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第四話

白書での一日は、思っていたよりもずっと長かった。

 受付嬢に案内された部屋は、無機質なコンクリートの部屋。

 置かれているのは小さな机とベッドだけ。

 それ以外には何もない。

 ただ、それで十分だった。

 わたしの荷物は多くない。

 荷下ろしはない。

 わたしは静かにベッドへ腰を下ろす。

 身体が深く沈み込んでいく。

 雪原の小屋の簡素な寝床とは違う。

 柔らかい。

 だけど、落ち着かなかった。

 静かすぎる。

 エバの本をめくる音も。

 暖炉の薪が弾ける音も。

 外で吹き荒れる雪風も。

 ここにはない。

 わたしはそっと小窓を見上げた。

 窓の外では、巨大な都市の光が夜を照らしている。

 白や青のネオン。

 空を横切る搬送レールの明かり。

 海の向こうで点滅する赤い警告灯。

 雪原とは違う夜だった。

 静かなのに、眠っていない。

 街全体が、ずっと起き続けているみたいだった。

「エバ…」

 小さく名前を呼ぶ。

 返事はない。

 その事実が、胸の奥をじわりと冷やしていく。

 わたしは不安を誤魔化すように毛布へ潜り込んだ。

 すると、疲れが一気に押し寄せてくる。

 気づけば意識はゆっくり沈んでいた。

 朝。

 目を覚ますと、部屋の入口から小さなノック音が聞こえた。

「失礼します」

 昨日の受付嬢だった。

 彼女は無表情のまま、机へ朝食を置いていく。

 パンと水。

 それだけだった。

 わたしは小さく頭を下げると、塩パンを手に取る。

 少し冷めていて、表面は固くなっていた。

 だけど、一口噛むと中から濃厚なバターの香りが広がる。

 美味しい。

 …はずなのに。

 ふと、エバのスープを思い出した。

 鶏の出汁。

 少し焦げた玉ねぎ。

 塩気の強い味。

 大雑把なのに、不思議と身体の奥まで温まるスープ。

 二日しか経っていない。

 それなのに、もう恋しくなっていた。

 わたしは小さく俯きながら、冷めた塩パンを食べ切った。

 受付嬢は皿を回収すると、そのまま静かに部屋を出ていく。

 再び一人。

 部屋の静けさが、昨日より少しだけ重く感じた。

 わたしは気分を紛らわせるように寮を出た。

 図書館へ向かう。

 白書大図書館は、朝から多くの人で賑わっている。

 本を抱えた学生。

 忙しそうに歩く研究員。

 昨日は見る余裕がなかったけれど、この街には本当に色んな人がいる。

 わたしは昨日の“光”を思い出しながら、再び十五階へ向かった。

 エレベーターが静かに上昇していく。

 数字が一つずつ増えるたびに、人の気配は減っていった。

 そして十五階。

 昨日と同じ静かな空間。

 哲学書の並ぶ本棚。

 だけど、あの光はもうなかった。

 棚は何事もなかったみたいに沈黙している。

 昨日の出来事が夢だったように思えてしまうほどだった。

 わたしはしばらく棚を眺めていた。

 けれど何も起きない。

 そこで今日は別の階を見て回ることにした。

 

 三階。

 小説コーナー。

 ここには朝から十数人ほどの人がいた。

 子供。

 学生。

 皆、それぞれ静かに本を選んでいる。

 わたしは本棚を眺めながら、ファンタジーコーナーから一冊の小説を抜き取った。

 表紙には黒い服を着た少女が描かれている。

 タイトルには、“魔女”という文字。

 わたしは吹き抜け近くの長いソファへ腰を下ろすと、ゆっくりページを開いた。

 その物語は、魔女が殺し屋として生きる話だった。

 魔女は人を殺す。

 だけど決まって、最初に喉を潰す。

 叫べないように。

 助けを呼べないように。

 そして最後に、本のページを破って置いていく。

 わたしはページをめくる手を止めた。

 本のページ。

 どうしてそんなものを残すんだろう。

 意味があるのだろうか。

 それとも、ただの儀式なのか。

 気づけば、わたしはどんどん物語へ引き込まれていた。

 その時だった。

 視界の端を、一人の青年が横切る。

 わたしは反射的に顔を上げた。

 細長い目。

 黒いコート。

 気だるそうな歩き方。

 昨日の青年――律さんだった。

 律さんは周囲を見ることもなく、そのまま図書館の外へ出ていく。

 クマさんには近づくなと言われた。

 だけど。

 昨日から、ずっと気になっていた。

 どうしてあんな反応をしたのか。

 なぜ、わたしを見て怒ったのか。

 それに。

 窃盗犯を捕まえるときに見せた、あの異常な動き。

 わたしは気づけば立ち上がっていた。

 急いで本を棚へ戻し、律さんの後を追いかける。

 図書館を出ると、律は通りの向こうを歩いていた。

 人混みの中でも、なぜかすぐ見つけられる。

 わたしは気づかれないよう、少し距離を空けながら後をつけた。

 律さんは真っ直ぐ歩いていく。

 やがて大通りを外れ、昨日人が倒れていた路地へ入っていく。

 わたしは慌てて追いかけた。

 だけど。

 路地へ入った時には、律さんの姿は消えていた。

「え…」

 わたしは辺りを見渡す。

 狭い路地。

 湿った空気。

 ゴミ袋の臭い。

 誰もいない。

 見失った。

 わたしは焦りながら奥へ進む。

 その時だった。

「お前、何しに来た」

 背後から声が響いた。

 わたしは驚いて振り返る。

 律さんが、壁にもたれながらこちらを睨んでいた。

 わたしは焦って言葉を詰まらせた。

「あ……その……あの……」

「ま、迷子になっちゃって……」

 苦し紛れの言い訳だった。

 律さんは深いため息を吐きながら、さらに強くこちらを睨む。

「お前バカなんか」

「こんな路地に入ってくる奴なんておらんやろ」

「それに、お前が追いかけてたのなんか最初からわかっとったわ」

「す、すみません……」

 わたしは小さく俯きながら謝る。

 律さんは面倒臭そうに頭を掻いた。

「今回は見逃したる」

「でも次やったら――」

 最後まで言わず、律さんは路地の奥へ歩き始める。

 黒いコートの裾が、薄暗い路地の奥へ溶けていく。

 わたしは小さく息を吐いた。

 怒られた。

 当然だ。

 クマさんに近づくなと言われていたのに、勝手についてきたのだから。

 逆に彼が見逃してくれたのは最大の優しさだった。

 わたしは大人しく大通りへ戻ろうと踵を返す。

 その時だった。

 視界の端で、淡い光が揺れた。

「…え」

 昨日見た光の粒子。

 小さな蛍みたいな白い光。

 それが再び、わたしの目の前へ現れていた。

 しかも今度は、わたしの方へ向かって流れてきている。

 粒子はゆっくり空中を漂いながら、地面の一点へ集まっていた。

 わたしは不思議に思いながら、その場へしゃがみ込む。

 地面には何もない。

「なんで…」

 わたしはそっと地面へ触れようとした。

 その瞬間だった。

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