第四十二話:失敗したなぁ
地位、名誉、騎士団としての誇り。リアーナにとって、そんなものはエリー・グレイシアという光に比べれば塵に等しかった。彼女を失うことは、自分を失うことと同義なのだ。
「だったら大人しく通せ」
「……それは無理だ。俺はお前まで失いたくはないんだよ!」
親友としての情愛が、二人の間に火花を散らす。リアーナが腰の剣に指をかけた。コランが反射的に身構え、抜剣しようとした、その刹那。
「落ち着けッ!」
部屋の空気を震わせるロリックの一喝が、二人を金縛りにした。
「おい、リアーナ。気持ちは分かるが、俺の前でその発言は感心せんな。騎士団長であるこの私を前に、脱獄の加担を宣言したも同然だぞ。ここで捕らえられたいのか?」
ロリックの言葉にリアーナも落ち着きを取り戻し、ロリックの放つ重圧に、リアーナはようやく理性の端を掴み取った。
「……では、どうすれば……。黙って、団長が殺されるのを待てと言うのですか」
「出来ることは限られるな。もし、エリーが自らの意思で反乱をおこなった訳でないと証明できれば……。その恩を受けたという人物に会う必要がありそうだ。望みは薄いが、それが唯一の勝機だろう」
「しかし、そんな時間は……!」
リアーナは悔しげに指を噛んだ。刻一刻と、処刑の鐘の音が近づいている。
一方、王城の最下層。日の光も届かぬ地下牢では、エリーが両手を重い鎖で繋がれ、冷たい壁に背を預けていた。かつては多くの囚人がいたはずのこの場所も、今はエリーただ一人の呼吸音しか聞こえない。
クラウスが軍の実権を握って以来、犯罪者は効率的に処理されるようになったからだ。即刻死刑、あるいは過酷な拷問。皮肉にもその圧政が、この町から犯罪率を低下させていた。
エリーもその在り方に疑問を呈することも多かったが、受け入れられることはなかった。
「失敗したなぁ……。まさか、クラウスが魔王と繋がっているなんて」
薄暗い天井を見上げ、エリーは自嘲気味に呟く。自分の身はどうなってもいい。だが、勇者が魔王と通じているというこの戦慄すべき事実を伝えなければ、グランシーヌの未来は終わる。
でも……どうやって? 私の言葉なんて、今のこの国では届かない……
カツン、カツンと。石造りの階段を下りてくる、静かな足音が響いた。牢の前で止まったその主を見て、エリーは目を見開いた。
「……インフェルミナ様!? こんなところに、一体何を……」
そこに立っていたのは、アノールド王国の女王、アノールド・インフェルミナ。地下牢の湿り気には似つかわしくない、純白のドレスを纏った彼女は、鉄格子の向こうからエリーを見つめていた。
「エリー団長、久しいですね。……こんな形でお会いしたくはなかったですが。貴女には私の命を助けていただいた。その礼を、最後にあらためて伝えたくて参りました」
女王は深く一礼した。その瞳には、慈悲と……そして隠しきれない悲哀の色があった。
「インフェルミナ様、今更命乞いなどいたしません。しかし、一つだけ聞いてほしいことがあるのです。クラウスのことです!」
「……クラウス様のことを?」
「はい! 奴は魔王と繋がっています。この耳で、奴の口からはっきりと聞いたのです!」
だが、インフェルミナ女王の視線は、冷え切ったものへと変わった。
「エリー……やはり貴女、洗脳されているのですね」
「え……?」
「魔王はすでにクラウス様によって討伐されました。現にグランシーヌは平和そのもの。仮にクラウス様が魔王の手先だとして、自らそれを明かす意味も分かりません。……洗脳されている貴女に、何を言っても無駄なのでしょうけれど」
「私は洗脳なんて… …」
エリーは悔やんだ。誰も自分の声を聞いてくれない。誰も自分の 言葉を信じてくれない。弁明の機会などまるでなかった。国を救った英雄であり勇者であるクラウスへの信仰はそれほどまでに強大であった。騎士団長である自分の言葉が子供の戯言のように扱われる とは。これならば、あの時、城で必死に抗い、死に物狂いで逃走すべきだったと後悔が募る。
「もうよいです。明日……処刑が執行される前に、ただ礼を言いたかっただけですので」
女王は踵を返し、一度も振り返ることなく去っていった。
「私の命も、明日まで、か……」
死ぬことは怖くない。騎士となったあの日から、その覚悟はとうに済ませていた。ただ、心残りは一つ。
アレン……。貴方に受けた恩を、何一つ返せなかった……
思わず拳に力が入り、静寂の地下牢に「ジャラリ」と虚しい鎖の音だけが響き渡った。
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