第十一話
「お前たちは、もう少し安全に調査ができんのか!!」
クマさんの怒鳴り声が、執務室へ響き渡った。
机を叩いた衝撃で、置かれていたペン立てが揺れる。
わたしは思わず肩を跳ねさせた。
「いや、あの場面で安全って無理すぎるやろ!」
律も負けじと声を上げる。
「そういうことではない!」
「なぜばれずに逃げられんかった!」
「そのせいで、結局誰一人検挙できていない!」
「す、すまん……」
律が珍しく小さくなる。
ソファへ座り込みながら、肩を落としていた。
あの後。
警察と連携して“ネーム”へ戻ったものの、そこには誰も残っていなかった。
薬物も。
男たちも。
証拠になりそうなものも。
最初から存在しなかったみたいに跡形もなく消えていた。
残っていたのは、焼け焦げた路地と、散乱した机だけ。
クマさんは深くため息を吐く。
その顔には、疲労が滲んでいた。
「…相手は想像以上に大規模だ」
「少なくとも、ただのチンピラ集団ではない」
わたしは静かに口を開く。
「クマさん。一つ、勝負を仕掛けてみませんか」
クマさんの視線がこちらへ向く。
律も怪訝そうに眉をひそめた。
「勝負?」
「はい」
わたしは端末を机へ置く。
そこには、ランク紫を探していた男たちの会話記録が表示されていた。
『あれがねぇと――』
途中で途切れた言葉。
だけど。
彼らが“ランク紫”を強く求めていることだけは確かだった。
「相手は、ランク紫を欲しています」
「なら、こちらから餌を見せればいいです」
部屋の空気が静まり返る。
クマさんは腕を組みながら目を閉じた。
「…なるほど」
律だけが嫌そうな顔をする。
「ただ、リスクが大きすぎる...」
クマさんは深々と悩み始めている。
わたしは、そのまま作戦を説明した。
ランク紫を運び出し、その情報を意図的に裏社会へ流す。
そして。
それを狙って現れた連中を、一斉包囲する。
単純明快。
だけど、確実に相手は食いつく。
話を聞き終えたクマさんは、しばらく沈黙したあと静かに頷いた。
「…確かに勝算は一定数あるだろう」
「ただ、一旦上層部で会議させてくれ」
そう言うとクマさんは部屋の外へ出ていった。
三日後。
作戦は正式に認可され、 NOTE初の大規模作戦が始まった。
白書の警察官、NOTE、さらに図書館警備を専門とした戦闘部門まで投入されるらしい。
「ほんまにワイらが囮やるんか…」
律がソファへ倒れ込む。
「当たり前でしょ」
「律以外が狙われたら、すぐに死ぬ可能性あるし」
「ワイも死ぬ可能性あるんやで!?」
律が叫ぶ。
「死なない」
わたしは即答した。
「信頼してる」
「っ…!!」
律が胸を押さえて苦しみ始める。
「なんやその不意打ち…」
今回の作戦は元々、囮役はわたしだった。
だけど、律が猛反対した。
『死ぬ気なんか!?』
『何回言わせんねん!』
『命を軽く考えるのやめろ!!』
執務室中へ響くくらい怒鳴られた。
あまりにうるさかったので、最終的にクマさんが律中心の作戦へ変更した。
その日の晩御飯は、大根の漬物だった。
律は怒りながらこちらを睨んでいた。
ただ、漬物は妙に歯ごたえが良くて美味しかった。
「全部隊、配置に着け」
無線から声が響く。
作戦開始。
わたしたちは現在、白書大図書館地下三百メートル地点へ来ていた。
人類が、生身で安全に到達できる限界深度。
地上とは空気が違う。
熱く、空気が重い。
まるで巨大な生き物の腹の中にいるみたいだった。
地下へ降りるエレベーターは、降下中ほとんど揺れなかった。
だけど。
降りるたび、耳鳴りみたいな感覚が強くなっていく。
地下二百メートルを超えた辺りから、律もほとんど喋らなくなっていた。
やがて。
巨大な隔壁の前でエレベーターが停止する。
分厚い金属扉。
そこには無数のロック装置が取り付けられていた。
クマさんが端末を操作する。
ガコン。
重低音が響く。
ロックが一つずつ解除されていく。
そのたびに、空気が冷えていく気がした。
「ここに、ランク紫が保管されている」
扉がゆっくり開く。
次の瞬間、凍えるような冷気が吹き出した。
「っ…!」
わたしは思わず息を呑む。
部屋の中央。
そこには五冊の本が並んでいた。
すべてガラスケースの中。
周囲には大量のケーブル。
計測機器。
謎の装置。
そこでは本が“監禁”されていた。
わたしは本から視線を外せなくなった。
鼓動が速くなる。
手汗が滲む。
足が震える。
だけど、怖いとは少し違った。
むしろ――懐かしい。
そんな感覚だった。
「…なんやこれ」
律が半歩下がる。
いつもの軽口が消えていた。
「おびき出す前に、ワイら死ぬんちゃうか」
笑っている。
だけど顔は引きつっていた。
クマさんが小さく笑う。
「安心しろ」
「我々も死なれると困る」
そう言うと、クマさんは別のケースを取り出した。
透明な四角い箱。
「この特殊ケースで移送する」
「これに入れていれば本は絶対に開かない」
「どう見てもガラスやないか!」
律が即座にツッコむ。
「そんなもん、すぐ割れるやろ!」
「いや、これは防弾ガラス以上の新防御素材だ」
「ミサイルでも飛んでこない限り壊れない」
「それもうフラグやん…」
律が顔をしかめる。
その後本は、機械アームによって慎重に移されていく。
人間が直接触れるのはさすがにリスクが高いらしい。
だけど。
これから、わたしたちはそれを至近距離で運ぶ。
そう考えた瞬間。
胸の奥がざわついた。
準備は完了した。
警察の配置、情報の流布、包囲網。
すべて整った。
そして。
NOTE初の本格作戦が、静かに始まった。




