20200215
・フクシマ50
印象操作来ましたねw。ちょっと早いかなと思いますが世間が他の事で騒いである間にしれっと混ぜ込む手法ですねw。充分反省したから許してね?というアピールです。これの問題は、官僚含めて自民よりだった連中が新しい政権に対して非協力で被害を拡大させた事でしょう。"民主"党が悪い、"民主"党は質が悪い、というラベル貼りが出来れば自民は正しい、という風潮を作り出す事が出来、それまでの政策を不満があってもまだマシなものとして受け入れさせる事が出来、同じやり方で延命できます。自分達が下なら更に下を作って比較させればその2者間では自分達の方が上だ、というやり方です。
今のお米さんの民主党を見ればわかる様に、あえて意図的に"民主"主義に悪いイメージを付けるラベル貼が行われています。その目的は、今後に戦争が起きれば一時的に軍部の影響力が強くなり、その権力を持つ者達が封建制などと同じ様に(現代民主主義から見て)公私の区別を曖昧にして利益を荒稼ぎし快楽を貪ろうとするものだと思われます。戦争になり、その後、どうするかという不安の中、民主主義のイメージは下がっている、軍事力を背景に強引に行動するのは保身の面で安心できる、なら多少の不正は見逃しても良いんじゃないか、という考えに持っていこうとしているとも言えます。欲しい結果から逆算してイベントを設定するなら主義思想の面で一貫性がなくとも良いわけです。丁度、とある国の方々の支離滅裂な行動の様に。
丁度、現在のト○ンプ氏の演説がそうですね。あれはナチにおけるヒトラーの演説と似た所があります。劣化してますが。当時のドイツも確か不況のただなかにあり、民衆は自分達が死ななくて良いものに縋る必要があったはずです。だからそれが正しかろうと間違っていようと(ただし本当に悪だと分かっているものには従えない)そこに可能性があるのなら信じるしかなかった、と言えるでしょう。そしてその状況に追い込んだユダヤに矛先が向いた、と言えます。その辺りがお米さんと当時のドイツの違いとも言えます。お米さんは自分達で自分達を追い込んでいるので^^;だからトランプ氏の演説を支持する方たちの根本的な部分とナチを支持した方たちの根本的な部分は一緒のはずです。それを信じなければ生きていけない、という事です。ナチは社会の裏側でユダヤがズルをしているのに気付いて淘汰しようとした、お米さんは自分達で自分達(だが内部にユダヤの影響力が大)のズルでどうにもならなくなった、から戦争をしようとしている、と言えます。当時のドイツはユダヤのズルを世界から排除する為、今のお米さんは理由なんてどうにでも用意出来るからとりあえず自滅回避、という感じでしょうか。表面だけ見ると同じに見えますが中身には違いが生じ、それをどれだけ詳細に把握できるかが才能と言えます。でもここに書いた話をどう証明するのか、という面で区別できるのかとなります。そこに欠点があり、当時のドイツはユダヤを排除出来ませんでした。曖昧な話よりマニーですよ、マニー、という流れになります。そのユダヤに味方して内部を食い荒らされたお米さん。自業自得というべきか。同情はしますが。
で、やはり証拠もなく、そして勝った側が事実を捏造して上書きするので証拠は消されるという結果になります。勝てば官軍というやつです。でも結局問題になる部分は解決していないので、何度でも繰り返されるという結果になります。丁度そういった捏造と錯覚の為に、FF7の映画「アドベントチルドレン」で善悪の立場を逆にして錯覚する様にしたものがあります。あくまでセリフなどの描写だけですが。ストーリはそのセリフなどを逆に錯覚する様に作られますから。セフィロスが「なんどでも帰って来るぞ」などと言い(これは主義思想を唱える者達は問題が解決されない限り何度でも現れるぞ、という比喩になる)、それに対して騙されている主人公が「どうか記憶の中で眠っていてくれ」とかいう発言をしていたはずです(これは出来る限り長い間、ズルの恩恵を受けたいから出てくるな的な発言です)。で、こういった映画を知性が足りずに見て、単純な"圧政に対して抵抗する指導者が現れるが鎮圧される"というバッドエンドがさもハッピーエンドの様に見せかけられて遺伝子上に蓄積された情報を相殺されて、また騙される結果になる、いわば家畜量産計画の一環が行われ、陰でコソコソ動き回る者程得をするという状況が延々と繰り返されます。ですがストーリーなどにおいてもそういった場合もある、とも言え、絶対ないとは言えません。でもあえて教えたり優先的に対処するべきものでもない、というミスリードである、というのがこういった手法の要点です。そうやって間違えさせれば、自分達に能力がなくても普通の選択をすれば優位に立てます。相手を貶めて差を作る、集団を形作る時にした約束などは保身や利己益の為には容易に捨てる連中が社会を牛耳っていると言えます。そしてミスリードを狙った陳腐なものも与えられた技術ですごい様に見せかけて受け入れさせる、という手法が確立されます。
ですから知性を身に付けてください、というのが結論です。それが何の意図がありどういった状況と混同する可能性があるのかを知ってください。ある状況に対して妥当なのはどういったものか、それに対して現状はどうなのか、という差を比較できないと、差を比較する事しか出来ないのであれば、明確な判断が出来ない事になり、その比較する元となるモデルをすり替えられると正しい判断が出来なくなり、その為のミスリードが社会の中で公然と行われている事に注意してください。
つまり、それが出来ていないからトランプ氏の演説を素晴らしいものだと錯覚し、また、そうでなければ生きていけないから真実からは目を背けて素晴らしいものと錯覚しようとする。そしてそれを批判する者は悪でなければならないから悪と断じて排除する。そこに正義も真実も客観性もない。ただあるのは村人(集団を考えない個人)レベルの判断だけという事です。オラが生き残るにはこの方法しかないのに田吾作ドンが一々突っかかって来る。田吾作どんはオラに意地悪がしたいだけなんだ。だから田吾作どんは悪いやつなんだ、という解釈が正しいかどうか。これがトランプ氏の演説とそれに対する民主党の批判の関係とも言えます。この情報だけでは田吾作どんが本当に悪いかどうかは分かりませんね?でもそうでなければならない者にとってはそうでなければならないわけです。
で、映画関連で話を膨らましましたがフクシマ50に戻しますがこういった時の問題点は当事者が都合の良い所だけ語る、というやつです。当事者(の利害関係者)に都合の良い情報を流させて、さも自分達も被害者だとかそんな感じで語って誤魔化すというやつが非常に問題になります。論点ずらしになり、当事者の責任や判断の正当性には何の関係もない事は留意しておきましょう。ですが、声高に言ってはダメですよ?これの封じ方があって、権力を用いて罠に嵌め、同じ様に責任を追及して責任を取れない事を理由にその者の批判していた内容を撤回させる、というものが確立しています。だから過度に批判すればそうやって追い込まれます。そして権力者はある程度期間が経てば印象操作で逃げ切れるという実績を積み、そこに損益分岐点を設けてビジネスの指標にする、という結果に至り、犯罪はなくならない(過失に見せかけた故意による失敗など)、という結果になります。困った事にそこまで考えて政治とはやらないといけないんですが、今の政治家は考えてるんでしょうかね。そうしてたまったツケが不都合だからきれいさっぱりしてしまおうというのが戦争です。そこまではセットです。それを許すかどうか、はそれ以前の社会の在り方にも影響するわけです。戦争する可能性が表面化する時には時既に遅しという場合が非常に多く、それまでの失敗の蓄積がその状況をつくりだしていると言え、しかし普段の日常でそれを意識している者はほとんど居ない、そしてそう行動出来る性質を積み重ねた者は既にほとんどいない、なぜならその場限りの効率重視で成功体験を積み重ねた者達を優遇して生かしたから、となります。90年代に「ミツバチの失踪」なんて警告がありましたね。つまりはそういう事です。
で、映画ついでにヒット作で逆のイメージを植え付けて錯覚させる内容であるが為に特定の層の印象操作でヒット作になっている、と思われるものとしては「天空の城ラピュタ」とかあります。空から落ちてくるのが"少女"(ここが逆)とかですね。ウォーリーを探せではないですがそうやってどこに何を意図的に放り込んでいるのかを見るのも映画やアニメを見る醍醐味とも言えますので自身が昔より成長したと思えたならやってみても良いのではないでしょうか。
勿論、逆にしなければ放映させてもらえないからその一部だけ逆になるのは許容して作る、という場合もあるわけです。それ以外の部分を知らせる為に総合的にメリットがあると判断して。だからこういったものはグレーになる場合が多いです。ですがそれ以降の作品などを見て傾向を調べると意図が見えてきたりするわけです。
/複数の男子生徒 中学校内で盗撮 生徒間で画像売買も 奈良 生駒
別の話題で大麻を売って儲けると堂々と親に言った男子も居たとかなんとか。血が濃くなってきて性質が顕著にでもなってきたんでしょうか?田舎とは良くも悪くも閉鎖された社会ですからモラルも欠如しやすいです。逆に時代に流されずにモラルを維持する場合もありますがw。どちらが多いかと言えば快感原則に従うのが多いわけです。根拠が分からなければ。
どうにも話がお米さんに偏りますが、誰かの集めた情報を見ているのでどうしてもトレンドに偏ります。実際には広く集めたいのですが、その気力がありませんw。大抵は見てもト○ンプ氏の演説の様にたいした事言っていないので興味がないとも言いそうになるんですが。誰もかれもが効率重視で物事をブラックボックス法で自身の欲しい結果が得られるだけしか分析しないので、自分達に都合の良い所だけ見ている事になるのを気づいていないというのが問題でしょう(気づいたからと言って出来るとは限らない)。そして誰かが解明したブラックボックスの情報を起点にホワイトボックス法で発展させるから、そこにまだ明文化されていない情報を見ないが、教育がテストの点だけを競うもので優劣を決めるからその延長上で物事を判断する。だから何も解決されない、と言えます。とまぁ、権力者じゃないから偉そうに言える事を言ってますw。ぶっちゃけ下世話な話になりますが広く情報を集めようとすれば時間もマニーもかかりますw私にはそれがないのでしないと言っておきます。ちなみに弱っているから書いている内容もイマイチセンスが感じられないと自分でも悩んでますw。専門性を突き詰めるにはより多く学ぶ必要もありますし、そうしなければ背景事情も見えてこない。ではそれが出来ない社会を作れば、ずっと曖昧な部分に不正行為を隠せるんじゃね?という考えが現代社会です。
映画とか良くイメージの相殺の為に作られたりしますし、人気が出たらそこに盛り込んで受け入れさせようとか平気で行われますのでそういったものを探す目的で見るのも良いかもしれません。例えば怪人が登場したジム・キャリーの「マスク」が人気が出たが「マスク2」は人気が出なかった。1と2でなぜ人気が出なかったか、意図的に印象操作の為に入れられたものはあるか、とかです。例えば「オースティン・パワー(ド?)」は面白かったが、人気が出たから水増し感覚で作られた「2」は面白くないがなぜ面白くないと感じるのかとか。ちなみにこれは1は周到に寝込まれているが2は見た目同じにしただけ、というのが分かりやすいです。




