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バーロック・ワームズの供述書  作者: ダム底タヌキ
通常業務編
6/14

☆過剰な自意識が生み出す被害妄想

幸いにも、トイレはすぐに見つかった。


ハトソン共々、何事もなく着替えて手を洗う。

念のため消毒ジェルも手に擦り込んでから遊歩道に出て、道沿いに進んでいくと、やがて潮風の匂いに混じって、苔蒸したレンガの匂いが漂ってきました。


木々の隙間から姿を現したのは、蔦に覆われた重厚なコンクリートの廃墟群。


「おや…この国にも、影の歴史があるのですね」


弾帯からスマホを引き抜き、大久野島の歴史を検索してみれば、納得の事実が並んでいました。


かつてここは、うちの錬金術師が歓喜しそうな、致死性の毒ガス兵器を製造するための軍事拠点。機密保持のために“地図から消された島”だったそうです。


「平和ボケした土地かと思いきや、過去には我々同様に業の深い兵器開発を行っていたとは…人間の発想は、どんな環境でも変わらないらしい」


かつて地図から消された秘密の島が、今やウサギと観光客で溢れ返るリゾート地になっていた。

更に面白いのが、先ほど私を生き埋めにしかけたあのウサギたちに関する記述です。


「ほう!彼ら、この島の固有種ではないのですね」


画面に表示された文字によれば、現在島に生息している数百羽のウサギたちはこの島本来の生態系を侵略し、我が物顔で居座っている“外来種”。

かつて外から持ち込まれた数羽が野生化し、天敵のいない環境で爆発的な繁殖を遂げたものだそうです。


「あんなに『私たちがこの島の主役ですが何か?』という顔をして観光客からカツアゲしておきながら、実態は外からやってきた不法占拠者ですか…

なんだか、急に親近感が湧いてきましたよ」


「コボォ」


ハトソンが同意するように短く鳴きました。私たちもまた、この国に潜伏している外来種ですからね。


「しかし内容を見るに、彼らも安泰というわけではないようだ」


記事によれば、現在の島内のウサギは、健康な個体とケガや病気の個体が半々くらいだそうです。

総数が一時期より減ったことで縄張り争いが減少し、同族同士の喧嘩による負傷は減ったものの、代わりに浮上しているのが“一部の心ない観光客”による被害。


可愛いからと追いかけ回し、無理に抱っこしたストレスでショック死させる。

人間の食べるスナック菓子など、有害な食べ物を与えて内臓を壊させる。

レンタル自転車で爆走し、飛び出してきたウサギを轢き殺す。

餌をばらまいたまま立ち去り、残飯を目当てに繁殖したネズミや、カラスが飛来して、逆に仔ウサギを捕食する事態を招く。なんなら近年、猫が持ち込まれた。


「愛玩動物として持て囃しながら、その無知と身勝手な善意で彼らの首を真綿で絞めている

聖教の狂信者どもと何ら変わりありませんね

神聖なアヒル様を祀り上げながら、やっていることは食べすらしないフォアグラ量産…おっと、この話はやめておきましょう、気分が悪くなる」


彼らは天敵のいない島で安全を手に入れた対価として、浅慮な人間の加害に晒されているわけです。


考えを巡らせながら廃墟の近くを歩いていると、私の革靴の先に、白い小さな物体が転がっているのが見えました。

踏みつける寸前で足を止め、視線を落とします。


「タバコの吸い殻、ですか」


ポイ捨てされたばかりなのか、微かに焦げた匂いが残っています。

ウサギたちは好奇心旺盛で、地面に落ちているものを何でもかじってしまう習性があるとか。


このニコチンの塊は、つけた水を飲ませただけで私も死ねる、お手軽暗殺グッズです。

我々の何倍も小さな彼らが誤飲すれば、あっという間に死ぬことでしょう。


私はしばらくその吸い殻を見つめ、やがて腰をかがめました。


素手で触るのは憚られたため、あらかじめ用意しておいた携帯用の小さなゴミ袋を裏返し、つまんでそのまま包み込む。

ついでに、そのすぐ横にばらまかれたまま放置されていた、シナシナキャベツの残骸も一緒に回収しました。


「ポッポーポ、クルプ?」


頭の上のハトソンが、おや?というように首を傾げています。


「彼らの生死なんて、知ったこっちゃないんですがね…私はダメな奴なんで」


私はゴミ袋の口を固く縛り、近場のゴミ箱に放り込みました。


「景観を損ねる不快なゴミや、後先考えずに証拠をばらまいていくような無作法な人間の痕跡が、同族嫌悪を誘発してきて、我慢ならない


下手人にはもう少し、しっかりして欲しいものですね

立つ鳥跡を濁さず、そんな基本的なマナーすら守れない同類の尻拭いをさせられる私の身にもなっていただきたい


それに、彼らは私を温めてくれた“外来種(おなかま)”でもありますから…同じ余所者として放置も難しい…自己満足って嫌ですねぇ、やらなくたっていいのに、衝動に負ける」


「クックゥーン!」


ハトソンが『自分に正直でよろしい』とでも言わんばかりに、楽しげに喉を鳴らしました。


「ついでに、この島は今後もマークしておきましょうか

化学兵器開発拠点から転じて、観光地に転じた成り行き…祖国が万が一、武器を手放した時に活かせるかもしれません…


ありえないんですけどね、そんなこと!はははははっ!やめたい人がいるのは事実ですから、参考までに、ふふ…この国は敗けて止まったそうですが、私達にもその日は来ますか?来ませんね?だって、コソコソ異世界を調べ回って、勝てる戦しかしないのですから!

…ああ!思い出した!調査はもちろん、足元の毛玉どもと、マナーの悪い観光客の落とし物に気をつけながらです、靴底に染みるのは敵の血潮だけで十分ですので!」


私は少しだけ軽くなった足取りで、カラスの鳴き声が響く青空の下、毒ガス工場の残骸を見て回りました。


戦災の名残が草木に覆われ、この国の平和がそれなりに続いたことを実感させられつつも写真を撮り、土に触れ、気分転換に島を半周ほど歩いたところで、私の視界に“うさんちゅカフェ”という看板が飛び込んでくる。


うさんちゅ。

海人(うみんちゅ)をもじったのでしょうか?言葉遊びとしては評価しますが、ウサギに支配された人間という響きにも取れてしまい、なんとも被支配者層の悲哀を感じるネーミングです。


「少し疲れましたし、休憩としましょうか」


店のメニューを覗くと、名物らしき“タコ定食”の文字が踊っています。瀬戸内の新鮮なタコ。魅力的ですねぇ。揚げたてのタコ天など、想像するだけで胃液が分泌されます。


しかし、ここでガッツリと定食を腹に詰め込むのは、中年の胃腸には少々過酷というもの。後先考えずに脂っこいものを放り込んで、後から胃もたれに苦しむのは三流のやることです。それに、日差しの中を歩き回ったせいで、冷たくて甘いものが無性に恋しくなっていました。


視線を横にずらすと、私の知的好奇心を強烈に刺激するスイーツのポスターが目に留まりました。


「“うさぎのはなくソフト”…ですか」


私は自分の目を疑い、思わず声に出して読み上げてしまいました。はなくそ。

いくら観光地とはいえ、食品に名付けるにはあまりにも攻撃的。

姫路の魚吹八幡神社を思い出しますね。ちょうちん練と言って、名前通りともに練り歩くだけだった提灯が、歴史の流れでエスカレート。遂にはボコボコにされるようになったアレ。


ちいさくてかわいい小動物が青竹でめちゃくちゃになっていく様を見た時には、その辺の子供と揃って泣きそうになったものですが…壊す前提のものを、あそこまで造り込むのも愛なんですよね。

この国の人間が持つ、可愛いものに対しての熱量は、とことんおかしい。

しかし、はなくそまでも愛でるだなんて倒錯した嗜好は知りたくなかったですね。


ポスターの説明によれば、定番のバニラと、“キャンベルアーリー”という竹原市特産の黒ぶどうを使った二つのフレーバーが楽しめるとのこと。地産地消の精神は素晴らしい。

しかし、その上にトッピングされている黒い球体。これが売店でもお土産として販売されている“うさぎのはなくそ”というココアピーナッツとのコラボ商品らしいのですが。


私はレジへ向かい、そのソフトクリームを注文しました。

手渡された冷たいコーンの上には、色鮮やかな紫色の黒ぶどうソフトが渦を巻き、その頂に黒々とした球体がコロコロと無造作に振りかけられている。


私はソフトクリームを顔の高さまで持ち上げ、じっとその黒い球体を観察しました。


「…あの、店員さん?」


私は極めて紳士的な微笑みを浮かべ、カウンターの奥のスタッフに尋ねました。


「鼻糞と名付けられてはいますが、この色、そして絶妙な丸み…どう見ても、外で大量生産されていた彼らの“フン”そのものではありませんか?」


店員さんは「あはは、よく言われますー!」と爽やかに笑い飛ばしました。


なるほど?この島の人々は、ウサギの排泄物を模した菓子を名物として売り出し、観光客に喜んで食わせているわけですね。


あちらの世界の狂信者たちですら、アヒルのフンを模して信者に配るような悪趣味な真似はしませんのに。

この国の商業的逞しさと狂気には、心底恐れ入ります。


「ルルルル?」


ハトソンが私の手元のソフトクリームを見て、首をかしげました。


「ええ、ハトソン。これは毒ではありませんよ

見た目は完全にウサギの落とし物ですが、中身はピーナッツとココアだそうです…では、いただきます」


私は備え付けのスプーンで、その“フン”を一つ掬い上げ、口に放り込みました。


「…おや」


サクッとしたピーナッツの食感と、ココアのほろ苦い甘さ。それが、キャンベルアーリーの芳醇で爽やかな酸味を持つ冷たいソフトクリームと絶妙に絡み合います。


「美味しいですねぇ…!

この黒ぶどうのフルーティーな甘酸っぱさに、ココアピーナッツの香ばしさが最高のアクセントになっています。見た目の悪趣味さを補って余りある、見事な計算だ」


私は感動のあまり、次々と“フン”を口に運びました。


「フンを模した菓子を喜んで頬張る私…傍から見れば、変質者度合いがランクアップしてますね

ですが、美味しいのだから仕方がありません」


ソフトクリームを完食し、すっかり満ち足りた気分のまま、私は併設されているお土産コーナーへと足を向けました。


陳列棚には、先ほどソフトクリームの上で素晴らしいアクセントになっていた“うさぎのはなくそ”のパッケージ版が山積みになっています。


「味と食感の完成度は申し分ない

これならば、帝国の貴族たちへの手土産として持ち帰っても十分に通用…するはず…?」


そこまで考え、パッケージを手に取った私の思考は、完全にフリーズしました。


パッケージにデカデカと描かれているのは、丸みを帯びた二頭身のウサギのキャラクター。

…なのですが、あろうことかそのウサギ、自らの鼻の穴に指を深々と…たぶん第一関節が完全に埋まるほどの深さまで突っ込み、ガッツリと鼻をほじっているではありませんか。


「なんというお下品

せっかくの中身のクオリティを、外装で台無しにしている」


その鼻ほじりウサギの能天気なイラストを、親の仇のように睨みつけましたが、現実は変わらない。


仮にこれを帝国の本国へ持ち帰り、謁見の間で皇帝陛下へ“日本で見つけたお菓子です”と恭しく献上したとしましょう。


我が主は暴君ですが、相応の思慮を併せ持つお方です。

このパッケージを見れば、陛下は玉座から毒殺の懸念も踏み越えて、しれっとした顔つきで、こう仰る。


『ふざけた見てくれだが、あえてパッケージに予算を割けるほど安定して売れる旨さがあるのはわかる。商人のしたたかな自信が窺えるな』


そして、実際に中身をつまんで咀嚼し、こう続けるのです。


『確かに美味だ…とはいえ、謁見の場面にはそぐわない

献上は受ける、貴様の首もそこに置いてけ。予の威厳のため、消費されろ』


ええ、しっかりと幻聴が聞こえました。

感情を交えず、午後のお茶を嗜みながらの平坦なトーンで、私の死刑宣告が下されるビジョン。


陛下がピーナッツを噛み砕く小気味良い音のBGMに合わせて、私の首が胴体からサヨウナラ。

大理石の床をウサギのウンコよろしくコロコロ転げていく様が、ハイビジョン画質で脳内再生される。


「…ダメですね、処刑は大歓迎なのですが、こんな理由で死にたくない」


私は深くため息をつき、商品を棚に戻そうとしました…が。先ほど味わった、あのココアのほろ苦さとピーナッツの香ばしさが、舌の上で鮮明に蘇ってきます。


あれは、疲れた頭脳を癒やすには最適な糖分でした。

緑茶にも珈琲にも合う、絶妙なバランス。仕事の合間の小休止に、一粒つまむのにこれほど適した茶菓子もそうそうありません。


私は、鼻をほじっているウサギのイラストと、数秒間、再び無言で睨み合いました。

ウサギの間の抜けた顔が『どうせお前も俺の虜だろー?素直になっちまえよぉ、キャッハァ!』と煽ってきているようにすら見えます。


「献上できないのなら、自分で消費すればいいだけの話です」


私は誰に見られるわけでもないのに、コソコソと周囲の目を気にしながら、そのパッケージを素早く三袋ほど引っ掴みました。


「これはあくまで、帝国に帰還した後の、私個人の夜のティータイム用です

ええ、自分へのささやかな慰労品ですからね。決してこのふざけたデザインに敗北したわけではありませんよ」


誰に対する言い訳か分からない独り言をブツブツと呟きながら、私は足早にレジへと向かう。

会計を終え、インバネスコートの懐に鼻糞を三袋も隠し持つ浅ましい姿、同僚たちには絶対に見せられませんね。


「さらば、商用ウンコ生産機

貴方たちの底知れぬ食欲と、観光客を飼い慣らすその恐るべき手腕、しかと見届けましたよ」


私はフェリーの甲板から、徐々に遠ざかる緑の小島に向かって一礼する。


そのまま手すりを掴み、海を覗き込み、飛び込みたい衝動に駆られ時間を無駄にする私と違い、フェリーは真面目でした。

十数分ほど波を滑り、あっという間に本土の忠海港へと私を送り届けてしまう。


いい感じの沖ともさよならして、港から数分ほど歩くと、こぢんまりとした駅舎が見えてきました。


「さて、ハトソン。次なる目的地は西の巨大都市、“ヒロシマ”です

この国の歴史における被害者の側面、無視できない傷跡と復興の象徴たる街。調査対象としては申し分ありませんね」


「ンぃっ」


駅の券売機で、私はいつものように二枚の乗車券を購入しました。

行き当たりばったりの旅とはいえ、列車のダイヤは手元のスマートフォンが完璧に導き出してくれます。


出だしには乗り場を読み違える失態を演じましたが…慣れてしまえば便利便利。

Googleマップの乗換案内を発明した技者には、我が国の最高勲章を授与したい気分だ。


ホームに滑り込んできたのは、瀬戸内の陽光を照り返すような、鮮やかな濃黄色のローカル列車。


「おや、なんとも立派な装甲ですね

目立ちすぎて標的になりやすい色使いです


が、逆に言えば、敵の襲撃など微塵も想定していない平和の証。素晴らしい」


私はハトソンを伴って車内に乗り込み、海側のボックス席に陣取りました。

発車ベルと共に、列車はゆっくりと西へ向かって走り出します。


この線路――呉線は、瀬戸内海の海岸線を縫うように走る、極上のパノラマビューを約束された道筋でした。

窓の外には、穏やかな波間に大小さまざまな島々が浮かぶ、息を呑むような多島美が広がっています。


「見てください、ハトソン。海面がまるで鏡のように光を反射しています

帝国の海のように、工業排水で玉虫色にテカることもない。ただただ、青と緑のコントラストが目に優しい…」


“瀬戸内は世界の宝石”だと。

国際連盟の事務次長として勤め、世界平和を目指す一端になったとかいう新渡戸稲造が表現したのも納得ですね。


雲仙、霧島に並ぶ日本初の国立公園の一つにして、最大規模を誇る瀬戸内海国立公園を擁するこの景色にうっとりと目を細める道中。

牡蠣の養殖いかだや、造船所の巨大なクレーン群など、この地域特有の産業の息吹を感じさせる風景が次々と流れてく。


公共の乗り物で、これほどまでに安全で快適な移動ができる。

この国の人間たちは、自分がどれほど恵まれた環境で生きているのか、果たして自覚しているのでしょうか。


「…クルルッ」


不意に、ハトソンが私のコートの胸元を、くちばしでコツコツと突き始めました。


「おや、どうしましたか。お腹でも空きましたか?ですが、先ほど島でキャベツのおこぼれを貰っていたではありませんか」


「ボボボ!」


ハトソンは執拗にはなくそが隠されているポケットのあたりをツンツンと小突いてきます。


「…ダメですよ、ハトソン。鳥類であるあなたにチョコレートやピーナッツを与えるわけにはいきません

それに、これを公の場で取り出すのは、私の矜持が許さないのです」


私は小声で相棒をたしなめ、コートの襟をギュッと合わせました。

危ない危ない。この相棒は時折、無謀な食欲を発揮するから油断なりません。


列車は海沿いを離れ、やがて山間を抜け、少しずつ建物の密度が増していくエリアへと入っていきました。

のどかなローカル線の旅から、次第に大都市の鼓動が車内にまで伝わってくるようです。


いくつかの駅を通り過ぎ、他の路線と合流して線路の数が増えていくと、車窓の風景は完全にコンクリートとアスファルトのジャングルへと変貌しました。


“まもなく、終点、広島、広島です。お忘れ物のないよう――”


自動音声のアナウンスが、旅の一区切りを告げます。列車がブレーキの音を響かせながら、巨大な屋根に覆われたターミナルへとゆっくりと滑り込みました。


「着きましたね。ここが、平和を象徴する都市…」


私は立ち上がり、コートの皺を伸ばしてステッキ代わりの長傘を手に取りました。


「思っていた以上に、賑やか、ですね」


ホームに降り立つと、これまでののどかな空気とは打って変わって、無数の人々が行き交い、様々な言語やアナウンスが飛び交う、圧倒的な喧騒が鼓膜を打ってきます。


「さあ、ハトソン。この街には、“お好み焼き”なる鉄板の上の小宇宙が存在すると聞いています

まずは腹ごしらえと洒落込み、その後は路面電車に乗って、街を調査するとしましょう」


私は弾帯のスマホが放つ微かな電子音を心地よく聞きながら、広島駅の広大な広間へと、繰り出しました。

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