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バーロック・ワームズの供述書  作者: ダム底タヌキ
通常業務編
3/12

☆私を殺すのは海でも爆弾でもなく、明日も鳴り続ける『今何してる?』という通知

チェックインを無事に済ませた私は、島内散策に入りました。


「あら、見ない顔やねぇ。お客さん?」


「おや、ごきげんようマダム。ええ、京都から参りました、しがないフリーターです」


路地を歩いていると、縁台でお茶を飲んでいた島のお婆さんたちが、私の奇抜な出で立ち――大量のスマホをたすき掛けにし、スーツを着た鳩を連れた姿――に目を丸くしながらも、気さくに話しかけてくれました。


通常であれば、村へのよそ者の侵入は即ちスパイか盗賊の嫌疑をかけられ、鍬やピッチフォークで武装した自警団に囲まれるのが関の山です。


しかし、この島の人々は、警戒するどころか、持っていたミカンや、ご近所からお裾分けされたという魚の干物を、「たくさんあるけん、持ってお行き」と私のポケットにねじ込んできました。


「なんという温かな施し…無防備すぎるとも言えますが、それだけこの島が平和の極みにあるという証左。ありがたく頂戴いたします」


ハトソンもお婆さんたちの掌から直接パン屑をもらい、すっかりご満悦の様子です。


やがて日が落ち、波の音だけが響く静寂の夜。

私は、島民からのいただきものを抱え、拠点である“フェザンツ2”へと戻ってきました。

スーパー独り言タイム、開始です。


「さて…改めてこの貸別荘の設備を確認した私は、またしてもこの国の技術力に戦慄することになりました


まず、エアコンと呼ばれる箱!リモコンのボタンを一つ押すだけで、部屋の気温と湿度が最適な状態に調整されます


こちらではまだまだ技術者が足りず、手の出せない小型化のなされた本体。そして何より、人間が快適に過ごせる温度管理を維持する設計思想…我らが技術者筆頭、ソラにも見習って欲しいものです。彼女の発明はいつも、真心が足りていない!


部屋の取り扱い説明に目を通し、スマホに一つ一つ設定をこなしていき、画面右上に浮かび上がったのは扇のマーク…無料WiFi

これが部屋の隅々まで行き届いているおかげで、今夜私は、弾帯に装備された7台のスマホの通信量を気にしなくて済む


そして何より私を驚かせたのは、バスルーム!

見てくださいよハトソン!美しい…一般の宿とは思えぬ清潔なバスタブに、豊富な湯量を誇るシャワー。それだけではありません、髪を乾かすための熱風を吐き出すヘアドライヤーも備わっている!


そして、こっち!ここの!便座の横に設置された操作パネル!

ビデとかいう局所洗浄用の噴水機構がありますよ!皇帝陛下なら毒物塗布による暗殺を警戒して、絶対に採用しない機構です!


各国の王侯貴族ですら、これほどシステマチックに衛生と清潔を保つ魔導具は揃っていません

バスアメニティは無料!洗濯機も備え付けられている!旅の疲れを洗い流しつつ、帰還後に待ち受ける使用済み衣服の処理を減らす、最高のサービスですね!」


一通り勝手にレビューして回り、シャワーだけ浴びた私は、用意されていたスリッパに足を滑らせる。


そして施設側で用意されていたコーヒーに氷を投入して持ち出し、屋外のプールサイドへと腰を下ろしました。


「ムキュルル…」


「ええ、分かっていますよハトソン」


鳥籠から解放され、プールの縁を歩く相棒に、私はグラスを傾けました。


夜風が、火照った肌を優しく撫でていく。

見上げれば、星が瞬く夜空。耳を澄ませば、潮騒と虫の音だけ。


「野盗の喧騒も、権力者たちの血生臭い足音も、ここには届かない。ただ波の音と、エアコンの室外機が回る微かな駆動音だけが、夜の静寂を守ってくれている

はは、銃を乱射したくなるような、良い夜になりましたね。壊したくなるほどに居心地が良い」


私は弾帯のスマホを取り出し、明日の列車のダイヤの確認だけして電源を切りました。


「さあ、明日に備えて、あの極上のベッドルームで眠りにつくとしましょうか

おやすみなさい、良き隣人たちよ」


私は心地よい疲労感と共に立ち上がり、完璧な温度に保たれた寝室へと、スリッパの音を忍ばせて歩いていくのでした。


翌朝。船で島から出た私は、再びガタゴトと揺れる“鋼鉄の蛇”の腹の中へと戻ってきた。

本日の目的地は、あちらの“山口”。そして、瀬戸内海においては西の終着である“福岡”です。


「ほむ…ハトソン。あちらの掲示板を見るに、次は“岩国”という場所だそうです

強そうですね、降りますか」


列車が山口県へと足を踏み入れると、車窓の景色はさらに長閑さを増していきます。

岩国駅で降りた私がバスに揺られて辿り着いたのは、錦川に架かる五連のアーク――“錦帯橋”。


「美しい…基本滞在地の京にいても、五重塔などという、どんなに揺らしても倒れない変態建築が存在しましたが…この建築家は、引力にすら喧嘩を売るのですね


あの塔と違い、釘を使わない橋という噂は誇張のようだ…しかし、刺さっているのは足場の板だけ。全体の構造そのものは、木の骨組みだけで曲線を維持している

広い川幅を橋の数でクリアする発想といい、学ぶべき点は多いですね」


私が感嘆の声を上げながら、たすき掛けにしたスマホの一台で写真を撮っていると、横から観光客のオバサマ方が話しかけてきました。


「あら、素敵な格好ねぇ!その鳩ちゃん、本物?動かないわねぇ」


「ごきげんよう、マダム

ええ、こちらは私の助手で、非常に優秀な鳩ですよ


ただいま、次のご飯までの時間計算に忙しいので、不用意に触れると脳内回路がショートする恐れがあります」


私が極めて冷静に忠告すると、マダムたちは「あらやだ、鳩ちゃんもご飯の時間を覚えられるの?お利口なのねぇ!」と笑い、ハトソンのスーツの襟元に、百円玉を一枚ねじ込んでいきました。


「おや、調査協力費ですか。痛み入ります。ハトソン、そちらは後で、えんどう豆の購入資金に充てましょうか」


「ククッ!プープドゥ!」


岩国を後にした私たちは、さらに西へ。

山陽本線の長い旅路を経て辿り着いたのは、本州の末端“下関”。

ここで私は、この国で最も危険な食材の一つとされる、毒の化身を調査することにしました。


「“ふぐ”。あちらの看板によれば、熟練の解体師のみが、その致死性の猛毒を除去できるとか

命を賭けた美食…実に私好みのシチュエーションです」


唐戸市場の近くで供された“ふぐ刺し”。

皿の模様が透けて見えるほどの薄片。私はそれを箸で掬い上げ、ハトソンと共に見つめました。


「これは食べ物の枠に収まりませんね

日本の調理師が、極限まで薄く削り出した“技術の結晶”と評するべきか…いただきます」


一切れを喉に流し込む。


…淡白。しかし、噛み締めるほどに押し寄せる繊細な旨味。

皇帝でも辿り着けるか怪しい、静かなる味の到達点です。素晴らしい


満足した私は、いよいよ本州から九州へ繋がる関門トンネルに挑みました。

ワームホールを使わず、あえて海底を通る人道を歩く。


「海底を徒歩で渡る通路…頭上には数万トンの水

日本人は、閉所恐怖症という概念を母親の胎内に置いてきたのですか?


私のワームホールの方が、心理的安全性は高い気がしますよ…ね、ハトソン」


「プ…」


ひんやりとしたトンネルを抜け、福岡県“門司港”へと這い出した時、私はかつてない同調を感じました。


「おや…これは…」


目の前に広がる、赤煉瓦の建物と、モダンな街並み。

私の三つ揃えのスーツとインバネスコート。そして肩に乗るハトソン。

その全てが、あちらの“門司港レトロ”という空間の彩度と、完璧に一致していたのです。


「ハトソン。ここが、私の終着駅だったのかもしれません

七連スマホのアイデンティティされ取り去れば、どちらを見渡しても、私が“変な人”ではなく、“風景の一部”として馴染めそうだ

素晴らしい、この居心地の良さ。ようやく、人生の核心に触れた気がします」


何かしらのキャストとでも思われたのでしょうか。周囲の観光客たちが、「うわ、すごい格好」「絵になるー!」と、カメラを向けてきます。


私は、旧門司三井倶楽部の前で傘を突き、ハトソンの嘴をそっと摘んで、これまでで最も紳士的なポーズを決めました。


やはり旅は、足を使って、列車に揺られてこそ。あちらのワームホールでは、この門司港の景色と自分のスーツが溶け合い、スマホで台無しになる快感には辿り着けなかったでしょう

失敗も、ズレも、全てはこの調和のためのスパイスだったのですね


「さあハトソン。明日はあちらの“中洲”という魔窟で、夜な夜な現れるという仮設の炊き出し所を調査するとしましょうか」


私一人であれば宿で優雅な朝食やディナーをいただくことも可能です。

しかし、焼豚玉子飯の回収時と同様に、どのような店であっても、鳥類であるハトソンと同席できる店は無いに等しい。


ならば答えは一つ、スーパーマーケットでご当地の惣菜を買い込み、見晴らしの良い公園で共に味わう。

これこそが社会に適合出来ないクローンなりの、正しい姿というものでしょう。


私はハトソンを、スーパーの入り口付近にある日陰のベンチにそっと降ろしました。


「少しの間、ここで待っていてくださいね、ハトソン。すぐに鯛めしとじゃこ天のパックを仕入れてきますから」


「クルックー」


賢い相棒は、特注のスーツを羽織ったまま小さく鳴いて頷きました。


さて、意気揚々と店内に足を踏み入れた私でしたが…ものの五分で、この国のインフラの素晴らしさとは裏腹に、そこに棲まう一部の人間たちの“精神的な醜悪さ”を目の当たりにすることになります。


まず、惣菜コーナーの特売シールの前。

私が鯛めしの弁当を吟味していると、背後から金属製のカートがふくらはぎに激突。


「おっと…」


振り返ると、パーマをあてた小柄な老婆が、私を睨みつけていました。彼女は謝るどころか、「チッ、邪魔だねぇ、最近の若いのは通路の真ん中に突っ立って」と、あからさまな舌打ちを浴びせ、私の脇を強引にすり抜けていったのです。


さらにレジへ向かえば、通路のど真ん中でカートを横向きに放置し、井戸端会議に花を咲かせる老人たちの群れ。


レジの最前列では、小銭を一枚一枚、天文学的な遅さで数えながら、若い店員に対して「ポイントの付け方が分かりにくい」「態度がなってない」と、己の暇を潰すためだけのネチネチとした説教を垂れ流す暇な初老。


なるほど?

ここは戦災の脅威はなく、明日生きるための闘争も基本的にはない、究極の安全地帯。


だからこそ、命のやり取りとは無縁の傲慢さが、温室の雑草のように肥大するのですね


あちらの世界なら、あの老婆は路地裏で喉を掻き切られ、あの老人は野犬の群れに一番に放り込まれる手合いです。

平和ボケした社会の末路を眺めつつ、私は感情を押し殺して会計を済ませました。


ところが。

自動ドアを抜け、店外へ出た私の視界に飛び込んできた光景は、先ほどの老人たちの横暴すら可愛く思えるほどの害悪でした。


「おーい、鳴けよ!なんで服着てんの?脱げよ!」


駐輪場の自転車の隙間に追いやられたハトソンの前に、見覚えのあるガキが陣取っていました。

小学校低学年ほどの半ズボン、無人駅で遭遇した“りくちゃん”です


彼は持っていたガチャガチャのプラスチック製カプセルを、誰のかもわからない自転車の軸にガンガンと打ち付け、あまつさえカプセルの割れた鋭利な縁を隙間にねじ込み、ハトソンの羽を無理やり突こうとしている。


「クルルルッ!!」


「あっははは!逃げてる逃げてる!もっとやろーっと!」


ハトソンが怯え、羽をバタつかせて必死にカプセルの破片を避けています。


私はスッと目を細め、そのガキの背後――少し離れた日陰の柱に寄りかかっている“母親”に視線を向けました。


日傘をさし、片手にはスマートフォン。

彼女は画面を高速スクロールする指を止めることなく、抑揚のない声を出していました。


「りくとー、ハトさんびっくりしてるでしょー。あんまりいじめちゃダメよー」


それは、ただの“作業”としての定型文。

子供を制止する気など一ミリもなく、自身の育児の責任を空中に放棄するだけの呪文です。


さらに最悪なことに、その横を通り過ぎようとした杖をついた老爺。

ガキの蛮行を止めるどころか、ハトソンを忌々しそうに見下ろして吐き捨てました。


「まったく…偉そうに服なんぞ来て、誰のペットだ?こんな公共の場に鳥なんか置きおって、汚らしいったらありゃしない

保健所は何やっとるんだか、通報して駆除してもらわんといかんな」


ガキの残虐性、親の育児放棄、老人の身勝手なクレーム。

三世代にわたる“人間の見苦しい部分の煮凝り”が、私の愛する相棒の周囲で完璧な地獄のトライアングルを形成している。


この国に魔法はありません。

ですが、人間を不快にさせる呪文はしっかりと蔓延っているようです。


この際ワームホールを繋いで、このカス共を底なし沼か、飢えたブラックマンバの巣に放り込んでやろうか。

あるいは胃袋の中にスマホを放り込んでやろうか。

あのジジイの杖を奪って耳の穴同士を貫通させ、串団子にしてやろうか。


それとも、この場で自動小銃の安全装置を外し、彼らのそのふやけた脳天に鉛玉をぶち込んで、“しつけ”を施して差し上げましょうか。


私は、たすき掛けにしたスマホの弾帯をジャラリと鳴らしながら、ゆっくりとガキの背後に立ちました。


「おや。随分と熱心な動物観察ですね。将来は解剖学者にでもなるおつもりで?」


「え?あ、こんにちは」


ガキが振り返った瞬間、私は一八三センチの巨体で完全に太陽の光を遮り、彼の顔を暗い影で覆い尽くしました。


そして、胸元から取り出したのは、あちらの世界で使い込んできた拷問用のペンチです。


「私の相棒の羽に触れたいのでしたら、ええ、構いませんとも


ですが、等価交換が世の理。まずはそちらの、その無遠慮に動く小さな指の骨を、第一関節から順に一本ずつ、私がこの工具で丁寧に粉砕し、剥がして差し上げましょう」


私は、営業スマイルのまま屈み込み、ガキの反応を待ちました。


「えっ…えっ、ちょと、なに言てるかわかんな…っ」


顔から一瞬で血の気が失せ、持っていたカプセルがカランと地面に転がり落ちました。膝が震え、声すら出せなくなっていく。


「ちょっと!なにしてるんですか!」


ようやく異変に気づいた放置親が、スマホから目を離して血相を変えて飛んできました。


「うちの子に何言ってるんですか!?変な格好して…警察呼びますよ!」


「おや、それはありがたい。是非呼んでください」


私は全く動じることなく、優雅に一礼しました。


「ついでに、監視カメラの映像も確認していただきましょう

器物破損未遂と、動物愛護法違反。そして何より、周囲への注意義務を怠った“保護責任者遺棄”の疑いについて、警察の方とじっくりお話ししたいところでしたから」


私は弾帯から一番最新のiPhoneを引き抜き、すでに録画状態になっている画面を彼女に見せつけました。


実際はカメラアプリを開いているだけですが、十分なハッタリです。


「インターネットの海は広いですよ。この映像が“SNS”という広大な処刑場にアップロードされれば、そちらの社会的な評価がどうなるか…想像に難くありませんね?」


私が突きつけた“社会的抹殺”の脅しに対し、顔面蒼白になって逃げ出すかと思いきや。


「上等じゃない!いいわよ、とことんやりましょう!!」


母親は息を呑んだ後、逆に顔を真っ赤にして怒髪天を突き、私のハッタリに真っ向から噛み付いてきたのです。


「こっちは子供が怪我させられそうになった被害者なんだからね!警察でも裁判でも何でも呼んでやるわよ!SNSだろうがなんだろうが、どっちが正しいか白黒ハッキリつけてやるんだから!」


おや。

自らの非…育児放棄と動物虐待の黙認を完全に棚に上げ、一切の退路を断って突撃してくるとは。あちらの世界の教会の狂信者たちを彷彿とさせる、見事なまでの自己正当化能力です。


「…ほう。論理的な対話を放棄し、感情による全面戦争をご所望ですか。結構。では、その望み通り、まずはそちらの愚息の指先から――」


私がペンチのグリップを握り直し、物理的な教育的指導へとフェーズを移行しようとした、その時でした。


「まあまあまあ!おくさん、そのへんにしときんしゃい」


突如、私たちの間にスッと割って入ってきたこの男。

首にタオルを巻き、スーパーの買い物カゴを提げた、どこからどう見ても休日のお父さんといった風情の中年男性です。


しかし、彼が私の前に立った瞬間。その足運びの無駄のなさに、私の直感が警鐘を鳴らしました。


この男、ただの通行人ではない。


「警察やらネットやら、物騒なことばっかり言いやんさんな。子供に怪我はなかっちゃろ?お互い、ちょっと熱うなっとるだけたい」


男は人懐っこい笑顔を浮かべ、しかし目は全く笑っていない状態で母親を宥め始めました。


「でも、この不審者がうちの子に!」


「どうも!不審者です!」


「兄ちゃんは黙っとき!!

おくさん。あーたもね、スマホで録画されとるんよ?今の世の中、『子供から目を離しとった親』にも世間は冷たかよ

これ以上騒いで動画が拡散されたら、ご近所さんに顔向けできんごとなる。そんなんつまらんでしょ?

ほら、これでも食うて、一旦落ち着きんしゃい」


男は手元のカゴ――うまかっちゃんの5個パックと大量の辛子高菜が詰め込まれた中から、金と白の半々のパッケージに包まれた丸いお菓子を一つ取り出し、母親の手に強引に握らせました。


「博多名物“傑作まんじゅう・ゴジラ通りもん”たい。甘いもん食べたら、怒りもスッと消えるけんね」


その圧倒的なバターと白餡の魔力に毒気を抜かれたのか、あるいは男が放つ“これ以上騒ぐなら容赦しない”という暗黙の圧力に気圧されたのか。

母親は「…っ、行くわよ!」とガキの腕を乱暴に引っ掴み、捨て台詞一つ残せずに逃げるように去っていきました。


その様子を遠巻きに見ていた先ほどの老爺が、「チッ、最近の変な外国人は…」とブツブツ文句を言いながら立ち去ろうとします。


「ああ、そちらの先輩」


私は老爺の背中に向かって、よく通る声で呼びかけました。


「先ほどの保健所のお話ですが、この鳥は正規の検疫を通った許可証を持つ私の家族です


もし虚偽の通報で私の貴重な時間を奪うようなことがあれば…その時は、そちらの残りの寿命の長さを、私が“再計算”させていただきます

どうぞ、お足元には気をつけてお帰りくださいね」


老爺はビクッと肩を震わせ、一度も振り返ることなく、逃げるように早足で去っていきました。


「…ふぅ。やれやれ、これだから武力行使を禁じられた世界は面倒なのですよ」


私がインバネスコートの襟を直し、小さくため息を吐き出したその時です。


「おいおい、お兄さん。子供相手にガチの工具ばチラつかせるのもアレばってん、逃げる爺さんへのあの追い打ちもやりすぎばい


あの歳であんだけ顔色青うして走らせたら、マジで寿命が縮みかねんよ?」


先ほど通りもんを握らせて事態を収拾した、首にタオルを巻いた中年男性が、キッと私を睨みつけてきました。


おや!通りすがりの、お節介な一般市民かと思いきや…彼、私が老爺に向けた殺意が本気であったと、正確に見抜いていますね。


「ハハハ、何を仰るかと思えば。ご冗談を」


私は表情筋を即座に営業モードへ切り替え、朗らかに肩をすくめました。


「あれはですね、この平和な国が直面しているという“超高齢化社会”において、ご老人方の健康増進を促すための、ちょっとしたボランティア活動ですよ」


「健康増進、ねぇ」


「ええ!昨今のご老人は足腰が弱りがちだと聞きますからね

私が少しばかりスリリングな死の予感を提供することで、アドレナリンを分泌させ、自発的なダッシュを促したのです!


見てください、あの見事なスプリント。私の言葉が、彼の生命力を極限まで活性化させた何よりの証拠です

いやはや、無料でパーソナルトレーナーまで引き受けてしまうとは、私もお節介が過ぎますねぇ」


息を吐くように並べ立てた詭弁。我ながら見事な論点すり替えです。

これなら“ちょっと口が悪くて健康意識の高い外国人”で通せるはず。


しかし、男はスーパーのレジ袋を提げたまま、全く笑っていない目で私を見つめ返しました。数秒の、粘りつくような沈黙。


やがて、男はフッと口角を上げ、静かに口を開きました。


「そういう42号は、目立ちすぎたい」


関係者しか知らないはずのコードネーム。私は目を細めました。


「おや、貴方は…祖国からの?」


「そうそう、ここじゃ“今村良和(いまむらよしかず)

しがない営業マンとして、修羅の国…福岡エリアを拠点に働いちょる」


「なるほど、同胞でしたか。しかし、奇遇ですねぇ…何故このような場所に、タイミングよく居合わせたのです?」


「偶然たい。この国の、“明太子”という塩蔵食品の流通ルートを調査中なんよ

…それはともかく、42号殿」


今村は、首に巻いたタオルで汗を拭いながら、私を深くたしなめるように言いました。


「この国は一見平和やが、少しでも過激な行動を起こせばSNS異端審問にかけられ、社会的に即死する厄介な土地ばい


特に俺の任地であるここなんて、道端に手榴弾が落ちとったり、ロケットランチャーが押収されたりするって噂されるくらい、戦場と遜色ない“修羅の土地”やけんね

我々も目立たんように、極力“博多弁”という現地語に完璧に擬態して慎重に動いとるとですよ」


「嘘松とやらでは、なかったのですか…」


「嘘ばい」


「あらぁ、貴方もいい性格してますね」


「親切と言って欲しいとですよ、気を引き締めるにはちょうどよかろ?“郷に入っては郷に従え”ってな

無用なトラブルは避けて、スマートにいきんしゃい


武力ではなく、美味い飯と“よかろうもん”の精神で解決する。それが、この国で生き残る鉄則たい…じゃあ、俺はこれで。明太子の特売が始まっちゃうけん」


今村は敬礼を一つ残し、買い物カゴを提げて再びスーパーの中へと、生活感あふれる足取りで消えていきました。


「修羅の国、フクオカ…か。私の見立ては甘かったようですね」


私はペンチをしまい込み、小さく息を吐きました。

同じ帝国の精鋭が、任務と言いつつもあそこまで現地の生活に染まりきり、特売に命を懸けている。この国の文化侵略の恐ろしさを、改めて思い知らされる結果となりました。


「クルッポォーゥ…」


「ええ、分かっていますよハトソン。無益な争いは探偵の恥。私も少し、熱くなっていたようです」


私は身を屈めて彼を肩に乗せると、再び優雅な帝国紳士の笑みを浮かべて瀬戸内の風の中へと歩き出しました。


「ドゥルッ、ルッ、クククゥゥーン」


ハトソンはスーツの襟をピシッと整えるように羽を震わせ、得意げに鳴きました。

私はスーツのシルエットを整えると、何事もなかったかのように、澄んだ青空の下へと歩き出しました。


どんな世界にも、掃き溜めのような悪意は存在する。だからこそ、その後に食べる弁当の味は、格別に美味しいものになるのです。


海峡を吹き抜ける風を浴びながら、私はベンチで箸を進めました。


「素晴らしい。鯛のほぐし身から溢れる上品な甘みと、じゃこ天の力強い歯ごたえ。理不尽な疲労を胃袋の底へとあっさり洗い流してくれる、完璧な滋味ですね」


ハトソンも満足げにパンプキンシードを啄んでいます。

腹を満たした私たちは、重厚な駅舎から再び鉄の箱に乗り込み、小倉の駅にて流線型の白き巨竜――新幹線へと乗り換えました。


滑るように加速していく車内で、私は弾帯から取り出したスマートフォンに充電ケーブルを繋ぎながら、先ほどの街を思い返します。


「物騒な風評に違わず、自己中心的な害獣も生息していましたが…それだけではないようです」


ふと、通路を挟んだ隣の席から視線を感じました。

見れば、上品な身なりの老婦人が、大人しく私の隣で毛繕いをするハトソンを見て、目を細めて微笑んでいます。


「お利口な鳩ちゃんねぇ。スーツなんて着せてもろうて

お兄さん、これ、よかったらどうぞ」


彼女はそう言って、鞄の中から“め”と書かれた個包装の円盤米菓を一つ、私に差し出してくれました。


「おや。これはご丁寧に

長旅の素晴らしい補給となります。ありがたく頂戴いたしますよ、マダム」


私が胸に手を当てて優雅に一礼すると、老婦人は「ふふっ、道中気をつけてね」と朗らかに笑い、やがて到着した駅で降りていきました。


その温かな背中を見送りながら、私はハトソンの背中を軽く指で撫でました。


「どうやら、先ほどのスーパーで見かけたような輩ばかりではないようですね

見ず知らずの異邦人、特に私のような不審者に対しても無償の親愛を向けてくれる、気立ての優れた者も息づいている


強引なお節介も、ふとした親切も、すべてひっくるめて煮込んだようなあの街の熱気…なるほど、同胞がすっかり馴染んでしまうのも頷けるというものです」


窓の外では、景色が猛烈なスピードで後方へと飛び去っていきます。トンネルの暗闇と、開けた土地の眩しい光が交互に車内を照らし出していました。


「なのに…ハトソン。私は…」


列車が次の駅に到着し、扉が開いた瞬間。私は、気がつけば無人駅のホームへと、逃げるように降り立っていました。


発車ベルが鳴り、巨竜は水平移動で遠ざかっていく。

その音を背中で聞きながら、私は膝から崩れ落ちそうになるのを必死に堪え、長傘に全体重を預けました。


「クぷックゥ?」


肩に乗っていたハトソンが、突然の途中下車に首をかしげ、頬を心配そうに擦り寄せてきます。


「…大丈夫ですよ、ハトソン。ただ、少し…」


空気が薄い。先ほどまで、あんなに心地よかったはずのこの世界の空気が、急に凍てついた山頂のように肺を圧迫してくる。


私は、自分の手が微かに震えていることに気がつきました。先ほどの老婦人の温かい笑顔。親切に差し出された“めんべい”。


その好意に触れた瞬間、私の不安定な情緒が一気に転覆したのです。


「自分が嫌に、なり、ましてぇ…」


私は、調査中のスパイです。

この国を、土地を、人を、いずれ帝国が蹂躙し、全てを奪い尽くすための“品定め”をしている、使い捨て人員。


温かい笑顔も、親切な声も。近い将来、私が持ち帰る報告書一つで、すべて炎と瓦礫の中に沈むかもしれない。

いや、私ではなく、私“たち”か。


「私は、ワームズ

バーロック・ワームズ。第42号」


誰もいない、無人駅のホームには誰もいない。車は見えるが、まぁいいだろう。


「代わりがいる者。いくらでも、如何様にも。私自身も、ただの代替品であって、いつでも切り捨てられる駒の一つ

そうです、それは貴方も同じですよね、ハトソン」


私は、肩の上の相棒に視線を向けました。特注の三つ揃えスーツ。愛らしいオレンジ色の瞳。


「…私といたはずのハトソンは、もう死んで…ハトソンの知っていた私も、あの任務で死んで…どちらも死んで、死んで死んで死んで死んで…」


視界が歪む。弾帯のスマホが、一斉に意味不明なエラー音を鳴らし始めているような錯覚。


「いないいないいないいないいないいない!!ここにいるのは代替品だけ!!

そも、大元の0号機すらどこぞのキャロルさんのクローンだって言うじゃないですか?アハハハはっ!」


私は、空っぽの笑い声を上げました。


「42号は13体目、前の個体は階段落ちして死んでしまった…私も、だったらまた終わる。終わるなら。事故でない、致し方ない不幸じゃない、私の意思で…どうしたら良いんでしょう?

なにをしていたのでしょう?ハッハッハッ!!ぁあ、なにを、して、いたいのでしょう…」


アイデンティティなんて元からなく、支えのない精神は砂の城のように崩れ落ちていく。

私は誰だ。私は何のために、この世界を歩いている。


ふと、顔を上げました。


「…ああ、思い出した!」


目の前には、駅のホームを降りてすぐの場所に、広大な海が広がっていました。


「今日は、私は、もういない!

ないなら、此処にいるのはおかしい!


辻褄合わせの時間です」


私は長傘を投げ捨て、たすき掛けにしたスマホの弾帯を外し、ホームの端から砂浜へと足を踏み入れました。


スーツの裾が砂にまみれることも気にせず、ただ真っ直ぐに、波打ち際へと歩みを進めます。


「なんて綺麗なんだろう」


目の前に広がるのは、どこまでも続く青。


「排水の匂いがしない!色も青くて、澄んでて…塩っ辛くてベトベトで…」


私は波打ち際に立ち、その冷たい海水を両手で掬い上げ、顔に押し当てました。

帝国のヘドロにまみれた海とは違う、冷たく、微生物の活力に満ちた、生きた汚れに塗れた水。


「今日は、人生で最悪の日だ

私は間もなく終わるのに、こんな海を最後に見せつけられるなんて…」


私は涙なのか海水なのか分からない水滴で顔を濡らしながら、さらに沖へと足を進めました。コートが海水を吸って重くなり、革靴が海底の砂に沈み込んでいく。


沖まで行くのも、もどかしい。波が腰の高さまで来たところで、私は膝を折り、そのまま海中へとうずくまりました。


冷たい水が、七台のスマホごと私の身体を包み込みます。肺にあった空気がゴボッと泡となって水面へと逃げていき、代わりに冷たい海水が流れ込んでくる。


水中で波に転がされ、私の身体は無力に揺蕩い、塩分による腐食で、帝国への報告データもじきに消滅することでしょう。


「クルックゥゥゥッ!!」


ぼやけた水面の上。

必死に羽ばたき、水面スレスレを飛び回りながら私を呼ぶ、小さな相棒の姿。


ごめんなさい、ハトソン。

あと、近寄らないでください。


テストで満点回答をやり遂げた後に余った時間で落書きなんかしちゃって、消しゴムがないから死ぬと言い出したバカのような唐突さにはさぞ驚いたことでしょう。


ですが、今の状態は危険極まりないものでして。

大量のスマホをたすき掛けにした入水は、自殺以前に熱暴走と爆発を招く。


リチウムイオン電池と海水の電気分解は相性が最悪だ。溺れる前に、私の体はショートしたバッテリーによって焼き焦げ、不名誉な人間ボイラーと化す。

そんな危険物の埋まった海面に接触してみなさいよ、塩焼き鳥ですよ、羽毛未処理で消費者に優しくない類の。


苦情なら遺伝子単位で死に急いでいたオリジナルに言いつけてください、無理でしょうけど、私は責任を取りません。

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