第二十九話:ちょっと考え事をしちゃいました
しばらく静寂が店を支配する中、突然エリーがテーブルをバンと叩いた。
「私、クラウス様に直談判してくるわ! この理不尽な調書を修正してもらうために!」
意気込むエリーを見て、ディーネは戦慄した。
(止めてください……そんなデタラメな記録を残すには、それ相応の理由があるはず)
勇者クラウスは自尊心の塊だ。実力で勝るアレンやエレナを妬んでいたのは明白であり、自身の失態を隠蔽するためにこのような記録を捏造したのだろう。そんな男が、真実を知る者が現れたと知れば、どんな手段に出るか分からない。
そういう人間の醜さもディーネはよく知っていた。いくら エリーが団長でもクラウスでは相手が悪い。アレンが人間として異常な強さなだけであって、クラウスも十分人類最強と呼べる実力を持っていた。勇者という称号もグランシーヌでは国王の次に権力を持つ。エリーが真実を知ったとなれば消されることも容易に考えられた。
「……止めておきましょう。アレンも、そんなことは望んでいません」
「でも……っ!」
納得のいかないエリーを、ディーネは穏やかに諭す。
「アレンが地位や名誉に執着する男に見えますか? 彼はただ、静かにこの店を守りたがっているだけなんです」
「……そうかもしれないけれど」
「大丈夫です。アレンは……」
(エリーさんさえ信じてくれれば、それでいいと思っているはずですよ)――そう言いかけて、ディーネは口を閉ざした。
「……どうしたの? アレンは何よ?」
「いえ、なんでもありません」
エリーは黙り込み、何かを思案するように俯いた。ディーネは一抹の不安を覚えつつ、話を切り替える。
「エリーさん、もう遅いですし、アレンの言葉通り泊まっていってください。そこを真っ直ぐ行った黒い扉の部屋です」
エリーは指差された扉を見た。
「ねえ。……あの部屋って、さっきアレンが入っていったところじゃない?」
「あれ? バレちゃいました? 残念、残念」
「何が『残念』よ!」
「冗談です。本当はその隣の、黄色い扉の部屋ですよ」
「……助かるわ。ありがとう」
エリーがおやすみと告げて部屋に入ると、ディーネは扉を見つめて小さく呟いた。
「……あの部屋は、エレナさんのための部屋。彼女、黄色が好きでしたから」
そこは、ディーネですら掃除のためにしか足を踏み入れない、聖域。そんな場所にエリーを泊めることを許したアレンには驚かされたが、同時に確信もした。
アレンを縛り付ける深い闇を取り払えるのは、やはりこの騎士団長しかいない、と。
「さて、これからどうしましょうかね」
ディーネはこれからどうやって二人の仲をとり持とうかと必死で考え込むのであった。
翌朝。
勢いよく寝室の黒い扉が開き、アレンが飛び出してきた。
「おい、ディーネ!」
どこかやつれた様子のアレンは、明らかに不機嫌だった。
「なんでしょう、アレン」
一方ディーネはいつもと変わらないにこやかな表情で答えた。
「お前昨日帰ってないだろう! 全然寝た気がしないぞ」
魔力を媒介にして召喚されているディーネが店に居続けることは、アレンの魔力を削り続けることを意味する。魔力が減り続けると、倦怠感に襲われ、いずれは立つことさえ困難になってしまう。完全に魔力がなくなると意識を失い、数日目を覚まさないこともある。いくらアレンが膨大な魔力を持っていると言っても常に減り続ければ、いつか魔力は無くなってしまう。
「申し訳ありません。考え事をしていたら、すっかり朝になってしまいまして……」
もちろん考え事とはアレンとエリーの事であるが、妙案が思いつかないままただ時間だけが過ぎていってしまった。
「考え事って……」
その時、エリーが黄色い扉から出てきた。
「おはよう、アレン。どうしたの? あまり眠れなかった?」
アレンは返答に詰まった。昨夜、自分が部屋に戻ったあと、二人の間でどんな話がなされたかを想像すると、気まずくて愚痴などこぼせない。
「……ああ、そうだよ。ちょっと寝付けなかっただけだ」
食卓には三人分の朝食が並んでいた。
「さあ、準備はオッケーですよ。冷めないうちにどうぞ」
いつもは質素なパンとコーヒーだが、今朝はベーコンに卵までついた豪華な朝食だった。
「……なんか、今日は豪勢だな」
「当然でしょう。お客様がいますからね」
エリーは一口食べると、驚いたように目を見開いた。
「……たいしたものじゃないって、昨日の夕食もそうだったけれど、凄く美味しいわ。騎士団の食堂なんかより、圧倒的に……」
「それはよかったです」
エリーはお世辞ではなく、本心でそう思っていた。大した材料は使っていないのに、こんな味が出せるものなのかと感心していた。
三人は、昨夜の深刻な話題などなかったかのように、淡々と食事を済ませた。
一番に食べ終わったアレンが、あくびを噛み殺しながら口を開く。
「ディーネ、今日は帰っていいぞ。俺はもう一回寝る」
「私は構いませんが、お店はどうするんです?」
「今日は休みでいいだろ。どうせ客なんて来ない」
アレンがそう言い捨てて立ち去ろうとした時、エリーが勢いよく椅子から立ち上がり、右手の拳で自分の胸を力強く叩いた。
「――私に任せて!!」
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