薄明の魔術師
怪物とユーヴェの目が合う。怪物を目の端に納めたまま銃へ弾を込めたユーヴェは続いて射出機に爆弾の装填を始める、静まりかえった霊廟内に彼の作業音と怪物の荒れた呼吸が響き、焼けた牛肉の匂いと獣臭が充満する中で異界の赤黒い異様な光が漂う。ユーヴェは何も無い天井、遠く離れた何処かからの大量の視線を感じる。怪物は爆弾を装填したユーヴェがポーチから薬便を取り出す様子を監察した後、目を部屋の節々へ向けて地下二階へ戻っていった。立ち上がったユーヴェの足下が何度も揺れ、側の大きな石柱が割れて上階から大きく崩れて地下二階に崩落した。割れた床からは網に包まれた怪物の足がユーヴェの視界を通り抜ける。ユーヴェの足下から石が砕ける破壊音が彼の周囲を回る。ユーヴェは両手に一丁ずつ銃を持ち、耳を澄ませる。ひときわ大きな揺れがユーヴェを襲い彼は姿勢を崩し階下の瓦礫の山へ落下した。ユーヴェは背中を打って瓦礫から転がり落ちて身を起こすと怪物が両腕を交互に柱へ叩き付けていた。柱が崩れて今度は霊廟の天井から崩れ落ち、大穴が空いた天井から降り注いだ月光が怪物の稲妻形に黒く焼けただれた背中を照らす。ユーヴェは片手に握った銃を射出機に持ち替えて周囲を見渡した。いくつかの小部屋に分かれていた地下二階だったが、怪物によって部屋を隔てる壁は打ち抜かれ一つの大部屋に変わっていた。ユーヴェは瓦礫を確認しつつ冷たい床へ足を踏み出す。怪物はユーヴェに振り返った。火傷は盛り上がった筋肉で覆われた怪物の胸から右腕に駆けて走り、激昂した顔は口の端が裂けて鋭い黄ばんだ牙が並び、垂れ下がったコイネーの頭は千切れて無くなっている。
「馬鹿力め。」
怪物の頭上に崩壊した地上へ上がる階段を見たユーヴェは怪物に射出機を向けてにじり寄る。怪物は上下の中切歯に舌を交互に当てて独特な音を鳴らす。
「お前は無敵じゃ無い。」
ユーヴェはそう怪物へ呼びかける。怪物は独特な音を発しながらユーヴェを経過して彼を伺いながら鈍重な音と共に反時計回り不規則な速さで歩く。ユーヴェと移動する怪物の間に瓦礫が挟まる。ユーヴェは強く射出機を握り込み瓦礫から距離を取る。部屋へ差し込んだ月光が僅かにチラつく。躊躇いなく射出機を天井に向けたユーヴェは引き金を引いた。爆弾は飛び降りた怪物の腹部に直撃し炸裂した。熱波はユーヴェを床に叩きつけ、炎上した怪物は肉をまき散らし放物線を描いて瓦礫の山に上半身を埋めた。起き上がったユーヴェは周囲がぼやける中、射出機を腰に下がる銃と取り換えて物陰に隠れた。間もなく怪物が瓦礫を跳ね飛ばして起き上がった。怪物の腹は破け真っ白な腸が砂利に塗れている一階で対峙した時の倍に筋肉が盛り上がった腕がユーヴェの居た当たりを殴打する。下敷きの石板が砕け土煙が上がる。隠れたユーヴェ月光が作り出した怪物の影を見つめる。怪物は這いずり回りながらユーヴェを探し、手当たり次第に隠れられる物陰を叩き壊す。ユーヴェは怪物の頭を確認し飛び出す。ユーヴェは怪物の頭部に両手に握った二丁の銃を向けた。揺れる怪物の頭部へ彼が狙いを定める中、怪物の腸からコイネーの上半身が飛び出し彼女の目がユーヴェを捉えた。ユーヴェが反応する間も与えず甲高い叫び声が鳴り響き、怪物は素早く振り返りユーヴェに向かって突進した。腸のコイネーは甲高い泣き声をまき散らす。ユーヴェは手に持った二丁銃と腰の一丁銃を順に発砲する。三発の弾丸の内当ったのは二発目のみであり、その一発は怪物の右眼を潰したが弾は頑丈な頭蓋骨に食い止められた。頭部を揺られた怪物の脇をユーヴェは駆け抜ける。獲物を失った怪物は姿勢を崩して壁に激突し、その衝撃が霊廟の天井を崩した。銃を投げ捨てたユーヴェは剣を抜き放ち怪物の背へ刃を寝かせて突き立て小刻みに左右に揺らしながら引き抜いた。ユーヴェの頭から爪先は噴き出す鮮血と黄色い脂肪で真黒く染まる。ユーヴェは再び激痛に震える怪物の背に剣を突き立てた。切っ先は怪物の胸から飛び出す。怪物は身体を震わせて背中からユーヴェを振り落とするが、ユーヴェは素早く広がった傷口から剣を引き抜いて怪物から馬二等分の距離離れた。
怪物は振り返り、血まみれの両者は正面から対峙する。恐怖に雄叫びを上げた怪物が右腕を振り回し、もう一方の腕で瓦礫に滑りながらユーヴェに向かって這いずる。ユーヴェは迫る怪物からゆっくりと後退をしつつ怪物の様子を観察する。幾つもの傷によって怪物は弱っていたため、石の柱を砕く力は失われ、右腕が石柱に引っかかる。ユーヴェはめくれ上がって土が露出した床を踏みしめて怪物に向かって突撃する。怪物の左腕は麻痺したように動かずユーヴェの剣は怪物に迫り怪物の首筋に叩きつけられた。肉を容易く切り進んだユーヴェの剣は硬質な音を立てて首の骨に弾かれる。蹈鞴を踏んだ彼は踏みとどまり、再び剣を下ろす。しかし、ユーヴェの目に映ったのは切断された怪物の首では無く、遠ざかって行く怪物の姿だった。崩れ落ちたユーヴェの背中に瓦礫の白い粉がびっしりと付き、彼の視界が黒く染まりその後赤く染まる。怪物は真っ赤な世界の中を右腕のみで這って真っ直ぐ進んで来る。立ち上がったユーヴェは立ちくらみに膝を突く中、更に血の臭いが強まる。ユーヴェは剣を床へ寝かせ、ポーチから薬便と鏃を取り出す。薬便から一滴の液を取ったユーヴェは鏃の先端に垂らしその鏃を内太股に軽く突き刺した。鏃を引き抜くと傷口から煙が立ち二拍後に消える。その途端にユーヴェぼやけた視界と疲労も僅かに回復した。薬瓶とそこらに転がっていた石ころをポーチへしまったユーヴェは剣を拾い上げて怪物に向かって早歩きで進む。怪物は右腕を振り上げてユーヴェを待ち受ける。剣を構えたまま走り出したユーヴェはポーチから取り出した石ころを怪物に向かって投擲した。爆弾と勘違いした怪物の右腕が床を殴りつけて身体を転がし投擲物から距離を取る。既に回り込んでいたユーヴェは剣を振り上げて怪物へ全身の体重をかけて躍りかかった。怪物の右腕は転がった影響で大きな胴体の下に敷かれている。迫り来る剣に怪物が絶叫をあげ、剣は震える首を捉えた。切っ先が床に当たり、続いて怪物の生首が床を転がった。首筋から拍動に合わせて飛び出る血液の勢いが徐々に弱まりやがて止まった。ユーヴェが生首を引っつかみ疲労で重たい体を起こすと部屋の隅から男の泣き声が聞こえた。武器を拾い集めながらユーヴェは泣き声の方を見るとウラテュスがコイネーの生首を胸に抱えて涙を流していた。
「・・。」
開きかけた口を閉じたユーヴェは脱出のため、瓦礫の山へ近寄っていった。霊廟からは異界が去りうっすらと日の光が入り始めていた。
霊廟の崩壊は外にいたヤツーンの目にも映り、更には駐屯地で騒いでいた衛兵達が武器を手にする程だった。バスへイスは直ぐさま衛兵達を霊廟周辺へ送り早馬でべストールに連絡を送った。空っぽになった士官部屋に一人でうろうろと歩くバスへイスは天幕外に顔を出す。外には幾人かの屈強な護衛が不安げな視線を彼に向けていた。
「何をしている。お前らは案山子か?さっさと墓に迎え。」
バスへイスは大口を開けて命令を下し天幕へ戻る。そこでじっと外の護衛達が走り去るのを待ち、彼らが居なくなったことを確信したバスへイスは床を自分専用の衣類棚を開けると中には金属で精巧に作られた人間の脳と脳幹が入っていた。バスへイスは満面の笑みを浮かべて脳を手に取った。
「やはり人工脳は此処に来たか。異界には場所のズレがあるのだな。来期はこいつの研究を発表しよう。兎に角、私はやった。やったぞ。」
喜んだバスへイスは人工脳を片手に鏡の前で拳を振り上げたりおどけた表情を作ったり楽しんだ。踊る彼はふと鏡の前で立ち止まってしげしげと脳を見つめる。
「中味は性格の悪いやつだが、芸術品としては美しい。それに、この街は台所として名残惜しい。いつかは私も欲しいものだ」
ブツブツと呟くバスへイスの視界の外で人工脳の脳幹が微かに揺れた。
一方、ヤツーンを含め、墓に向かった衛兵団は霊廟を前に訓練で学んだ事を忘れ、棒立ちで集まっていた。恐怖で固まる彼等の幾人は更に崩落する建物の音で逃げ出した程だった。崩落を続ける霊廟内からこの世の物とは思えない咆吼が白み始めた空に轟いた。衛兵達が手に持った石弓や剣へ目を落とす。また一人と逃げ去って行く。残った者には今まで味わったことの無い異様でせり上がるような空気に圧倒されて呼び止める余裕が無かった。衛兵達が固唾を飲んで霊廟を見守る中、施錠された霊廟の扉が三度叩かれる。先頭に立ったヤツーンが振り返って仲間達の目を見るが、彼等は一斉に目を逸らした。
「こんな所でよぉ。畜生」
意を決したヤツーンが半目で恐る恐る馬を引いてきて荷台をずらし、扉の鍵を開けた。扉がゆっくりと押し開けられ血まみれのユーヴェが剣を怪物の生首を片手に掲げて衛兵達の目の前に現れた。怪物の顔は苦悶に溢れ、血走った眼球は天を仰ぎ、口端からは血の泡が零れている。
「これが魔術師なのか」
陽光に包まれたユーヴェに感嘆を漏らす衛兵達の一人が呟いた。ユーヴェは大股で一歩二歩と前で進み、彼らを見渡して問いかける。
「怪物は殺しました。私の馬はどちらですか。」
「あのう、こちらに。」
正気に返った衛兵の一人がユーヴェの馬を枝から外して引いてくる。馬を受け取ったユーヴェは怪物の頭を縄で包んで鞍の背に結んで一息吐き、馬へまたがった。
「ヤツーン殿、霊廟内に怪物の死体が残されているので、処理をお願いします。」
了承して背を向けたヤツーンへユーヴェは付け加えるように言う。
「霊廟内にウラテュスさんが居ります。彼には馬を与えて見逃してくれませんか。」
「ええ、私達の職務は魔術師様の支援は有りますがウラテュスの殺害など存在しません。馬も脱走した兵士が盗んでいったのでしょう。」
「ありがとうございます。では」
ユーヴェの言葉にヤツーンは明らかに安堵した様子を見せる。一人走り去っていくユーヴェを衛兵達は木偶人形のように見送り、ユーヴェが掲げた生首の悍ましさに震え上がっていたが、更に彼らは霊廟内の戦闘痕と巨大な怪物の体に驚愕するのだった。




