オイファスの末路
右手で死体を抱えたユーヴェは煙たい朝の街に戻ってきていた。彼がまたがった鞍には怪物の生首がぶら下がっており、反対側には砂袋が揺れている。死体の顔には包帯が巻かれ辛うじて形を保っている。街は人気が無く、木製の鎧戸は隙間無く閉められていた。詰め所に辿り着いたユーヴェは門前で馬から降りて門をくぐり、詰め所を見渡した。見張り番の姿も厩舎の馬も見当たらず、ごま塩頭の事務員が一人で箒をたぐり寄せながらせっせと落ち葉を掃いていた。ユーヴェは死体の包帯を整えてその事務員に歩み寄った。
「おはようございます。」
ユーヴェの挨拶と姿にその事務員驚きつつ挨拶を返した。事務員の視線は門外の馬の鞍に垂れ下がった生首で止まる。
「あ、おはようございます。えー何かお忘れ物でしょうか?」
「魔術師ユーヴェと申します。憲兵隊の方々はどちらに?」
事務員がちり取りと箒を組み合わせて片手で持ち、姿勢を正して視線をユーヴェへ戻した。
「皆さんなら隊長が連れて大急ぎに馬で出発されました。通りを左に曲がってほら、あの職人地区方面の大通りを通っていったんです。」
「なるほど。助かりました。」
身振り手振りに合わせてユーヴェは取りを眺めて生返事をした。胸を張った事務員は再び掃除を始めた。ユーヴェは死体を抱えて詰め所の中へ入った。詰め所の中は薄暗くランタンに明かりが灯った。地下の霊安室はよく冷えている。白い息を吐いたユーヴェは新品の台へ死体を横たえて顔の包帯を取る。繕われた下顎は上顎と噛み合い、残った右目の瞼は閉じられていた。ユーヴェは口を固く閉じ、それへ背を向けて詰め所を後にすると門前で何か騒ぐような声が聞こえてきた。言葉の内容は妻の安否、息子が居るはず、ユーヴェが怪物を殺した等であった。ユーヴェが扉を押し開けると先程の事務員の襟首を掴んだスラマイオスがユーヴェの姿を捉えた。視線は揺れて、ユーヴェで止まると、スラマイオスの両目から小さな雫が二粒溢れた。震える白い髭からは言葉が出ない。ユーヴェはスラマイオスへ近寄り一度お辞儀をした。
「申し訳ございません。テナレウスさんはオイファスに殺されました。使われたのは鎧舐抉の体液です。」
スラマイオスは震える両手を着いて赤ん坊のように地面に横たわった。彼の召使い達はまごまごと様子を窺っていた。
「妻が、居ないんだ。安全な詰め所に入れたのに・・。ユーヴェ殿、私は何かしたでしょうか?」
「私も急ぎ下水道に向かいオイファスと怪物を殺します。」
ユーヴェは倒れたスラマイオスを迂回して門外の馬へまたがった。
「あんたは怪物を殺すだけなのか。じゃあ何のために怪物を殺している?」
上体を起こしてスラマイオスはユーヴェに問いかけた。ユーヴェの顔はマスクやフードで窺い知れ無いが、石英越しに見える目は無機質で昆虫のようだった。
「人間を遊び殺す邪悪な怪物はこの世界から絶滅させるべきです。そのために私は一体でも多く怪物を殺します。」
「あんた、いかれてる。そんな事のために命を擲つのか。」
スラマイオスの言葉を鼻で笑ったユーヴェは手綱を引いて大通りへ馬を繰り出した。馬を走らせるユーヴェの視界を雪の下から色が付いた街並みが流れる。
「下衆な人間にも怪物にもうんざりだ。」
ユーヴェはマスクの中で一人吐き捨てた。
下水道の出入口には何頭もの馬と厩番が手持ち無沙汰にうろついていた。ユーヴェは左手を空へ掲げて厩番へ馬上から声をかけた。
「そこの、隊の出動理由は?」
厩番は身の震わせて早口に話し出す。
「突然何です。隊長殿が生き残りの憲兵さん達三十名だったかを連れて怪物を退治しに行くと。反対したんですよ、グリユニスさんもあんなに声を張り上げて。あたしはそれでビックリして。何が何だかわからんですよ。」
言い終えた厩番は何かを待つように手揉みをしてユーヴェを見つめていた。上空から舞い降りた烏がユーヴェの左手に乗った。
「ありがとうございます。馬をここから離しておいて下さい。何か言われたら魔術師ユーヴェの指示と。」
馬から降りたユーヴェは懐から銀貨を三枚取り出して厩番に渡す。厩番は蕩けるような笑みを浮かべると、銀貨を汚れた銭入れに押し込んでせっせと動き始めた。ユーヴェは烏を出入り口へ投げ込み、自身も入口にかかった梯子を下った。再び下水道に降りたユーヴェはランタンではなくポーチから取り出した。硝子の筒を取り出した。筒の中には薄いガラス板とそれによって隔てられた二種類の黄色と透明な液体が入っていた。その上下を捻ると中の硝子が割れて液が混ざる。ユーヴェは十度その筒をひっくり返して胸の魔術具に取り付ける。すると、徐々に硝子筒は光り出した。胸の魔術具の上部つまみを捻ると光が絞られて強力な光線が下水道を照らした。鏡を確認すると先行した烏の視界には倒壊した石壁から覗く地下防空壕と地下の床に転がった三つのランタンが映った。続いて、歩くユーヴェの耳に銃声、笑い声と悲鳴が届く。ユーヴェは巨人が走ってきた方向へ足を速めた。鉄球が直撃した壁を通り過ぎる頃には銃声は消えていた。ユーヴェは烏に追いついた。烏は細い首を曲げて暗闇を覗いている。憲兵は別方向から進入したのか綱等は無い。ユーヴェは鉤をしっかりと固定して綱を壁の穴へ静かに垂らし、武器の点検を行った。烏はその場に留まらせてユーヴェはポーチから薬瓶を三本抜き出して中身を煽った。遠くに見えるランタンの炎の揺れが海藻のように鈍化する。息を吐き出したユーヴェは綱を伝って暗い防空壕に降りた。地面は熱く湯気が立ち上っていた。ユーヴェは静かに縄を背に回して息を殺し、耳を澄ませて周囲を確認する。怪物の明朗な声とひどく怯えた人間声が聞こえてきた。
「ご老人、君の名前と年齢は、誕生日は何時だ?」
やや間を置いて。
「アーラスです。誕生日は明後日です。」
年を感じさせるかすれ声だった。ユーヴェは足下を確認しつつ声の元へ脚を進める。
「俺は人間になった夢を見た。色があって私はそれを石に貼る。そうするといしが軽くなって、俺はその石に乗って冷えた空を自由に飛ぶ。さて、君は昨日の夢を覚えているかな。良ければ聞かせて欲しい。」
怪物は明るさを感じさせるが平坦な声でアーラスへ尋ねた。
「その、昨日は寝れなくて。」
怪物はぎこちなくため息をついた。
「そうか・・寝られないのか。ならしかたない。」
鈍い音が鳴った。
「きっと友人のベルニュウルのせいだな。申し訳ない事をしたよ。」
平坦で読み上げるような言葉の後、すすり泣く声が異様に高い天井に反射して暗黒の地下へ響いた。ユーヴェは遠くから聞こえるやり取り聞きながら進めていた足を止めて目を見開いた。四肢が壁に溶けて固着したオイファスが居た。
「殺してくれ。」
囁く彼にユーヴェは小声で問いかける。
「ティメイネさんは何処に居る?」
オイファスは薄ら笑みを浮かべた。
「あの女は人違いだったから殺した。彼女を東の果てから追ってきたんだ、息の匂いが薔薇じゃ無いなら殺すしか無いだろう。そうしたらこの様だ。あんたの気持ちがわかったよ。彼女は一体誰だろうか?花の妖精は日の光を受けて黄金に輝いていた。死は俺を通り過ぎて月の光が舞った。彼女から聞いたことがない声を聞いて俺は逃げた。」
ユーヴェは恍惚とした表情で話すオイファスへナイフを引き抜いて言葉を続けた。
「愚か者、これは人間であるお前への慈悲だ。」
「嗚呼、彼女は死んだのか。俺は今まで何をして、何のために何処までも逃げて・・」
ユーヴェは包帯を話し続けるオイファスの口へ詰め込んだ。刃を前にオイファスは満足そうに目を閉じた。刃先が喉を素早く正確に突く。ナイフを喉に残しユーヴェは先に進んだ。




