
アレンは追撃のために踏み込もうとするが、エスパスは即座に後方へと跳躍し、広大な間合いを取った。
「二年前……あの時、私は計算を誤った。クラウスの裏切りという予定外の展開のせいで、お前たち精鋭を討ち漏らし、我が肉体も失う羽目になったのだからな」
エスパスは自身の腕に刻まれたかすり傷を見つめ、不快そうに目を細める。
「だが、次は失敗しない。人間の魂を集め、かつての……いや、それ以上の万全な状態を取り戻した上で、今度こそ人間界を跡形もなく滅ぼしてやる」
「逃がすと思うか……!」
アレンが剣を構え直し、ディーネとエリーも即座にアレンの左右へ並び立つ。
「こわい、こわい。だが今の私でも、撤退することくらい容易いのだよ」
エスパスが背後に手をかざすと、空間が歪み、禍々しい漆黒の門がうごめくように開き始めた。門の奥から漂ってくるのは、かつてアレンたちが足を踏み入れた、魔人国の最深部――【魔王城ジェブラ】の荒涼とした気配だった。
「待て……ッ!」
アレンが剣を掲げて駆け出そうとするが、エスパスの足元から溢れ出した膨大な闇の霧が爆発的に広がり、視界と追撃の軌道を完全に遮る。
「しばしの別れだ、アレン。かつての魔王城で待っているぞ。真の決着をつけようではないか――」
暗闇の彼方から笑い声が響き、霧が晴れた時には、エスパスの姿も禍々しい門も完全に消し去られていた。
ご覧いただきありがとうございました!
ほんの少しでも楽しんでいただけたら、下部の「★」評価やブックマークを押していただけると凄く嬉しいです!
リアクションボタン(いいね)や一言感想もお気軽にどうぞ!




