第二話
わたしたちは白書大図書館の正門とは反対側へ回り込む。
そこには、人目につかない小さな扉が存在していた。
エバは迷いなくその扉を開ける。
中は驚くほど静かだった。
外の喧騒が嘘みたいに、本の匂いだけが漂っている。
細い通路をしばらく歩き続けた先。
突き当たりの部屋の前で、エバは勢いよくドアを開いた。
「クマ、今帰ったぞー」
「っげ! 姉御!」
部屋の中にいたのは、エバよりさらにふた回りは大きなスーツ姿の男だった。
熊みたいな巨体に鋭い目つき。
なのに、エバを見るなり露骨に顔を引きつらせている。
「げってなんだ、げって」
「いやだって、急に来るもんですから…」
しかし、そのがたいとは裏腹にエバに対する態度は飼いならされた大型犬のようだった。
「っていうか、調査はどうしたんです」
「ちょうど先日、終わったとこだよ」
エバはどこか楽しそうに笑う。
それとは逆に、大男――クマは嫌な予感しかしないといった顔をしていた。
「…それで、帰ってきて真っ先にここへ来たってことは」
「アル、こっち来な」
エバが手招きする。
わたしはおそるおそる前へ出た。
「クマ。こいつが今回の調査中に拾った子だ」
「誘拐してきたんですか!!」
「ちげぇよ!!」
エバは、どこからともなくハリセンを取り出すと、大男の頭へ勢いよく叩き込んだ。
パァンッ――という乾いた音が部屋へ響く。
「痛ぇっ! なにすんですか姉御!」
大男は頭を押さえながら涙目になっていく。
「アホなこと言うからだ」
エバは呆れたようにため息を吐いた。
「誘拐じゃない。雪原で拾ったんだよ」
そう言いながら、エバはわたしの方へ視線を向ける。
その目は、わたしを安心させるようにどこまでも穏やかだった。
「私はまだ他にも仕事が残っててね」
「しばらくの間、この子をお前に預かってほしいんだよ」
「え……」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が小さく揺れた。
エバについて来るために、日本へ来た。
なのに。
もう、離れるのだろうか。
せっかく見つけた居場所が、また遠くへ行ってしまう気がした。
わたしの表情に気づいたのか、エバはそっと肩へ手を置く。
「大丈夫」
低く、落ち着いた声だった。
「帰ってきたら、すぐ会いに来る」
その手は大きくて、温かい。
わたしは小さく俯きながら、黙って頷いた。
「いやぁ……ただ俺も忙しいんですよねぇ」
大男は困ったように頭を掻きながら椅子へそっと腰掛ける。
巨大な身体が沈み込むたび、椅子がぎしりと音を立てた。
「なら律にでも任せればいい」
エバは軽い調子で言う。
「……いいんですか?」
大男は驚いたような表情をしている。
「あいつ、なんだかんだ面倒見は悪くないだろ」
「姉貴は、ひどいですねぇ」
エバはその言葉に軽く笑っていたがその顔は少し引きつっていた。
「ってことで、私はもう行く」
エバはそう言うと、わたしの頭を軽く撫でる。
その仕草は乱暴なのに、なぜだか安心する。
「ちゃんといい子にしてろよ、アル」
「……うん」
エバは満足そうに笑うと、そのまま部屋を出ていった。
重たい扉が閉まる音が、静かな部屋へゆっくり響いた。
わたしは、不安を誤魔化すように辺りを見渡した。
知らない場所。
知らない人。
そして、エバのいない空間。
さっきまで隣にいたはずなのに、その存在が消えただけでわたしは不安に駆られた。
部屋の中には、壁掛け時計の針が進む音だけが小さく響いている。
カチ。
その音がやけに大きく聞こえた。
まるで時間だけがゆっくり流れているみたいだった。
その時だった。
「アルちゃん、こっちにおいで」
大男が、優しい顔でこちらへ手招きをしていた。
わたしは少しだけ警戒しながら、そっと近づいていく。
するとクマさんは、机の引き出しから透明なホルダーを取り出す。
「はい、これ」
「今は仮だけど入館証ね。無くさないように首から掛けときなさい」
そう言うとクマさんは、紙をホルダーへ丁寧に差し込み、わたしの首へそっと掛けてくれた。
透明なカードケースが胸元へ当たる。
そこには、
『白書大図書館 仮入館許可証』
と書かれていた。
「これで図書館の大体の場所には入れるから、律が来るまで本でも読んで待っててくれるかい?」
大男は柔らかく笑いながら首を傾げる。
それに、わたしは小さく頷いた。
「それと、まだ名前言ってなかったね」
「私は大熊衛。クマって呼んでくれ」
大男 ――クマさんはそう言うと、大きな手をこちらへ差し出した。
「アルです。よろしくお願いします」
反射的にそう名乗り、わたしも手を差し出す。
次の瞬間、わたしの手はクマさんの大きな掌にすっぽり覆われた。
エバよりも大きい。
なのに、不思議と握り方は優しかった。
ただ――その手は驚くほど冷たかった。
まるで、雪のように。




