第十二話
図書館を出ると、わたしたちは港のある湾岸エリアへ向かって歩き始めた。
空は高く晴れている。
潮風も穏やかだった。
だけど。
港へ続く道には、人影がほとんど存在しない。
静かすぎる。
普段の白書なら考えられないほどに。
今回の作戦では、一般人を巻き込まないことが最優先だった。
そのため警察側は、都市最大規模のイベント開催日へ作戦日程を合わせている。
街のほとんどの住民は、駅周辺の大型会場へ集まっていた。
結果。
湾岸エリアは、不自然なほど人が消えていた。
相手からすれば怪しく感じるかもしれない。
だけど。
被害を最小限へ抑えるには、しかたなかった。
律が周囲を警戒しながら歩いていく。
黒いマントが風で揺れる。
腰に下げた刀が、微かに金属音を鳴らした。
わたしはその後ろを静かについていく。
歩き始めてから一時間ほど。
ようやく港のコンテナ倉庫地帯が見えてきた。
巨大な鉄箱が、迷路みたいに積み上がっている。
海風が吹くたび、コンテナ同士が軋む音が響いた。
今のところ襲撃はない。
もし相手が出てこないなら、この作戦は失敗。
「そこで三十分待機」
「その後、港内を移動したのち撤収だ」
イヤホン越しに、クマさんの声が聞こえる。
「いっそ出てこんでもろて…」
律がぼやいた、その瞬間だった。
パンッ――!!
乾いた銃声が湾内へ響いた。
わたしは反射的に身を低くする。
ただ。
弾は飛んできていない。
「一部部隊、状況確認へ向かえ」
クマさんの指示。
その直後。
パンッ――!!
今度は南側。
さっきとは別方向。
律の顔から笑みが消える。
「…嫌な感じやな」
クマさんは即座に北部隊へ待機命令を出した。
だけど。
返事がない。
南へ向かった部隊も同じ。
ノイズだけが流れている。
わたしの背筋が冷える。
「全部隊、即座に合流」
「応答不能部隊を確認後、作戦を中止する」
クマさんが即断する。
だけど。
遅かった。
南の銃声が聞こえた時点で。
もう。
わたしたちは囲まれていた。
「…うっそやん」
律が低く呟く。
コンテナの影。
倉庫の屋根。
通路。
いつの間にか、武装した男たちが現れていた。
三十人以上。
全員が異様だった。
目が虚ろい、筋肉が不自然に膨張している。
皮膚の下で何かが蠢いているみたいだった。
「この人たち…」
「この前の奴らと同じかも」
律が小さく舌打ちする。
通常なら、律がある程度の時間で制圧できる人数。
だけど。
今目の前にいる連中は違う。
殺気が濃い。
「この状況、大丈夫なんよな?」
「まだね」
わたしは周囲を見渡す。
予定通り。
これはまだ作戦範囲内。
むしろ敵が出てきたことで、包囲は完成する。
「全部隊、戦闘開始」
次の瞬間。
四方から銃声が響いた。
港が一気に戦場へ変わる。
警察部隊と武装集団が撃ち合い始めた。
律も同時に地面を蹴る。
一瞬で加速していく。
刀が横へ走る。
男の身体が吹き飛ぶ。
さらに振り返りざま、別の男の腕を斬り落とした。
だけど。
止まらない。
腕を失っても、男は笑いながら突っ込んでくる。
「キモっ!!」
律が叫ぶ。
男のナイフが振り下ろされる。
「律、右!!」
わたしが叫ぶ。
律は反射的に身体を捻った。
直後。
コンテナ上から飛び降りてきた敵の刃が、律のいた場所を斬り裂いた。
鉄板が削れ、火花が散る。
「ナイスや!」
律はそう叫ぶと、地面を蹴って距離を詰めた。
刀が一閃する。
飛び降りてきた男の腹部へ刃が走り、男の身体がコンテナへ叩きつけられた。
だけど。
倒れない。
男は腹から血を流しながら、口元だけで笑っていた。
「ほんま、どうなっとんねんこいつら!」
律が舌打ちする。
その背後。
別の男が銃口を向ける。
「後ろ!」
「分かっとる!」
律は振り返らない。
そのまま身体を沈めると、銃弾が頭上を抜けていった。
直後、律は足元に落ちていた鉄片を蹴り上げる。
鉄片は銃を持つ男の手首へ直撃し、銃口が跳ね上がった。
パンッパンッ――!!
暴発した銃弾が空へ消える。
律はその隙に間合いへ入った。
柄で男の顎を打ち抜き、そのまま腹へ蹴りを入れる。
男が折れ曲がる。
けれど、倒れる寸前に律の足首を掴んだ。
「うわ、気持ち悪っ!」
「左から来る!」
わたしの声に、律は捕まれた足を軸にして身体を回した。
迫っていた別の敵のナイフが、律のマントを裂く。
布が宙へ舞った。
律は回転の勢いのまま、足首を掴んでいた男を蹴り飛ばし、さらに左から来た男の膝へ刀を叩き込む。
骨が砕ける音がした。
なのに。
男は膝を折られたまま、地面を這ってでもこちらへ向かってくる。
わたしは息を呑む。
人間じゃない。
いや、人間だったものが、無理やり動かされているみたいだった。
「アルちゃん、ケース持って下がっとき!」
「無理」
「なんでや!」
「後ろから来てる」
「はぁ!?」
律が振り返る。
コンテナの隙間から、二人の男が飛び出してきた。
一人は銃。
一人は鉈。
わたしはランク紫のケースを抱えたまま後ずさる。
胸の奥がざわつく。
ケースの中の本が、微かに脈打っているような気がした。
「律、銃の方から!」
「あいよ!」
律が地面を蹴る。
銃を持った男が引き金を引くより早く、律は距離を潰した。
刀の峰で銃身を叩き上げる。
銃弾がコンテナの壁にあたり、甲高い音を立てる。
続けざま、律は銃を持つ腕を蹴り上げる。
その横から鉈が迫る。
「下がって!」
律はわたしの声に逆らわず、一歩だけ下がった。
鉈が空を切る。
その一瞬の隙。
律の刀が、相手の胴へ深く入った。
男は吹き飛び、積まれた木箱へ突っ込む。
「アルちゃん、今の、よう分かったな」
「そんなことは今はいいから」
「はいはい、厳しい相棒やなぁ!」
律は笑いながら、再び敵の群れへ突っ込んでいく。
わたしはその背中を追いながら、周囲を見る。
コンテナの上。
倉庫の裏。
木箱の奥。
この前よりより鮮明に光が見えている。
光は、攻撃が来る場所へ集まる。
それによって襲ってくる男たちの動きがとるようにわかる。
けれど。
それを律へ言うつもりはなかった。
今は、説明している時間がない。
「律、上に二人!」
「前に三人!」
「了解!」
わたしの声が飛ぶたび、律が動く。
刀が走る。
敵の銃撃をかわし、ナイフを弾き、足を払う。
律は強い。
普通なら、わたしの指示なんてなくても戦える。
だけど、今の敵は普通じゃない。
視界の外。
死角。
コンテナの上。
味方の銃声に紛れた一撃。
そういう奇襲だけを、わたしは叫んだ。
「律、後ろのコンテナ!」
「ん?」
律が横へ跳ぶ。
次の瞬間、コンテナの上から重たい鉄鎖が落ちてきた。
もし当たっていたら、身体ごと潰されていた。
「うっわ、殺意高すぎやろ!」
律は叫びながら、落ちてきた鎖を片手で掴む。
そのまま振り回し、周囲の敵をまとめて薙ぎ払った。
男たちが次々と地面へ転がる。
でも。
すぐに起き上がる。
倒しても倒しても、終わらない。
その時、男の一人が結晶をさらに噛み砕いた。
すると男の首筋が膨れ上がり、目の血管が赤く浮かび上がった。
「…さらに強くなるの?」
「勘弁してくれや!」
男が地面を蹴った。
速い。
さっきまでとは比べものにならない。
「律、受けないで!」
わたしが叫ぶ。
律は咄嗟に刀を引いた。
男の拳が空を裂き、コンテナの壁へ突き刺さる。
鉄板がへこんでいく。
律の顔が引きつる。
「受けてたら腕持ってかれてたわ…!」
律は男の腕が壁から抜ける前に、膝裏を狙う。
刃が走る。
男が崩れた。
だが、倒れる直前に口から黒い液体を吐き出した。
「避けて!」
律が飛び退く。
黄色い液体が地面へ落ちた瞬間、アスファルトがじゅう、と音を立てて溶け始めた。
「毒までありかい!」
律は怒鳴る。
その隙に、別の敵がわたしへ銃を向けていた。
気づいた時には、銃口がこちらを見ている。
身体が固まる。
足が動かない。
けれど。
恐怖より先に、光が見えた。
銃口の先。
わたしの胸元へ伸びる、細い白い線。
「…っ」
撃たれる。
そう思った瞬間。
律がわたしと男の間へ滑り込んだ。
銃声。
律の刀が弾丸を弾いた。
金属音が耳を打つ。
「アル!ぼーっとすんな!」
「ごめんなさい!」
律はわたしを庇いながら、銃を持つ男へナイフを投げた。
ナイフは男の肩へ突き刺さり、銃が地面へ落ちる。
「律、左!」
「まだ来るんかい!」
律はそのまま地面を転がり、左からの斬撃を避けた。
起き上がる勢いで刀を振る。
一人。
二人。
三人。
敵が倒れていく。
だけど律の息も荒い。
肩で呼吸している。
刀を握る手から血が滴っていた。
「律、平気?」
「平気に見えるか?」
「見えない」
「なら聞くなや!」
律が笑う。
その笑い声は荒い。
でも、まだ折れていない。
わたしはケースを抱え直した。
その時。
敵の動きが一瞬止まった。
まるで誰かの命令を聞いたみたいに。
次の瞬間。
全員が一斉にこちらを見た。
わたしではない。
ケースだ。
「…律」
「分かっとる」
律がわたしの前へ立つ。
男たちが一斉に動き出した。
銃。
ナイフ。
鉄パイプ。
鉈。
全方向から迫ってくる。
「右上!」
「前!」
「左の銃!」
「足元!」
わたしは叫び続けた。
律はその声だけを頼りに動く。
避ける。
斬る。
弾く。
蹴る。
ケースへ伸びてきた腕を斬り落とし、銃弾を刀で逸らし、鉈を持った男の顎を蹴り上げる。
血が飛ぶ。
潮風に混ざって、鉄の匂いが濃くなる。
わたしの足は震えていた。
でも。
目は逸らさなかった。
逸らしたら、律が死ぬ。
それだけは分かっていた。
「律、後ろの二人、同時!」
「はいよ!」
律が身体を沈める。
背後から飛びかかった二人が空中で衝突した。
その瞬間、律は刀を横へ薙ぐ。
二人の身体がまとめてコンテナへ叩きつけられた。
残り数人。
警察側の銃声も減っている。
味方が押しているのか、倒れているのか分からない。
律は血に濡れた刀を握り直した。
「ラスト、決めるで」
その声と同時に、律が消えた。
いや。
そう見えるほど速かった。
敵の間を縫うように走り、刃が連続で閃く。
一人の足を斬り。
二人目の腕を落とし。
三人目の銃を弾き飛ばす。
最後の男が、結晶を噛み砕こうと口元へ手を伸ばした。
「律、口!」
「おう!」
律の刀の峰が、男の顎を打ち抜いた。
結晶が宙に舞う。
律はそれを蹴り飛ばし、男の腹へ柄を叩き込んだ。
男は白目をむき、その場へ崩れ落ちる。
静寂。
ようやく、わたしたちの周囲にいた敵は動かなくなった。
律は刀を下ろし、荒く息を吐く。
「…っはぁ」
「しんど」
わたしも膝から崩れそうになる。
だけど、まだ終わりじゃない。
「北へ行こう」
「応援に行かないと」
律は一瞬だけこちらを見る。
それから、短く頷いた。
「行くで」
敵を何とか片付け終わったわたしたちは、すぐに北へ向かった。
しかしそこには、倒れた警察官たちがいた。
身体が異常なほど萎びている。
水分を全部抜かれたように。
「…っ」
警官たちの顔を見ると喉に穴をあけられている。
そして、彼らの顔がモザイクがかかったように見えなくなっていく。
嫌な予感がした。
「プランBだ!!」
クマさんの怒号が響いた。
「全員、即時撤退しろ!!」
プランB。
それが指すのは、最悪の状況。
つまり。
わたし達が考慮しうる想定外が起きた。
「なんでやねん!!」
律が叫ぶ。
「急いでここ離れるよ!!」
「一旦クマさんのとこ行かんと!」
「駄目」
わたしはすぐに、律のマントを掴んだ。
「なんでや!」
「クマさんは、ワイの師匠やで!?」
「それにこの都市でクマさんに勝てる人なんておらん!」
「負けるわけ――」
「もし勝てるなら、プランBは出ない」
律が黙る。
その顔が歪んでいく。
「…見捨てろって言うんか」
「違う」
「クマさんが生きてるなら、自力で逃げられるはず」
「でも、わたしたちが戻ったら足手まといになる」
「それでも…それでもワイは!」
律の声が震えていた。
怒りではない。
焦り。
迷い。
そして、どうしようもない恐怖。
クマさんが負けるはずがない。
きっと律は、そう信じたいのだ。
だけど、無線から響いた“プランB”という言葉が、その信頼を残酷に否定していた。
わたしは、律のマントを掴む手に力を込める。
「…わかった」
「なら、わたしも行く」
「いや、お前は――」
「あんたがいないと、わたし死んじゃうでしょ?」
律の言葉が止まった。
普段なら、何かしら軽口を返してくるはずなのに。
今の律は何も言わなかった。
ただ目を閉じて、深く息を吐く。
「…ありがと」
そう呟いた声は、いつもの律より少しだけ幼く聞こえた。
次の瞬間。
律はわたしを抱え上げ、クマさんのいる東側へ向かって走り出した。
風が顔に叩きつけられる。
コンテナの影が後ろへ流れていく。
港に響いていた銃声は、もう遠くなっていた。
代わりに聞こえてくるのは、律の荒い呼吸と、わたしの心臓の音だけだった。




