第二十四話:この際だから言わせてもらいます
アレンは未だに、唇が触れた頬を片手で押さえたまま微動だにしない。
「アレン……見事なまでに単純な男でしたね。店員として恥ずかしいです」
冷ややかなディーネの声に、ようやく魂が戻ってきたのか。
「ち、ちがう! 殴られると思って身構えていた反動で……だな!」
必死に抗弁するものの、アレンの顔は言い訳の余地がないほど耳まで真っ赤に染まっていた。
「はいはい、分かりました。じゃあ、せっかく目が冴えたんですから、店の片づけを手伝ってくださいね」
「あ、ああ……。分かった、任せとけ」
動揺を隠すように、アレンはいつも以上にキビキビとした動作で働き始めた。
一方、嵐のように店を飛び出したエリーはというと――。店のすぐ傍、物陰にうずくまって頭を抱えていた。
「ちょっと、ちょっと、ちょっとぉぉぉぉ! 何やってるのよ、私は……っ!」
叫び出したい衝動を、必死に喉の奥で押し殺す。
「昨日会ったばかりの男に、ちょっと助けてもらったからって、き、きき、キスなんて……! こんなの私じゃないわ。きっと、昨日もらった回復薬に変な成分が入っていたのよ……そうよ、そうに決まってるわ!」
エリーのこれまでの人生は、そのすべてを『武』に捧げてきたものだった。幼い頃から天賦の才を見出され、周囲の期待に応えるように剣を磨き続けた。その甲斐あって、史上最年少でグランシーヌ騎士団長という地位を掴み取った。
だが、その輝かしい経歴の代償として、普通の女性が経験するような色恋沙汰には、全くと言っていいほど縁がなかった。彼女の美貌と強さに憧れて寄ってくる男は後を絶たなかったが、エリー自身が「剣」以外に興味を持てず、すべてを冷徹に断ってきたのだ。それなのに、あんな――。
エリーは立ち上がり、荒れた呼吸を整えようと深呼吸を繰り返す。そこへ、出発の準備を終えた戦士と魔導師の団員が歩み寄ってきた。
「団長、お話は終わりましたか? 皆、もう出発の準備はできていますよ」
「そ、そう。分かったわ。じゃあ、すぐにでも出発しましょう。一刻も早く、サラマンダーの鱗を王都に届けないとね」
「団長、大丈夫ですか? サラマンダーの鱗って、所持しているだけでも相当熱いと聞きますが……」
魔導師の男が、心配そうにエリーの顔を覗き込む。
「大丈夫よ、全然問題ないわ!」
「そうですか? 団長、顔が耳まで真っ赤だから、てっきり熱気に当てられたのかと思いましたよ」
「えっ? ……う、嘘っ」
エリーは慌てふためき、自分の両頬をペタペタと触り始めた。普段は鉄の規律を体現したような冷静沈着な団長。そのあまりに異常な挙動に、二人の団員は顔を見合わせ、不思議そうに首を傾げた。
「あの……団長?」
「な、なんでもないわよ! そんなことより早く出発するわよ! 準備はいいの!?」
「……ですから、さっき整ったと申し上げましたが」
「そ、そうだったかしら……! じゃあ、行くわよ!」
これ以上余計なことを悟られまいと、エリーは団員たちの先頭を、逃げるような速足で歩き出したのだった。
「よしっ! これで最後だな。片付け終了!」
アレンとディーネは、店から持ち出した在庫を棚に戻し終えた。
「……なぁ、ディーネ。なんか棚がスカスカじゃないか?」
元々、商品数で勝負する店ではない。だが、今は明らかに陳列が寂しい。小瓶が十本は並ぶはずの棚に、ぽつんと二、三本しか置かれていない惨状だ。
「そうでしょうよ! アレンが見栄えなくバンバン使っちゃうからですよ!」
「いや、そうなんだけどさぁ……本当にこれだけか? どこかに隠してないか?」
「これだけですッ!」
現実逃避を続ける店主に、ディーネがぴしゃりと言い放った。
「はぁ……。近いうちに入荷しに行かないとなぁ」
「お金も残りわずかですからね。この際ですからハッキリ言っておきますけど、人助けも程々にしないと、この店、潰れますよ。少しは経営者の自覚を持ってください。特に『ユグドラの雫』です! うちの看板商品をあんな、はした金で渡してしまうなんて……」
「だって、あの状況じゃ……」
「『だって』じゃありません!」
ディーネの、これまで溜まりに溜まっていた不満が爆発した。薄暗くなった店内に、ディーネの容赦ない説教の声が、延々と響き続けた。
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