王宮魔術師
真っ暗闇にぼんやりと火がついた。橙赤色の細い炎は鋼鉄製の無機質な壁を照らした。
「良いのですか?エレディウスさん。先ほど炎が空気組成を変えるとおっしゃったではありませんか。」
声変わりもしていない少年の声が部屋全体に反響した。
「街外に繋がっている空気穴は無事です。心配する必要はございません。」
やや離れた場所、暗闇でおぼろげに照らされたエレディウスの声が気怠げに起こった。彼の両手には手かせが嵌められている。彼の声に思い出したように身じろぎする音が幾つもあちこちで鳴った。
「じゃあこれからどうします。予定より早くヘモストス王子殿下がいらっしゃいましたし、裁判を始めましょうか?」
僅かに見えるようになった周囲を探るマニウレイスが咳き込みながら言った。彼の目線は低く轟く音を立てる灰色の天井へ向けられている。
「ご冗談を、いくら此処へ怪物が入ってこないとは言え、街中に設けてある空気穴に詰められた糞が流れ込んできている。此処は怪物の住処よりも汚くなって終いには病気になりますよ。あの青血の怪物共は暫くこの広大な食糧庫から立ち退かないでしょうし、私としてはそれでも良いですがね。全くもって間抜けなあんたらに殺された弟子達が哀れだ。」
「あの時私はヘモストス王子殿下のお迎えで、リュクリセスに任せて・・。」
マニウレイスの言葉へエレディウスは声を荒げて被せる。
「言い訳だ。責任はあんたが取るべきだ。」
激高したエレディウスを前に炎が揺らぎ、マニウレイスは肩をすくめて口を開く。その声は小さなものだったが部屋には十分に響いた。
「あいつとはサロンでも意見が合わなかったんだ。」
「リュクリセスはここに逃げ込む前に首を刎ねられた。」
諦観し冷め切ったエレディウスの声と共に暗所で鎖の音が聞こえた。
「この状況でこの件に関してはマニウレイスさんの越権行為でしょう。王宮魔術師達の枷を外しなさい。・・良いか、たたき起こされた私は恥ずかしい寝間着のままですよ!威厳も無くこんな肥だめで死んでたまるか。この建物から出る時には正装をしますからね。」
辟易した様子で首をかしげるヘモストスはわめき散らすように命令すると、兵士達によって手探りに魔術師達の枷が解かれていく。ヘモストスはあぐらをかいていて痺れた足をほぐし、膝掛けにしている血糊がこびりついた水色の軍服を取り払って立ち上がった。壁に近寄った彼は耳をその壁に寄せると外からは微かな爆発音と床を怪物の爪が引っかく音が聞こえる。
「まだ居る。虫のように這い回っている。武器は有りますか。」
「小銃なら八丁ありますが、突破する火力は足りません。」
真面目くさって答えるマニウレイスをエレディウスは中腰で部屋奥に向かったまま鼻で笑う。
「私を処刑すると言っておきながら自らの縄を用意するとは殊勝なことだ。さあ、扉を開けるが良い。勇敢な八人の人間におあつらえ向きの栄誉が待っているだろうさ。」
やけになったエレディウスの言葉に眉をひそめたマニウレイスは低く唸り太くしなやかな閂が掛けられた鋼鉄の扉前に立った。
「エレディウスさん、いい加減に協力してください。ここ数日のことは不問にし、この局面を乗り切った暁にはその献身に黄金で報いましょう。」
ヘモストスの言葉にエレディウスを含めた魔術師達、十六人が動きを止めて振り返った。ヘモストスは彼らの目を見ながら続けた。
「エレディウスさん。ここの部屋に逃げるように言った貴方なら、外の情報を何か持っているのではありませんか?」
「無数の怪物共による街中の虐殺。犬死にする兵士達がいました。これ以上の情報は報酬に引き換えてお話しましょう。」
エレディウスの胡乱な目つきがヘモストス達を睨み付け、ヘモストスはか細い声で問いかけた。
「何が欲しいのです。」
「豪邸と支配する領地が欲しい。既に我々はそれらの報酬に見合う働きをしています。」
ヘモストスの顔は暗闇で紅潮し、彼は一分ほど呼吸を整えて答えた。
「大変結構、ではその報酬を約束しましょう。」
その時、初めてエレディウスはヘモストスへ礼を取った。
「約束の印として王太子殿下の爪と髪をいただければ幸いです。」
ヘモストスは口を寄せるように曲げてそれらを差し出すとエレディウスは上着の下に着込んだ小札鎧の音立ててヘモストスに近づき恭しく受け取る。二歩下がったエレディウスは手のひらの爪と髪をしまい込んで口を開いた。
「幾つか有用な情報があります。ボルティウスが死んだ事、怪物狩りが目的を持ってこの王都に向かっている事、最後に怪物の数は増えた事です。」
「三つ目は特に興味深いですね。増えた理由とその数は?」
「断言できかねますが、散らばっていた使い魔に対して魔術的な命令を同時に下すとああいう無秩序な集合が起こります、襲撃時に二十体確認されていた怪物に加えて森からまばらに集まって来る様子が確認できましたが・・残念なことに、訓練と魔術触媒によって使い魔との連絡を取っていた魔術師が凶弾に倒れてしまい数については何も。責任を取って誰かが見てくれば良いのではないですかな。」
憤慨のあまり震え上がったマニウレイスは苦々しい顔をして外の音を聞くふりを続けた。彼の耳は室内へ向けられている。
「エレディウスさん、貴方は蝋燭の炎か?」
ヘモストスは呆れかえって言うとエレディウスは右眉を上げておどけてみせる。
「何らかの魔術師が背景にいる、それはボルティウスでは無いのですか?」
鼻の頭をなでながらヘモストスは更にそう続けるとだるくなってきた脚をたたんで再び床に座った。部屋に灯された蝋燭の炎が真っ白な彼の顔と脛を照らし出す。
「ボルティウスが死んだ時間がわからないので断言は不可能です。ただし、ボルティウスは確実にユーヴェという魔術師によって殺されております。」
エレディウスの答えにヘモストスは握った右手を鎖骨下に持ってくる。
「ああ、劇のやつですか。私にはあまり合いませんでした。」
「実物は四六時中怪物と殺し合っている野良魔術師です。」
懐かしそうにしかし無関心気にエレディウス言い終えるとはっきりとした爆発音が外から聞こえてきた。魔術師達は天井を見上げると無数の怪物達がその上を駆けていく音が室内に響いた。
「こちらをお使い下さい。」
辺りを見回すヘモストスへエレディウスは蝋燭を手渡す。ヘモストスはエレディウスへ笑み浮かべ勢いよく立ち上がった。
「始まった。始まったぞ。」
ヘモストスは呟くとマニウレイスがかかしのように立つ扉の元に駆け寄ると兵士達の水色の軍服が鮮やかに浮かび上がった。マニウレイスは歩み寄ってきたヘモストスから僅かに身を引き、ピッタリと扉に張り付いたヘモストスを見下ろす。一方、エレディウスは地面に座り込んだまま兵士達を一心に見つめており、両手のひらは水すら通さない程に隙間無く合わされていた。
「そうですな。」
エレディウスが暗闇で手を開くと尖端が鋭い真っ黒な投擲剣が二本姿を見せる。彼は弟子や部下に合図を送り、彼等は一本ずつ兵士達の下腹部や胸を狙って投げつけた。黒色の闇器は水色を赤く染める。胸を貫かれたマニウレイスを含む兵士達は引くように呼吸を繰り返しうつ伏せに倒れ伏した。扉を照らす蝋燭の炎が大きく揺れた。
「明かりを持ってこい。死体をばらして使い魔を作れ。」
震え上がったヘモストスに歩み寄りつつエレディウスは大声を上げた。エレディウスを見上げるヘモストスの体は小さく、蝋燭を握りしめた彼は震える声で語りかけた。
「何故こんなことを。」
「此処はよく街の音が聞こえます。兵士達は皆殺し。そして今、怪物の大半は王宮に集まっているようですした。つまり、扉の前に居る怪物を殺せば、調薬室にある毒を入手できるのです。更に幸いな事に良く鍛えられた八人分の肉が手に入りました。」
何事も無かったように言うエレディウスからヘモストスは背中を壁にこすりつけて逃げた。
「これは明確な殺人だ。」
「誰が何を裁くのです?殿下、貴方は貴方であると言えますか?目を瞑り、翌朝に目を開けているのは別の記憶を植え付けられた誰かではなく、本当に貴方でしょうか?」
かがみ込んだエレディウスは声を落として続ける。
「・・つまり、我々魔術師はそのために存在するのです。」
自身の目や耳を触りながら語るエレディウスは徐々に明るくなってきた部屋を振り返った。部屋の奥は壁ではなく幾つもの武器や魔術触媒が蓄えられた倉庫であり、丁度一抱えも有る魔術触媒が入った箱を持って出てきたイエリウスが冷たい視線をヘモストスに投げかけ歩いて行った。
暗闇を歩くユーヴェは片手の空気銃を肩にかけて射出機を手に取る、彼の耳には耳栓が詰められ耳栓からは短い紐が肩まで垂れている。ユーヴェは両手に一丁ずつ手に持った射出機を吐息が満ちる闇の道へ向けた。徐に爆弾が一つ打ち出された。真っ白な光が四体の怪物と通路を照らし出し、その後を追って岩表面の水に波紋を作った。人間を超越した感覚を持つ怪物達は嘔吐しつつユーヴェに向かって突進した。続いて爆弾が先頭を走る怪物に命中し燃え上がる液体を撒き散らす。ユーヴェは両手の空気銃を投げ捨てて肩の空気銃を構えた。先頭の怪物は火だるまになったまま背後の怪物達に押し倒され、飛び散った燃える液体はもう一体の怪物にも引火した。燃え上がった怪物は平衡感覚を失い壁に激突する。燃える二体を乗り越えた怪物は目玉を血走らせて四つ這いで駆けた。鋭い爪が床を削り埃が舞う。空気銃の鏃は先頭に躍り出た怪物の肩へ突き刺さる。ユーヴェは後退りながらポーチからもう一本鏃を取り出して空気銃に取り付け、レバーを何度も引いて蓄気する。先頭の怪物は糸が切れた人形のように崩れ落ち、背後の怪物はその身体を足蹴にユーヴェへ迫る。ユーヴェはレバー低く。蓄気は十分ではなく怪物とユーヴェの距離は既に馬二頭分だった。意を決したユーヴェは空気銃の蓄気を取りやめ、腰の剣を引き抜いた。走る怪物を前にユーヴェはポーチから小さな金属容器を取り出し残り僅かな液体を剣の片側の切っ先へ塗り目と鼻の先まで迫っていた怪物の腕を切りつけた。切っ先は怪物の腕にめり込み、ユーヴェは剣ごと岩の壁へ叩き付けた。爆発でもろくなった岩は怪物の膂力によって割れユーヴェは片膝をついた。歯を剥き出しにした怪物の口端から泡をこぼして倒れ伏し埃が舞った。ユーヴェは剣を杖に立ち上がって燃える二体の怪物に目を向けた。皮膚が焦げて紫色の紐状組織が覗く。死にかけの怪物を前にユーヴェは剣を両手で握り二体の首を切断すると耳栓を引き抜いてその場を後にした。




