第十八話:ディーネの正体
アレンが核心に触れようとしたその時。洞窟の奥から、大地を芯から震わせるような咆哮が轟き渡った。あまりの音圧に、エリーは思わず両手で耳を塞ぐ。
「今のは、まさか……」
「あぁ。サラマンダーだ。すぐそこにいるぞ、気を引き締めろ」
エリーは唾を飲み込み、黙って頷いた。湿った熱気を切り裂いて進むこと数分。視界が急に開け、小さな村が丸ごと収まるほどの巨大な空洞に出た。そして一行の眼前に、全身を溶岩のような深紅に染めた、山のごとき巨躯を誇る龍が聳え立っていた。
「久しぶりだな、サラマンダー。また会えて嬉しいよ」
アレンは、まるで行きつけの店の主人に挨拶するような軽い調子で声をかけた。
『……何が久しぶりだ。貴様ら短命種にとってはともかく、我らにとってはたかだか三、四年だろう。で、今回は何の用だ』
地鳴りのような重低音が、エリーの全身の骨を震わせる。もし彼女一人だったなら、この威圧感の前に、まともに言葉を発することすら叶わなかっただろう。
「精霊のあんたらにとっちゃ一瞬だろうけどさ。今回はちょっと、頼みがあって来たんだ」 『ほう、頼みだと? 言ってみろ』
サラマンダーは黄金の瞳を細め、獰猛に口元を歪めた。
「一枚でいい。あんたの鱗を譲ってほしいんだ」
『――断る!』
アレンの願いを、サラマンダーは一秒の躊躇もなく切り捨てた。
『我が貴様の頼みを聞く道理などない。……それより、今日はディーネは来ていないのか?』
ディーネなら横にいたはず――エリーは慌てて周囲を見渡すが、そこには影も形もなかった。
「……あんたに会いたくないんだろうな」
憐れむようなアレンの視線に、龍が激昂する。
『ふざけるな! ディーネが頼むというのなら、考えてやらんこともないのだ! さっさと呼べ!』
「はいはい……」
アレンがやれやれと肩をすくめ、「ディーネ」とその名を呼んだ。
直後、アレンの目の前に神秘的な青い光の粒子が集い、瞬く間に人の形を成していく。光が収まったそこには、いつもと変わらぬディーネが立っていた。
「……えっ?」
エリーは絶句した。目の前で起きた超常現象に、理解が追いつかない。
「ディーネ。いくらあいつに会いたくないからって、勝手に消えるなよ」
「ごめんなさーい。……一ミリも顔を見たくなかったもので」
全く反省の色がない軽い謝罪と共に、ディーネが頭を下げる。
その姿を見るや否や、サラマンダーはまるで主人の帰りを待っていた犬のように鼻息を荒くした。長い首をこれでもかと伸ばしてディーネに擦り寄る。その熱い吐息で、ディーネの長い髪が激しく舞い上がった。
「ちょっとサラマンダー! そんなデカい姿じゃ、まともに話もできないわよ!」
ディーネが一喝すると、龍は「す、すまん……」と気圧されたように距離を取った。直後、龍の巨躯が眩い赤光に包まれ、急速に収縮していく。
「……これでいいか?」
光の中から現れたのは、百八十センチを超える長身に、燃えるような紅蓮の髪を蓄えた、三十代半ばほどの逞しい男性だった。
「そうね。それでやっと、会話が成立しそうだわ」
エリーは目を丸くして固まっていた。巨大な龍が人に化け、消えたはずの少女が光と共に現れる。
「……ちょっと、アレン。どうなっているのよ、これ」
「どうなっているって……四大精霊ともなれば、姿形を変えるなんて造作もないことだ。っていうか、ディーネを見ていれば分かるだろ?」
当たり前の真理を語るようなアレンの態度に、エリーはさらに混乱を深める。
「ディーネを見ていればって……どういう意味?」
「アレン。エリーさんにはまだ、ちゃんとお話ししていませんでしたよ」
「あ……そうだったっけ。……エリー、ディーネの正体は、四大精霊『ウンディーネ』だ」
「――えっ、ええええええええっ!?」
エリーの絶叫が洞窟内に響いた。当のディーネは、「テヘッ」とおどけたように首を傾けてみせる。
四大精霊ウンディーネ。
確かに彼女の強さは、人智を遥かに超越していた。それが神にも等しい精霊の力だというのなら、すべてに説明がつく。魔人ごときが敵わなかった理由も。
だが、新たな疑問が押し寄せる。
なぜ、それほど高位の存在が、辺境の雑貨屋で店員などをしているのか。
なぜ、一介の人間であるアレンの下で、楽しげに仕えているのか。
エリーの思考が乱れる中、人の姿となったサラマンダーが、厳かに口を開いた。




