赤く染まった地下
昼はすっかり過ぎてやや日が傾く頃、ユーヴェ達は詰め所の前にやってきていた。詰め所前の通りは封鎖されて辻に立った憲兵が旗で交通整理をしている。また、若年の憲兵達はユーヴェの馬車から二つの鞄と二十枚の鏡を運び出し詰め所内にせっせと入れている。ユーヴェは馬車を引いていた二頭の馬の頭を撫でて憲兵に託し、先に下馬したグリユニスの後を追いかけた。二重扉を抜けると空気が暖かく、詰め所の中は磨かれた大理石の床に緑の壁、丸く磨かれて壁に取り付けられた手すりは赤褐色の樫だった。フードを下ろしたユーヴェは肩に付いた雪をそのままにポーチの角度を整えた。ふと、ユーヴェが視線を上げると、詰め所の四階から貝紫色の部屋着を着た肌が杏色の女が覗いていた。
「茶でも飲みたくなってきましたな。ユーヴェ殿、あの坊ちゃんは?」
「彼はあのまま家に帰りました。」
「木の棒を腰に下げている頃は皆そうです。それで木が鉄に変わってから思い知る。あんな怪物を専門に殺している魔術師には成りたくない。・・あんな死に方。ユーヴェ殿、貴方は立派ですよ。」
グリユニスのなで肩の背中から発せられた声は低く落ち着いていた。はげ頭の税務官はユーヴェの姿を見るなり王国式令をした。ユーヴェが礼を返すと彼は別室に引っ込む。その様子を先頭のアコステスが鼻で笑う。
「大体他の詰め所と同じ作りでして、此処を右、直ぐの部屋です。此処です。何かご指示はありますか?」
鼻で笑った事を誤魔化すようにアコステスは部屋へ入りながらユーヴェに尋ねた。部屋の中には既に十五人の憲兵が立っていた。
「調査を行う憲兵の爪を二欠片ください。爪を通じて彼らの視界を鏡へ写し出します。当然地下から戻った際には魔術は止めます。」
「もちろん良いですとも。先ずは呈色液?を各所へ配置すると言うことでしたね。」
アコステスはやや大きい声で言うと憲兵達の目は部屋の中央に歩み出たユーヴェに集まる。
「はい。道中怪物が現れた場合は即座に撤退し、私が突入します。皆さんは生存を優先し、怪物と戦う必要は有りません。確実に怪物を殺すためには情報を持ち帰る事こそが重要です。気になる物があれば持ち帰ってください。」
ユーヴェが憲兵達に語る中、アコステスは部下に耳打ちをしていた。耳打ちをされた部下は礼を取り部屋から退出した。その背中を横目にユーヴェは憲兵達に指示を出していた。それから暫く後、日が沈んでほのかな月明かりが照らし出す。煌々と明かりが灯る部屋には鏡が十五枚並べられ、頼りないランタンの光が照らし出した下水道を映している。三人一組になった憲兵達は煙くさいバケツとランタンを抱えて汚泥を踏んで進む。下水にはネズミの姿は無い。ウシバエを払う手がひっきりなしに写る。部屋に残ったユーヴェ達は身を乗り出して鏡を見ていると一人の憲兵が飛び込んできた。
「何事か!」
アコステスは怒鳴る。息が切れた憲兵は咳き込みながら話した。
「もぐり魔術師が、宿を含めて何処にもいません。街の出入り記録にも・・」
「彼はこの辺りの人間ではないのですか?」
視線を鏡から外さずグリユニスは小首をかしげて尋ねた。
「黒髪に日に焼けたような小麦色の肌。あれは恐らく東部王国人ですよ。」
吐き出すような勢いでアコステスはグリユニスに答えた。ユーヴェは沈黙したまま鏡に映った様子を細かく手記へ書き取っている。続いて憲兵達が十人部屋に入ってきた。瓶を三つ持っていた。ユーヴェは問いかけた。
「井戸水ですね。」
憲兵達は肯定した。ユーヴェは歓楽地区、職人地区、行政地区、書かれた瓶の水へ黄色い薬液を三滴、それぞれに垂らしていく。
「ネズミは消えたが、地下水は問題なし。」
全ての水は黄色く染まった。下水道の様子は職人地区の真下が最もひどく盛り上がった汚物が水路を遮り、端に流れる汚水が憲兵の長靴を汚す。石壁に張り付いた赤毛の束を見たユーヴェは目を細めた。毛に気がついた憲兵の一人が首をひねってその赤毛を瓶に入れた。
「毛繕い跡、長毛種の巨人だ。・・何かを持っていたのか。」
その言葉にアコステス達は身を乗り出す。壁の下部には金属光沢と擦れた跡が見える。その後、憲兵達は巨人に会うこと無く薬を置き終えて地上に戻った。憲兵が持ち帰った毛をユーヴェは細かく切って事前に用意していた煮立った粘度が高い薬液に加えて鏡に流し込んだ。鏡には傷だらけの巨人が写る。巨人の腕は爪先まで長く、左手首は黒ずんだ切株で前腕向かい合った四方に穴が二つずつ縦に並んでいる。体毛は脱毛が激しく残った毛は荒れており、艶は無い。露わになった肉体は痩せ、たるんだ皮膚はケロイド状に荒れて病的に黄ばんでいた。黄色の乱ぐい歯は弱った黒い唇を破って突き出る。長ったらしき鷲鼻は右頬に癒着している。
「なんだこの禿げた気持ち悪い怪物は、全くもって朝飯を食べる前で良かったよ!」
グリユニスは絶叫した。彼の大声に部屋へ戻ってきたアコステスは身体を傾けて眉をひそめ、彼の目は鏡に釘付けになる。
「鎧舐抉の体液を浴びたんでしょう。死体の話から推察するにこの巨人は鎧舐抉に使役されており、死体の運搬中に片手が不自由だったため取り落としたと推察されます。所で靴の販売元は解りましたか?」
鏡を眺めていたユーヴェは背後を振り返って尋ねた。アコステスは首を振る。
「この周辺の金物屋では無いですね。但し、足の持ち主の候補があがりました。とある下級士官の倅が三日前から行方不明だそうです。学園は隠蔽しようとしていましたが。」
言い終えたアコステスは袋に入った大粒の干し葡を四粒口へ放り込んだ。
「どうです。この辺りの山葡萄は甘いですよ。」
袋が遠慮がちにユーヴェへ突き出された。
「これは美味しそうです。いただきます。」
左手の手袋を外して一粒つまみ口に含んで咀嚼した。渋さは無く、強い甘さと酸っぱい後味が広がった。
「次にこの街へ来たときにも、また食べたいですね。ありがとうございます。」
手袋を嵌め直したユーヴェは笑みを浮かべて感謝を告げた。アコステスは釣られて笑った。
「はっきりとした濃度差が見られる反応時は丁度日が垂直に上がる頃です。一度仮眠を取ってから回収の準備を整えましょう。」
憲兵達はユーヴェの指示の後、アコステスの命令で仮眠室に真っ直ぐ向かっていく。一息ついたユーヴェは伸びをすると部屋を出た。アコステスは廊下を大股で歩くユーヴェに追いついて彼を呼び止めた。
「ユーヴェ殿、隊長の事でちょっと。」
「天幕から荷物を取ってくるついででしたら。」
小走りにユーヴェの前に躍り出たアコステスは勿論ですと答えて二重扉を開けた。ユーヴェ達は厩舎の鞍付き軍馬を借り、人気が少ない早朝の街へ真っ直ぐに馬を進めた。泥まみれの街の石畳は朝日で表面の氷の粒が反射して眩しく、もやのように立ち上った薄い霧は肺を冷やした。ユーヴェは目の前の煙たい街を眺める。いたる路肩にはうずくまった物乞い達が顔や手足を林檎色に染めて黄ばんだ白目がユーヴェを見る。彼等は一人残らず親指を握りしめて髭の霜が落ちるほど小刻みに震えていた。アコステスが口を開く。
「父は『目の前の魔術師を魔術師と見分けられない場合、その魔術師は偽者だ。』と言っていたことがありますが、本当でした。我々の隊長はそれが見抜けず恥に思っていらっしゃる。」
沈黙したままのユーヴェにアコステスは続けた。
「隊長は部屋に隠ったまま、未だにご自身の誤りを認めていないそうでして。もぐり男の捜索は打ち切られました。命令には逆らえません。」
「今は地下の怪物に専念ですね。怪物を退治したら私から憲兵隊長殿に話してみましょう。」
ユーヴェは白息を吐き出して言った。アコステスの手が手綱を握り直す。
「お手数をおかけします。・・話は変わりますが、ユーヴェ殿のお考えを聞きたい。鎧舐抉は何故此処に?本当にあの一家を追っているのでしょうか?」
アコステスはユーヴェを横目に見ながら尋ねた。
「例の一家は詰め所に?」
「ええ、ええそうです。街長がどうしても匿って欲しいらしく。」
「目的はあるのでしょう。あの怪物は知能が高いですから。・・巨人の手下が居る事を考慮すると、殺すことが目的では無いでしょう。彼らを使った何かがしたいように見えます。」
「それが、あの不快悪趣味なモノで無いことを願いますよ。」
アコステスの視線は飾り付けられた劇場を向いていた。彼の物言いにユーヴェは苦笑する。
天幕へ戻って来たユーヴェは鏃が入った小脇に抱えられる程の木箱を一つと皮の手提げ鞄を手に取り詰め所に引き返した。その道中、一羽の烏がユーヴェの肩に舞い降りて羽を繕い始めた。アコステスは不思議そうにその烏を見つめたが何もしなかった。詰め所に到着した二人は鏡が配置された部屋に戻り、ユーヴェが調薬を進めていると徐々に憲兵達は戻ってきた。再び彼らの爪を二欠片貰ったユーヴェは昨日と同じく鏡の下部へ調製した爪入りの粘土を貼り付ける。くっきりと鏡に鏡を見る視界が映し出された。鏡を確認したユーヴェは憲兵達に回収を指示した。彼らが出発してから間もなくランタンの明かりが暗闇を照らし出す。ユーヴェは鏡を見ながら天幕から運んできた箱から鏃を二本抜き取った。鏃の先端には返しが取り付けられ、刃の後ろは骨子上の細い籠が取り付けられていた。ユーヴェはポーチから烏の風切り羽根が三本入れられた瓶を取り出した。瓶から羽を一本抜き取り、脂肪が付着した軸を細かく裂いて籠へ入れ、羽の様子を確かめたユーヴェは籠に薄い端切れをきつく巻いて机に並べて置いた。鏃の準備を終えたユーヴェは空瓶を片手に部屋の帽子掛けにとまっている烏へ歩み寄り、爪をナイフで削り落として瓶に収め、次は皮の手提げ鞄から空気銃の部品を取り出して組み立てた。グリユニスやアコステスが見る中、ユーヴェは組み立て終えた空気銃のレバーを三度引いて引き金を引くと蓄気された空気が開放される。ユーヴェは腰の武器に油紙を被せた。憲兵達が全ての薬液を回収する頃には日が落ち始めていた。彼等の顔には緊張が含まれ、下唇を噛む者も居た。
「皆さんお疲れ様です。一目瞭然ですが、地図の上に並べましょう。」
ユーヴェはバケツから水を瓶ですくって均等に引かれた二重の八角形の精巧な地図の各頂点に並べると、巨人の毛が発見された職人地区の真下、やや街から川よりの外縁部の地点に置かれた瓶の水が真っ赤に染まっていた。赤く染まった瓶の両側はやや赤みがかり、南側である街の出口側の赤みがより強くなっている。
「外縁部職人地区の整備口から南下した辺り。皆さんは整備口を警備してください。中には私が入ります。」
そう言い終えるとユーヴェはフードをかぶって石英のレンズを装着した。続いて彼は持ち出してきた木箱から青色のクリームが詰め込まれた瓶を取り出し、中身を手ですくっては肌、靴、服、手袋の裾へ塗りたくった。二三度塗りを確認してからユーヴェは口を開く。
「行きましょう。先ずは巨人を殺します。」
その声でユーヴェを先頭に一行は詰め所から出発した。外は雪が雨に変わって降っていた。雪はすっかり溶けて側溝へ吸い込まれる。幾つもの蹄が水たまりを蹴散らして石畳が張の悪い太鼓のように鳴った。家の軒下で寛ぐ住民や劇場へ向かっている富裕層は彼らの姿を凝視した。雨に打たれて見たことも無い速さで走る彼等は日々同じ生活を繰り返す彼らにとって異様に映っていた。




