意思の力
梯子を下っていたユーヴェはポーチから取り出した火起こし機に火を灯し、火がついたその装置から手を離した。装置は火を灯したまま三拍後に地面へ激突して漏れた油に引火した炎は小さく広がって燃える。ユーヴェはその様子を見てから再び梯子を下りた。何も無い穴から硬い床にユーヴェの靴底が当ると、彼はポーチからもう一つの火起こし機を取り出した。左手が掲げられて周囲がぼんやりと照らされると暗闇から岩肌が露わになった。壁の岩肌は若干湿り、床は一本の道をなしており中央には細い水路が掘られていた。ユーヴェは腰の銃を引き抜いて周囲を見渡しつつ真っ直ぐに歩み始める。壁には細い空気穴が設けられており、白く小さな蟲がせっせと穴についた土などを吐き出している。突き当たりまでたどり着くと右手の岩壁が下がり、明かりに満ちた部屋が彼の目も前に広がった。ユーヴェの目の前には金属の両腕、四つ脚の六肢を鈍く光らせたレムノスが頭部から伸びた線を触りながら部屋中央に佇んでいた。
「ようこそ。魔術師ユーヴェ。」
ユーヴェは部屋へ入ると左手の火を消して空気銃を換わりに手に取った。
ユーヴェと対峙したレムノスは笑みを浮かべてやや離れた金属板へ小刻みに四つ脚を繰り出して歩み寄り、機械式の細い指を蟲の脚のように蠢かして操作を始めるとユーヴェの背後の岩壁がせり上がって密室を作る。
「待っていたよ。何か飲むか?その方が口も滑るだろう。」
レムノスは金属の背骨を回転させてユーヴェに振り返って部屋の装置から離れた椅子を指さした。エムを浮かべるレムノスを無視したユーヴェは右手の銃をレムノスに向けたまま部屋内の装置に近寄った。
「私の知らない物だ。これは文字か。」
王国語学が横書きに映された薄い硝子板を空気銃の鏃が指す。
「そうだ。専用の砂を使うが入力が簡便な機器で人工脳などの記憶媒体を組み合わせれば本等よりも信用できる道具になる。硝子板と砂は摩耗するが入れ替えれば良いし、人工脳も元の肉を培養していれば何時までも使える。」
「便利だな。小型化はどうだ。」
レムノスは頭を横に振る。
「砂の替わりを見つけなければならない。何か考えるさ、時間は幾らでもある。そんなことよりも銃を下げてくれよ。精巧な腔線を私に見せつけたいのか?そんな物は魔術師の銃器では一般的だろう。意味の無いことだ。」
「あんたを殺すことがか?私には価値あることに見える。」
「最早価値は無い。でなければお前を生かさないさ。」
沈黙するユーヴェに向かって一歩歩み寄ったレムノスは続けた。
「先ずはお礼を言いたい。ボルティウスの抹殺は本当に助かった、ありがとう。」
レムノスは四つ脚を駆使して部屋を歩き始める。金属製の脚が床に当る軽い音はユーヴェに不快感を与え、彼はレムノスの後頭部に向かって口を開く。
「あんたは誰だ。」
レムノスは振り返らずに答える。
「私には個が無い、誰でも無い何かだよ。レムノスはあれだ。」
レムノスの金属製の指が部屋の隅に置かれた中型の金属容器を指さした。金属容器の上下には管が繋がれており、上部にはえんどう豆のような冷却管が取り付けられている。
「あれから採取した組織液は人間の姿を記憶していたよ。食わせて化けられたのだから間違いない。」
「魔術的個体差は肉体である証明の一つとして非常に興味深い実験だ。」
ユーヴェは銃口をゆっくりと下ろす。その様子に後頭部を向けたままのレムノスは笑みを深くする。
「わかってくれて嬉しい。私も元は誰かで、気が付いたらレムノスに換わっていた。私の肉を食べたあれはどこにでも居る誰かだったよ。だが今は・・」
レムノスはユーヴェに振り返り続ける。
「お前が持っているアンテロケイアにはそれが詰まっている。私は摂取されたそれを通じて本能の一部に入り込んだ。もう私は誰にでもなれる。私は新しい種を創り出した。」
ユーヴェは再び銃口をレムノスに向けた。
「では繁栄する前に根絶やしにしてやる。」
「無理だな。我々は魔術師から隠れて息を潜める。時が経ってお前ら不要になった頃に大手を振って富んだ世界へ羽ばたこう。腹が満たされた人間は間が抜けて無駄に考え、我々との共存を選ぶだろう。愚民だらけの世界とはそういうモノだ。そうなれば全が統一される。ボルティウスを消したお前には報酬をやろう。背負っているアンテロケイアを飲み干し、私の施術を受けろ。そうすれば新しい世界で一つの個として存在させてやる。」
言い切ったレムノスは側頭部を軽く撫で、眉をひそめたユーヴェは口を開いた。
「目的が掴めない。あんたの目的は逃避では無いはずだ。」
「始めは逃避、暗闇に浮かぶ記憶に疑問を持っていた時は逃げることしか考えられ無かった。だが、今は違う。無数に解き放たれた我々は日々成長し私に確実な歴史を刻み込んでいる。我々が私になっているのだ。」
「良く解った。あんたは人間だ、しかし怪物でもある。」
未だに笑みを浮かべたままのレムノスに向かい合うユーヴェは銃の引き金を引いた。レムノスその場で力無く崩れ落ち側頭部の線が白目を剥いた彼を宙吊りにする。笑みを浮かべて固まるレムノスの額は弾け、割れた人工脳が継ぎ接ぎだらけの頭蓋骨から覗いていた。
「私は私自身を信じるように他の魔術師を信じている。お前は根絶されるだろう。」
ユーヴェは死体に向かって呟くと部屋の物を次々と物色し始め一つの布で覆われた大型魔術具の前で立ち止まった。を覆う布を取り払うと人型をした肉が横たわっており、肉は灰色だった。肉の節々に空いた穴にはレムノスの六肢の太さとぴったり合っている。魔術具をユーヴェが眺めていると彼の背後からレムノスのものではない声が響く。
「ユーヴェ。無駄だと言っただろう?王宮に呼べるだけの変異体を呼び寄せた。此処で餓死するか戦って怪物に殺されるか。選ばせてやろう。それが短慮なお前に相応しい報酬だ。」
「あんたの様な奴は強力な体や武器を持っているものだ。」
ユーヴェはそう呟くと部屋の装置へ近づいた。文字を作っていた板には『戦って死ね』と表示される。
「通気孔掃除は停止した。餓死する前に空気が無くなってくたばるかもな。あの怪物狩りが戦わずに死ぬことはないだろう。それではつまらない。お前を引き裂く快感は記憶に値する。」
わめき散らされた言葉を余所にユーヴェは両手の武器をしまい、側頭部から伸びる線をナイフで切り外し、重たいレムノスの身体を引きずっていく。
「そいつの人工脳は破壊されている。無駄だ。」
ユーヴェは背中から金属容器と消耗品を入れた箱を下ろし、金属容器を開けた。金属容器には人工脳が一つ入っていた。
「アンテロケイアじゃないのか?何のために工場に行った。」
「それはあんたも言っていただろう。」
レムノスに答えたユーヴェは慎重に破損した人工脳を取り出し、入れ替えるように金属容器内の人工脳をはめ込むとレムノスが目を開ける。
「申し訳ありませんがもうひと仕事です。地上に怪物が押し寄せているそうです。」
使い魔となったレムノスへ声を掛けたユーヴェは胸が鼓動し始めた魔術具を指さすと使い魔は無言で巨大な肉体に乗り込むと巨大な肉体は埃をまき散らして立ち上がる。肉の鎧は使い魔の身体をくまなく覆った。ユーヴェは武器を手渡そうと近づくが使い魔はユーヴェに見向きもせず岩の壁をぶち破って部屋から出て行った。
残されたユーヴェは銃から魔術具、剣までくまなく点検と装填すると消耗品、爆弾が入った箱から手の平程の三つ爆弾を取り出した。
「今なら間に合う。私の提案を受け入れろ。糞の臭いがする下界に何の価値があるというのだ。」
「誰でも無くなったお前は自分の名前でも考えていろ。墓に刻んでやる。」
穏やかなレムノスの言葉へユーヴェ吐き捨てるように言うと、一つ目を歩幅で爆発半径を調整しつつ部屋の機器の中央、二つ目を部屋の出入り口、三つ目を本当のレムノスが入った金属容器に取り付けて口を開いた。
「貴方が思考していないことを祈ります。」
金属容器にユーヴェは丁寧な王国式礼を取り、荷物を身につけてそそくさと部屋を後にした。彼の背には穏やかなレムノスの声が繰り返される。
「今なら間に合う。私の提案を受け入れろ。」
その言葉は何度も繰り返された。巨体が通った後の道は岩の壁が割れて大穴が空いている。ユーヴェはポーチから三本薬液で満たされた瓶を取り出して中身を全て飲み干すと遙か上から肉を叩き潰す音と前方の暗闇からの引くような吐息が耳に届き、振動が足裏から感じられた。空気銃を構えたユーヴェは王都の怪物達を殺すため、吐息が聞こえる暗闇へ足を踏み出した。




