狩りの始まり
ユーヴェは検死記録へ目を通していた。死因の殆どは窒息死と書かれ、食道には粘性の液体が詰まっており骨髄すらも腐食しているとの観察結果だった。
「・・念入りに触っている。若い男と顔への執着か。」
集められた記録書には魔術師の存在を言及する記録が一つも無かった。それどころか、最新一年前の記録に押された印は憲兵隊の物ではなく、王宮魔術師の印が押されていた。ユーヴェは眉をひそめて右手で額を撫でた。
「どうかされましたか?」
不安げにテナレウスがユーヴェの顔を覗き込んだ。
「いいえ。何でもありません。資料に目を通したのでスラマイオスさんへ報告に行きましょう。」
ユーヴェは椅子から立ち上がって扉へ向かった。慌てたテナレウスは小走りで彼を追い抜かして扉を開ける。会釈をテナレウスへ流れるように行ったユーヴェは館の絨毯を踏みしめて上階へ上がった。黒色に照り返す質の良い扉を三度、一定の間隔で叩きスラマイオスの部屋へ入った。中にいたスラマイオスは寝椅子にもたれかかって猥本を読んでいた。ユーヴェに気がついたスラマイオスは猥本へ懐の銀貨を挟み込んで机に堂々と置く。ユーヴェは目を丸くして背後のテナレウスを振り返った。
「ああ、ユーヴェ殿。どうでした何か進展は?」
ユーヴェはスラマイオスの問いにグリユニスに行った話と魔術師について話した。
「やっぱり怪物でしたか・・」
スラマイオスは表情無く呟く。仏頂面の彼にユーヴェは尋ねた。
「あの押印、まともな魔術師であれば死体を見ただけで気が付く怪物です。」
答えにくそうな表情でスラマイオスは口を開いた。
「実はいろいろあったんです。確かに王宮魔術師殿はいました。ですが、お恥ずかしい事に、仕留めに行くと言って出発したきり行方知れず、でして。追及を恐れた憲兵隊は印鑑を拝借して解決扱いに、三年前と四年前は同性愛者を逮捕して本国へ報告をしたんです。私は当時の憲兵隊長でした。まあ、ユーヴェ殿のような魔術師が来てくださって良かった。」
「・・今回は本当に、お願いしますよ。」
押し殺すようなユーヴェの言葉にスラマイオスは痩せた胸を張る。
「心配ご無用。誠実に対応いたします。」
ユーヴェは笑みを浮かべ、
「では、道具や魔術を行う場所が欲しいのでお庭をお借りしても? 」
と要求するとスラマイオスは頷いた。ユーヴェは続けた。
「下水整備用の入口の配置は解りますか?」
「ええ、こちらに。」
執事へ耳打ちをした後、スラマイオスは大きな机の一番下の引き出しから木製の図面筒を引き出して中から一枚の地図を取り出した。執事はきびきびと部屋から出て行った。地図には縮尺の目盛と精巧な街に引かれた下水道の図が書かれている。
「王都の労働者区画ように上水道は用意できなかったのですが、中々の物でしょう。」
下水道は掃除用の太い流れが均等に八角形に伸びてそれぞれが繋がり、人が通れない細い流が更に細かく繋がっている。終点は下流の太い川へ繋がり直ちに海へ流れ出していた。
「この配置、高さがあまりありませんね。更に下には何かがあるのですか?」
「実は三百年前、先の戦で魔術師による爆弾投下を受け、地下に防空壕を作ったそうです。地図も紛失していたので、下水道整備時に改めて私達が発見したのです。」
「ありがとうございます。視覚器官を持たないあの怪物は地下に潜む修正を持っております。先ずはこの二カ所を捜索しましょう。憲兵隊には井戸水の水質調査を行っていただく予定です。」
「それが良いですね。よろしくお願いいたします。明日は私と妻の披露宴が有ります。良ければご参加ください。武装はご遠慮願いますが。」
「気が向けば。」
深々と頭を下げたスラマイオスを見つめたユーヴェは、地図を持って部屋から出て行った。彼の後ろにはテナレウスが追従する。
道中テナレウスはユーヴェの揺れない歩き方を真似しすっかり腰や上腕が痛くなっていた。屋敷から出たユーヴェは庭で天幕を張っている使用人へ会釈をしつつ庭を横切って自分の馬車が留め置かれている厩舎に着いた。馬車から荷物を抱えて運び出すと天幕を張りから離れた庭師や下男がユーヴェの荷物を受け取る。荷物を移動し終えると下男二人が薪を抱えて天幕で調薬を始めたユーヴェの元にやって来た。ユーヴェはちらちらと鏡を見ていた。鏡には上空から見下ろした真っ白な詰め所の様子が映し出され、そこには荷台に載せられた死体も映っていた。机には革製の頭巾と口と目を守る保護具が魔術触媒と並んで置かれている。目の保護具には大きな石英が二つはめ込まれ、鼻や目元には絹の緩衝材が貼り付けられていた。
「旦那さん。寒いから、これを使ってください。」
歯抜けの口が言う。下男の顔には作り笑みが浮かんでいた。
「ありがとうございます。これから葡萄酒を温めるのですが一杯如何です。」
照れくさそうに笑った下男はユーヴェの片手にある葡萄酒の瓶へ吸い寄せられた。
「ぜっ是非。仲間も呼んで良いですか?」
「人数分のカップを持ってきてください。ご馳走しますよ。」
ユーヴェは作業をしながら下男に微笑んだ。下男が天幕から出て行くとユーヴェは薪をスラマイオスから借りたストーブへ突っ込んで天幕を温め始めた。部屋が暖まるとユーヴェは葡萄酒を薬缶へ注ぎストーブの上にのせた。手持ち無沙汰になったテナレウスは遠慮がちにベッドに腰掛けた。テナレウスの視線は見たことも無い器具に吸い込まれる。ユーヴェは調薬した黄色の薬液を一滴硝子板にたらし、そこに魚人の灰と書かれた瓶から灰色の粉末を一つまみガラス上の水滴へ加えた。水滴はみるみるうちに赤褐色に変わる。テナレウスは我慢できずに尋ねた。
「その液体は?何に使うんですか。」
「鎧蛞抉の体液は灰を溶かした液よりも極めて強い融解性を持っています。この薬液はその類いの体液等に触れると色が変わるのです。今回は十倍に薄めて使用します。」
「何処に怪物が居たのかが解るんですね。」
テナレウスはベッドから立ち上がって作業台を覗き込んだ。興奮した彼は目を輝かせてユーヴェが作った黄色の薬液が詰められた瓶を見つめた。
「その通り、前回はそれで住処を割り出しましたが、そこは怪物の罠で猛毒の体液で塗れた地下に閉じ込められそうになりました。決して油断は出来ません。」
手で世話しなく操作をしながらユーヴェはテナレウスへ微笑む。二本、三本目と作られた薬液は合計で十本になり、箱の中へ収められた。そこに、外が騒がしくなり下男や侍女達五人が現れた。声を掛けるでも無く入ってきた彼らに顔をしかめたテナレウスだったが口は閉じられたままだった。
「さあ、どうぞ。カップはありますよね?テナレウスさんも飲みますか?」
テナレウスは首を横に振り、下男達は安物の椅子を並べて下町で売っているような陶器のカップを差し出した。ユーヴェは順に葡萄酒を注いでいく。軽く器を掲げてからユーヴェ達は葡萄酒を飲み干した。ユーヴェはお代わりを一杯注いでから彼らを帰した。テナレウスは疑問を口にした。
「何故彼等に。」
ユーヴェは少し考えた。
「野良魔術師の処世術です。憲兵を連れたグリユニス殿がこちらに向かっているようです。」
そう言ったユーヴェは作業台の保護具を身に着けた。マスクを着け、額には石英が輝く。厚いフードを被り肩まで伸びたフードの裾を肩の留め金で固定した。続いて腰の銃を一丁外して入れ替えるように射出機を下げた。テナレウスは再びベッドへ腰掛けて脚を揺らす。
「父の披露宴に出席されますか?」
「いいえ。明日も調査で手一杯でしょう。」
ユーヴェの答えにテナレウスは視線を逸らして天井を見上げた。ユーヴェは木箱に入れられた予備の銃を手入れし始めた。各所のネジを外して分解しごみを払って油をさす。火打ち石とバネを新品に取り替えて組上げた。
「ベルイエーネさんの言っていた魔術師と違いますね。あっ、ベルイエーネさんは家庭教師で、知的で王都の女学院で元々教鞭を執っていた方です。明細書の発行等で値段交渉の方が怪物退治よりも長いとか。それに・・傲慢と。」
「彼等はそういうモノです。」
溜息をついたユーヴェは力の無い目をテナレウスへ向けた。
「貴方の歌は良く耳に入ります。色々な所を旅して悪い怪物をやっつける。おとぎ話みたいで現実味が無かった。でも・・」
テナレウスが次の言葉を発しようとすると、
「失礼します、グリユニスです。憲兵隊の者と共に参りました。」
グリユニスの声が天幕の外から響く。ユーヴェは返事を返して垂れ幕を上げて外に居た彼らを中に入れた。グリユニスに続いて入ってきたのはアコステスと三人の憲兵達だった。
「お疲れ様です。魔術師ユーヴェです。座れるところは有りませんが暖まってください。」
一行へ礼を取りユーヴェは天幕の作業台前に立った。
「ユーヴェ殿、叔父に報告をした後、丁度憲兵隊と出会いまして来ていただきました。」
和やかにグリユニスが言った。体格が優れた男が前に一歩踏み出る。
「アコステスと申します。憲兵中尉です。」
アコステスの挨拶を皮切りに他三人の憲兵達も挨拶をするとユーヴェは憲兵達と情報を共有し、自身の計画を話し始めた。計画は四つ。第一に井戸水の水質調査、第二に下水道の八本の道の各所に薬液を入れたバケツを置く、第三に人力による防空壕の探索、第四に街の見張りを行い他の怪物を探すことだった。
「他の怪物ですか。目の見えない怪物が地上に出ないと?」
「皆さんの情報を聞いたところ、鎧蛞抉は既に成体であるようです。成体の鎧蛞抉の体長は凡そ八間と言われています。地上には出られないでしょう。下水道の出口は人間すら通れない管が一カ所に集まってから川へ流れているようですから、下水道を使う利点がない。防空壕と通じていなければですが。」
顎に手を当てたアコステスは口を開いた。
「下水道の点検は半期毎に行っておりますが、職人地区等手が回っていない場所もあります。そこを中心に憲兵も送って調査をしてみては如何でしょうか?」
ユーヴェは頷いて同意する。
「それは良いですね。何人送れますか?」
「十五人ですね。結婚式の騒ぎで交通整理や見回りで人手が足りず、申し訳ございません。」
「今日中に始めましょう。所でオイファスという魔術師についてなのですが、本当に馬車でこの街に来ていないのですか?」
アコステスは呆れたように笑う。他の憲兵達も嫌悪感が隠しきれない様子だった。
「ええ、馬に野草でパンパンの袋を二つ積んでいただけですね。よくあのような枯草を拾い集めたものです。私は一目でわかりました。あの野郎はもぐりだって。きっと下衆か馬鹿な農奴だ。」
恥が混ざった憤慨によって憲兵やグリユニスの頬は赤かった。アコステスの震える拳は彼の太股に軽く当たりそのまま押し付けられる。
「グリユニスさん、周知と連行許可証の発行をお願いします。皆さん気を取り直しましょう。まだ大事には至っていない。」
か細い声の返事が返ってくる。ユーヴェは先程調薬した薬瓶が入った箱を抱えて彼らを引き連れて天幕を後にした。




