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バーロック・ワームズの供述書  作者: ダム底タヌキ
通常業務編
8/14

☆生活保護とかいう偏った光

私の同郷、特注の三つ揃えスーツを身に纏うクローン体。

さぞかし現地の鳥類に格の違いを見せつけるのかと思いきや。


…彼は、見事なまでに群れと一体化していました。


スーツの襟元から覗く首の動きは、周囲の個体群と完全に同期しています。一歩踏み出すごとにカクッ、カクッと脳髄を揺らすような正確なピッチで頭部を押し出し、観光客がばら撒いた豆をコンマ一秒の躊躇もなく嘴で弾き飛ばしては胃袋へと流し込んでいる。


先ほどまで私の肩で気取っていた帝国紳士然とした態度はどこへやら。

そのオレンジの眼球は周囲の群衆と全く同じ、ただカロリーへの要求にのみ支配された虚ろな光を放ち、隣の鳩を羽で小突きながら最も大きなパンの耳を確保すべく熾烈なポジション争いを繰り広げています。


「やれやれ。調整された人工物であろうと、生き物には変わりませんか

種に刻まれた根源的なプログラム…本能には抗えないようですね。私もハトのこと言えませんけど」


私はステッキ代わりの傘を突き、群れの中で一心不乱に地面をつついている小さな背広姿を見下ろして、深くため息をつきました。


「おや、第42号…いえ、鈴木殿ではありませんか!このような場所で、奇遇ですね」


不意に背後から声をかけられ、振り返ると、そこには額に汗を光らせ、首にタオルを巻いたジャージ姿の屈強な男が立っていました。


ランニングの途中らしく、その引き締まったふくらはぎの筋肉が健康的な躍動を刻んでいます。


「…おや、そちらは、伊藤殿でしたか」


私が彼がこの国で名乗っている偽名で応じると、男は嬉しそうに目尻を下げました。


「ええ、覚えていてくれて光栄です。そして、私の知る42号殿のままで何よりですよ」


「以前の侵攻でもご一緒しましたからね…むしろ、何故私の見分けがつくのですか?」


私は純粋な疑問を口にしました。


「我々ワームズの20号以降は、骨格から毛髪一本に至るまで完全に画一化された量産デザインのはず


一列に並べたとしても、判子絵を見ているのと大差ないと思うのですが…


ああ、いや、そうか!思い出しました、この日本において担当は42号である。同胞の皆様ならご存知のことでしたねぇ!あっははははははは!!」


「さあ、理屈はよくわかりませんがね…仮に入り乱れていても、鈴木殿がどなかだけは見分ける自信があります」


伊藤は、首のタオルで汗を拭いながら朗らかに笑いました。


「なんか、特徴的なんですよね…腰を据えて話したのが鈴木殿だけだからそう思うのでしょうが

他の方も、一度しっかり言葉を交わした相手なら、醸し出す空気や歩幅、それに目つきなんかで、なんとなーく分かるんじゃないですか?」


「なるほど、感覚による識別ですか。私には到底理解できませんね」


私が肩をすくめると、彼は「ははっ、いつかはわかりますよ」と人懐っこい笑い声を漏らしました。


「どうだか…そんなことより貴方、広島支部に配属されていたのですね」


「ええ!今はここの土木会社で、日本の驚異的な免震、耐震建築技術を吸収すべく、作業員として潜入中であります!

今日は休みなので、体力作りのランニングをしていましてね」


彼は息を整えながら、私の視線の先――パン屑を巡って熾烈な争いを繰り広げる鳩の群れに目をやりました。


「それにしても、この国の鳥は本当に丸々とぶくぶく太っていますよね。あんなに隙だらけで肉付きが良いのに…神聖なアヒル様でもないただの野鳥を、誰も捕まえて食べようとしない

それどころか、自らの食料を分け与える始末。飢えという概念が少ない、本当に恐ろしいほどの平和です」


伊藤は感心したように目を細め、首のタオルで汗を拭いました。


「ええ、全くです。狂気すら感じるほどの余裕ですよ」


私が同意を示すと、伊藤は少しだけ声を潜め、真剣な表情を浮かべました。


「豊かさの極みと言えば…第42号殿。この国には“生活保護”という、とんでもない制度があるのをご存知ですか?

なんと、生粋の日本人でなくとも、一定の条件を満たせば国から金が支給され、働かずに生きていけるらしいのです」


「ほう…労働の対価なしに、国家が生存を保証する?スラム街の住人が聞けば、暴動を起こしてでも密航してくるでしょうね」


「全くだ、ですがね…」


伊藤は、ごつごつとしたマメだらけの手をぎゅっと握りしめました。


「私は、ここで暮らしていくなら、ちゃんと自分の手で仕事をして、自分の金で稼ぎたいんですよ

…いつか、帝国がこの国に牙を剥く日が来るかもしれない。その時は、現地の地理とインフラに精通した我々が、侵略の兵隊を率いることになる可能性が高いでしょう


だとしても、だからこそ…個人の心境として、この国でただ甘い汁ばかり吸って寄生するのは、どうにも矜持が許さない。土木の親方にもよくしてもらっていますしね」


スパイでありながら、労働者としての真っ当な誇りを胸に秘める男。

「真面目ですね、そちらは」と私が微笑むと、彼は少し悲しげに目を伏せました。


「だから、お願いがあるのです。祖国にはこの制度について、伝えないでいただけますか?」


「情報の隠匿ときましたか、反逆行為と見做してもよろしくて?」


「構いません。ただし、首を取るなら横領とか…別の理由をつけていただきたい」


「貴方は死にたい人ではなかったように思いますが、何の心変わりですか?」


「変わってませんよ。この保護制度とやらが、完璧な奇跡ではなかったというだけです


現場の同僚から聞いたのですがね…支給された金銭でパチンコに通い、煙草や酒、ソシャゲ課金を嗜むろくでもない人間が制度の網の目をすり抜け、不正に金を貪るケースがある一方で…本当に助けが必要な人間に限って、制度を受けられなかったり、途中で打ち切られて、餓死や自死を選んでしまうことがあるそうです」


「…なるほど?光が強いほど、影もまた濃いということですか」


「ええ。真面目で優しい人に限って、『自分なんかが国に迷惑をかけられない』と遠慮してしまったり、役所の冷たい対応に心が折れて、自ら寿命を削ってしまう


残酷なことですよね…どこの世界でも、いい人ばかりが死んでいく」


「都合のいい人、とも言いますしね」


「鈴木殿、パイルドライバーはお好きですか?」


「すみませんでした、続けてください」


「わかってくれればいいんです…この豊かな国の実態もね

救済制度があってもなお、こぼれ落ちる命があると思うと、ひどく複雑な気分になるんですよ」


伊藤は深く息を吐き出し、ランニングシューズの紐を締め直しました。


「ですから、第42号殿。もし気が向いたらで構いません

日常で街を散策するついでに、様子のおかしい人や、最近姿を見ない孤独な人がいないか、少しだけ見守りをしてやってくれませんか?

私も、毎日の出退勤のルートや、こうして休日にランニングをする道程で、ついでに地域の確認をしているんです

もしもの時には、こっそりと行政の窓口に匿名通報を入れるくらいはできますからね」


侵略先の国の弱者を案じ、休日のランニングついでに見守り活動をしているとは、物好きな…

皇帝陛下が聞かれたら…まぁ、何も言いませんか。


彼は末端なのでご存知ないのでしょうが、陛下はまれに耳が遠くなる。

我々ワームズの報告にだって、故意に記憶を飛ばすことあるのだから、余計な心配なんですよ。


「承知しましたよ、伊藤殿。私の観察眼は、そういう些細な変化を見逃さないためにあるものですからね

微力ながら、こちらでも気に掛けるようにいたしましょう」


「感謝します!では、私はもう少し走ってきますので、どちらも、良き日常を」


伊藤は爽やかな笑顔を残し、再び平和な尾道の風の中へと走り去っていきました。


その頼もしい背中を見送った後、私は再び、足元で醜く今日の昼飯争奪戦を繰り広げる灰色の群れへと視線を戻しました。


「あの特注のスーツを着せていなければ、今頃どれが私の相棒なのか、完璧に見分けがつかなくなっていたことでしょう

鳩認証システムでも導入しない限り、個体識別の不可能な生物デザインですよ、全く」


とはいえ、天敵の気配に怯えることなく、人間から与えられる糧だけでこれほど無防備に肥え太ることができる環境に居座る図々しさ。

そして、多少の陣取りが許される可愛らしいフォルムこそが、彼らがこの世界で繁栄を極めている最大の理由なのでしょう。


「さあハトソン、お食事の時間は終了です

あまり現地のカロリーを過剰摂取すると、スーツのボタンが弾け飛びますよ」


私が声をかけると、ハトソンは「ンボーボクックー」と喉を鳴らし、口の端にパン屑をつけたまま、どこかバツの悪そうな様子でパタパタと私の肩へと舞い戻ってきました。


私は彼を咎めることなく、その背中を指先で軽く撫で、やかましい寺を後にしました。


その後に通りがかった広島駅前や八丁堀界隈のビル群は、あちらの世界の王都のそれよりも高く、そして整然と並んでいます。その合間を縫うように、古めかしくも愛らしい路面電車が、まるで時間を繋ぐ装置のように悠然と走っている。


「かつて焦土となった地が、これほどまでの繁栄と平穏を取り戻す…軍師たちが聞けば、“人心を操作する魔法”の存在を疑うのでしょうね


しかし、その正体は、呪文なんて薄っぺらなものではなく、誰もが平和を当然の権利として享受できる制度の結実にあるようだ」


私は、たすき掛けにしたスマホの一台を取り出し、付近にあるお好み村という名の、ソースの匂いの源泉たる要塞の座標を特定しましたが、すぐに画面を切り替えました。


「ハトソン。私、この地は苦手かもしれません

火薬の匂いがしない、戦争の傷跡に人々が見出すのも、怨嗟ではなく、もう繰り返したくないという願いばかり


市井にはただ、空腹を満たそうとする幸福な民の声と、焦げたソースの香ばしい誘惑があるだけだ…食欲が失せる、ここに私の居場所はない、いてはならない


次です次、もっと争いの気配のする場所へいきましょう、商業でもこだわりでも漫画、アニメ産業でも何でもいいですから」


私はインバネスコートの裾を翻し、駆け足でバスに乗り込みました。


そうして電車に乗り換え、次に向かったのは、吉備の国――岡山。

駅前に降り立つなり、私は巨大な石像を仰ぎ見て、パチリと瞬きをしました。


「ぶんどりものをえんやらや…ねぇ

ハトソン。この地の英雄は、キビダンゴという名の“高カロリーな炭水化物の塊”で、犬と猿と雉を雇用し、鬼という名の異種族を虐殺したそうですよ


この世界の逸話傾向的に、人外は何かしら別の存在の隠喩であることが多いのですが…それでも、ダンゴで雇われる傭兵だなんて、なんという安上がりな。皇帝でもそこまで買い叩いたりしませんよ、まったく」


私は石像の前で記念撮影をする観光客の群れを、虫を見るような目で見つめました。


「おじさん、写真撮って!」


自撮り棒を持った若者が私に擦り寄ります。


「おや。そちら。私をシャッターを押すだけの“指付きの三脚”か何かとお間違えですか?

…それとも、その手に持つ棒を、自分の眼窩に突き立ててほしいという、特殊なリクエストでしょうか?面白い趣味をしてらっしゃいますね」


私の丁寧な問いかけに、若者は「あ、すんません…」と顔を引きつらせて逃げ出しました。


平和、実におめでたい。


神話の英雄を拝み、桃の果実から人間が生まれるという生物学的な矛盾をも夢があるとして、誰もがそのままにする。

この世界の住人は我々の世界をファンタジー呼ばわりしますが、自分たちこそとんでもない世界で生きる同類だという自覚はあるのでしょうか。


「ハトソン、あちらの売店でキビダンゴを買いましょう


私は食べませんがね。故郷の獣どもに、この“奴隷契約の撒き餌”が通用するか、実験してみる価値はあります」


そして私は道中、空腹により、ウサギのはなくそと買収用のキビダンゴを自ら喰らいながら電車を乗り継ぎ、神戸という、自意識過剰な街に辿り着きました。


山と海に囲まれ、住む者たちが一様に“自分たちは大阪や京都の民とは遺伝子レベルで異なる”と信じ込んでいる、滑稽な自治区です。


そこで目についたのは、北野の異人館。

かつて日本国外から来た連中が住んでいたという場所。


「ハトソン。見てください。ここには“異人”、つまり私のような者を展示して喜ぶ文化があるようです…趣味が悪い」


ならば私も、こちらの住人を標本にして、我々の世界の博物館に寄贈してあげましょうか。タイトルは“自称お洒落な猿の末路”で決まりです


…なぁんて、嘘ですがね、正しくは、外から来た連中に開かれた居場所でしたか?


「元々要求されていた兵庫港、日本における皇帝、天皇陛下の御わす禁裏に近い土地を開くよりは、ずっとマシな判断と言えますが…大胆なことをするものですね


皇帝陛下であればその臆病さ…いえ、深謀遠慮から、使者を吊るし上げていたかもしれない

というか、私でもそのぐらいの拒絶反応は起こすんですけどね?だって、八隻ですよ?他国の軍艦が八隻、しかも乗組員は上陸して、三週間もの間そこらをほっつき歩いていた


それなのに、現地の一般市民は友好的に振る舞ったというのも驚きです。意識の高さと相応に、懐も深いのかもしれませんね…

まあ。乗り込んだ側の認知の歪み、日本人の愛想笑いに勘違いを起こした可能性もなきにしもあらずですが」


坂道を登りながら独り言を連ねる私の横を、高級車が派手なエンジン音を立てて通り過ぎました。

水たまりが跳ね、私のインバネスコートにバシャッと、泥水がつく。


「ハッ、フくくっ…」


私は走り出し、ちょうどたどり着いた坂の上から、路面状況を確認しました。

車速、ウィンカー点灯の有無、ブレーキ掛けのタイミング。


「あら。あの車、可哀想ですねぇ

三キロ先の交差点で、ちょうどワームホールが車道のド真ん中に開く予定になったのに、あんなにスピードを出して…


間もなくゴミ処理場の芳醇な香りに包まれて、素敵な午睡をお過ごしになることでしょう」


落ち着かねば、早くワームホールを、まともに繰り出せるように。


私は、汚れがついたコートを指先で弾き、まだ震える手指が、これから開く予定の空間の隙間を勝手に手元に寄せぬよう。何より、そこからショットガンを引っ張り出さぬように、必死に己を律していました。


「私は紳士、とりわけクールで無害な不審者

あくまで公共交通機関を使い、法を守り、そして――誰にも気づかれないように、落とし前をつけるの、ですッ!!!!」


「プップクるるルルルン!」


誰が言ったか、魔法を撃つより、殴ったほうが早い。

詠唱に向けて、息を吸い込んだその時、ハトソンのドリルくちばしが炸裂しました。


「いっ!やめなさい!私もやめますから!わかりましたから!そうですね、約束しましたね!一般市民には手を出さないお約束をね!!!

ゔっウッうっ…ハァ、先の操縦者は幸運、っだ!ヒィ!」


坂道の上で、ハトソンのドリルくちばしがドスドスと私の首筋に突き刺さる。

それが目についたんでしょうか、背後から、数人の若者たちの切迫した声が響きました。


「ちょっと!大丈夫ですか、あなた!」

「おい、鳥に襲われてるぞ!助けろ!」

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