第十話:大っ嫌いです
その鋭い叫びに弾かれたように、エリーは素早く黒衣の男から距離を取った。
「くっくっくっ……危なかったねぇ、グレイグ。契約を果たす前に死なれては困る。だが安心しろ。私が来たからにはお前の望みは叶えてやろう。……代わりに、分かっているな?」
「あぁ……ありがたき、幸せ……」
急に憑き物が落ちたように正気を取り戻したグレイグが、恍惚とした表情で膝をつく。直後、男の影から噴き出した濃密な黒霧がグレイグを呑み込んだ。やがて霧が晴れたとき、そこにはもう、男の形を留めたものは何一つ残っていなかった。
「……何よ、今のは」
目の前で起きた超常的な現象を、エリーの理解が拒絶する。しかし、アレンとディーネの視線は、冷徹にその本質を見抜いていた。
「魔人か……」
アレンの呟きに、黒衣の男が愉悦に満ちた反応を見せる。
「ほう、よく分かったな。私はセリエル。……まぁ、覚える必要はないぞ。お前たちはここで全員死ぬのだから。それにしても美味だった。恨みが強い魂ほど、良い味がする」
セリエルが放った無造作な殺気。
それを真正面から浴びたエリーは、一瞬、自分の首が撥ね飛ばされる幻覚を見た。全身の細胞が恐怖に震え、膝が折れそうになる。だが彼女は強靭な精神力で踏みとどまり、白指が浮き出るほど剣を強く握りしめた。
魔人――。
かつて魔王が率い、人類を絶滅寸前まで追い込んだ異形の種族。二年前の戦いで大半が掃討されたはずだが、稀にこうして生き残りが現れる。討伐ランクは最低でもB、そのほとんどがAランク以上に分類される人類の天敵だ。
エリーも過去にAランクの魔人と対峙した経験はある。だが、このセリエルという個体から放たれる圧力は、それらとは次元が違った。
(勝てる……ビジョンが、浮かばない)
戦う前から突きつけられた圧倒的な実力差。ランクを付けるなら、確実にS。エリーは奥歯を噛み締め、ある覚悟を決めて魔人を見据えた。
「……貴方の狙いは私でしょう? この二人はたまたま居合わせただけよ。彼らを見逃してはくれないかしら」
セリエルは三人を舐めるように見回し、鼻で笑った。
「お前がエリーか。グレイグとの契約は『お前をできるだけ苦しめて殺すこと』だ」
「なら……!」
「ああ、安心しろ。残りの二人は、苦しまないように一瞬で殺してやるよ」
気味の悪い笑みを浮かべるセリエルに、エリーは唇を噛み切らんばかりに震わせた。
「……ごめんね、二人とも。私のせいで巻き込んじゃって。私が時間を稼ぐから、その隙に逃げて!」
剣を構えたまま、死を覚悟した悲痛な声を絞り出す。だが、その震える剣の刀身に、誰かの手がそっと添えられた。
「……?」
アレンだった。彼はエリーの剣を優しく押し下げると、場違いなほど穏やかな笑みを浮かべた。
「あれくらいなら、俺とディーネでなんとかなるよ。団長殿は、無理せず下がっていてくれ」
「……何を言っているの!? 貴方、あいつの強さが分からないの!?」
エリーは必死に彼らを止めようとした。ディーネがそれなりの魔法の使い手であることは認める。だが、目の前の怪物は桁が違うのだ。
「確かにそれなりに強そうだけどさ。団長殿が命を懸けるまでもないよ。……いいから、見ていてくれ。ディーネ、行くぞ!」
「了解です。……私、魔人って種族は大嫌いなので。手加減抜きで行かせてもらいますね」
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