昼の墓所
暫く後、息を切らせたバスへイスが護衛も連れずにべストールの部屋へ飛び込んだ。丁度ユーヴェは本棚にある金表紙の本を手に取り、翻訳本を片手に読み進めていた。翻訳本は沈黙に耐えかねたべストールが彼に渡した物である。本の中身は植物学で、詳細な茎の断面や虫あるいは花びらからの色素抽出法について書かれていた。「怪物共が、民衆の興奮が、道の大混雑で」等の遅れた言い訳を垂れるバスへイスを尻目に名残惜しそうに本を閉じたユーヴェは本を戻そうとする。その様子を見た椅子からバスへイスが立ち上がり口を開いた。
「ユーヴェ。その本も翻訳本もやろう。だからさっさと怪物を殺してこい。黄金を用意して待っているぞ。」
手の平を振るべストールに礼を取ったユーヴェは二冊の本を小脇に抱えて額に汗を浮かべたバスへイスを通り過ぎ部屋から出た。慌てたバスへイスは礼をべストールに向かって取りユーヴェの後を追った。その様子はユーヴェも肩越しに見ており、彼は深い溜息をつく。廊下を歩くユーヴェの隣をバスへイスが並んで歩き、彼はユーヴェの顔を何度も窺っては正面を向いていた。
「何故、全員を捕らえたのか説明をお願いします。あの中には純血のリキュア人も居たはずです。」
口を開いたユーヴェは無表情であり、声色も落ち着いていた。その言葉に「ああ」と納得或いは思い出したような声をベスへイスはあげた。
「べストール様のお話しは聞きましたよね、都合が良いからです。それ以上の言葉が必要ですか?」
「いいえ。・・しかし、それではこの街の壁は薄すぎます。ところで、迎賓館の様子は如何ですか。」
無機質な靴音が小刻みに鳴る中、バスへイスはこめかみを撫でた後鼻を軽く摘まみ、ユーヴェの質問に答えた。
「私は反対したのですがべストール様の意見により、出入り口には兵士を総勢十五人付かせ、周囲には騎兵を八騎配置しました。お部屋の窓は全開でしたが、ご令嬢一人で何が出来ましょうか。それよりも大事なことが山ほど有るのに。」
「例えば薪探しですか。」
「戦が始まりますので鉄の回収ですね。ですが・・薪探しも良いですね。何度も穴を開けると良く燃えそうだ。まぁ、そろそろ怪物の話しをしましょう。これからどうします、魔術師殿。」
ユーヴェは間髪入れずに答える。
「先ずは香の準備をします。次にウラテュスと話しがしたいです。最後に、墓地へは私とウラテュスのみで入り、中で香を焚き退治を始めます。コイネーはどのような状態ですか?」
「外科的処置を施しました。手足の腱を切断した後、顎の骨を砕いて空気穴を取り付けた石棺に入れました。勿論止血はしております。」
そう言うとバスへイスは懐に入れておいた生温かい見取り図を広げた。見取り図には墓地の地上部と地下部が階層ごとにかき分けられ、コイネーの棺桶は地下二階の最も奥まった場所に置かれていた。
「成る程。怪物との対決は今夜にしましょう。伝説によると、深夜が最も異界とこの世が近づくとのことです。確実に守護霊が憑依出来るでしょう。日没前にコイネーの場所を地下一階のこの広間に移しましょう。私も下見として同行します。」
本部の玄関でバスへイスは小首をかしげユーヴェを見つめる。窓から漏れた日光が彼らの顔の半面を照らす。
「何故この広間に?」
「広く、太い柱が幾本も立っています。素早い憑依者との戦いに最も適した場所でしょう。私が地下へ入ったら扉を施錠してください。」
「暗闇で怪物が見えるのですか。」
「私には魔術があります。」
軽く頷いたバスへイスは扉を開けユーヴェに先を行くように促した。外には兵士達が二十人程待機していた。その中にはヤツーンもいた。ユーヴェの馬車周りを守っていた衛兵達が笑みをユーヴェに向ける。ユーヴェは笑顔で彼らに応じ馬車の御者台に乗り込んだ。暫く考え込んだ後バスへイスは扉に手をかけたまま思いついた質問をユーヴェに投げかけた。
「何時まで扉を閉じましょうか。」
「日が昇ったら開けてください。もし、私が殺されていたら怪物が扉を破壊して出て来るでしょう。」
ユーヴェの言葉がわかる者は不安げな視線を彼へ向ける。
「そうしたら?」
バスへイスが言い辛そうに尋ねるとユーヴェは投げやりに答えた。
「皆さんで、頑張ってください。」
ユーヴェはそう言うなり馬車を道路に出し始め、先導役の衛兵が慌てて馬に乗って誘導を始めた。
街中は相も変わらず込み入っていたが、衛兵が両頬を膨らませて笛を鳴らした途端に道路へ真っ直ぐな一本道が出来上がった。燻された死体の煙を割ってユーヴェ達一行は街の門へ進む。なだらかな道を進んで門にたどり着いたユーヴェ達はその場でとまり、下馬したバスへイスが門の兵士に手続きを取っていると一人の子供が彼らの側で歩みを止めた。彼の金髪の毛髪はひよこの産毛のようで、顔の真ん中に並んだ真っ黒な目がユーヴェを見つめていた。彼はかがみ込んで石ころを拾う。ユーヴェは横目にその子供を見、目線を書類に署名をしているバスへイスにくれた。子供の腕が上がる。その様子にユーヴェは手綱を操ってやや前に馬車を進ませると。くぐもった馬車の幌を叩く鈍い音が鳴り、石の転がる軽い音が続く。ユーヴェの周囲にいた衛兵達はわざとらしく怒りその中の一人が馬から飛び降りて石を投げた子供をしこたま殴りつけていた。衛兵はユーヴェと目が合うと薄ら笑みを浮かべたまま頭を何度も下げた。ユーヴェは軽く会釈を彼らに返し子供へ目をやると血まみれで子供はぐったりと倒れ、僅かに胸が上下する。血に拳が濡れた衛兵が先程の衛兵達と同じく薄ら笑いを浮かべてユーヴェを見つめ、しかしながらその衛兵の笑みは他の衛兵のものと異なる。彼の口角が上がり、充血した目は半月型に細められ、半開きの唇はめくれ上がって赤いイチゴ鼻にくっつき、息は鳩のように荒い。加虐的欲求を満たしたその男はリキュア人の中で今、最も幸福だった。
子供の胸が静かに止まる。撲殺された子供の死体から目をそらし、まぶたを閉じたユーヴェの口からはため息すら出なかった。唇を強く合わせたユーヴェは静かに鼻で呼吸する。生乾きのようなすえた臭いに火あぶりの臭い、肌には熱気と怒気すら感じさせる張り詰めた空気が打ち付けられた。ユーヴェは見ようとしていなかった世界を漸く理解し、閉じられたまぶたの中で受け入れた。彼がまぶたを開けると丁度手続きを終えたバスへイスが無言でユーヴェ達に加わり、バスへイスはこめかみを撫で先頭の衛兵に合図を送ると一行は門を抜けて昼下がりの砂利道を進み始めた。路上の石は陽光に照らされくっきりとした影を側に落とす。側には丈の低い牧草がまばらに茂り殺風景な光景を眺めたユーヴェには草の緑色すら目に入らず、色を失った世界に見えた。代わり映えの無い草と石ころが続きやや太陽が下がって来ると、風が強まり、青い天幕がユーヴェの目に入ってきた。バスへイスは馬をユーヴェの馬車に寄せて吹き抜ける風に逆らって大声で言う。
「そろそろ駐屯地です。あの拠点から北に一刻ほど馬を走らせると墓地です。」
「先ずは墓地に向かいましょう。憑依先の移動と棺桶に爆弾を詰めたいです。」
ユーヴェもバスへイスの声に負けず劣らず声を張り上げた。
「承知しました。ですが、崩落しないようにお願いしますよ。」
「勿論ですとも。」
笑みを貼り付けたバスへイスはリキュア語で衛兵達に命令を下した。
墓地には小さな霊廟が建ち並び、その側には木製板状の札が所々に突き刺さっていた。また、霊廟群の中央からはひときわ大きく白い屋根が見える。バスへイスを含めた衛兵達は墓地の手前で馬を止め黙礼を捧げ、ユーヴェも彼らをまねて黙礼を捧げ、黙礼を終えて再び馬を走らせた衛兵達に続いた。墓地は中央を通る大きな道とそこから広がる細い横道で構成され、大きな道はひときわ大きな霊廟まで続いていた。大霊廟の前には馬車用の円形広間が設けられユーヴェは道に沿って馬車を停車させ荷台から荷物を下ろし始めた。
「魔術師殿、我々は一足先に奥へ行って餌、憑依先を持ってきます。」
「よろしくお願いします。」
顔を寄せてきたバスへイスの言葉に努めて朗らかに答えたユーヴェは黙々と作業を続ける。火薬、金属弾、胸の薬室と連動した魔術爆弾、射出機等を取り出し腰のポーチや腰にぶら下げる。続いて荷台から木箱を引き出して地面に置く。ユーヴェは片膝を突いて屈み、蓋を開けてレバーが一本取り付けられた上腕程の長さの肩掛け紐が付いた棒を一本取り出した。彼は内部を覗き込みながら中のバネを指で押してヘタリを確かめてから地面にゆっくりと置く。更にユーヴェは同じ木箱から楕円形の赤い筒を三つ取り出すとそれぞれ中を覗き込んだ。筒の内部にはボトルを差し込む穴、八つの四角い重り、丁寧に幾重にも折り畳まれた綱が入っていた。ユーヴェは綱のあちこちを触ってほつれを確認し、一つを黒い筒の先端に取り付け、残り二つを太股にぶら下げる。立ち上がったユーヴェは肩のポケットに鏃を二本入れ軽く肩を回して鎧と装備の干渉を確認していると霊廟の奥から現れたバスへイスが彼へ呼びかけた。
「魔術師殿、移動完了しました。」
「直ぐに参ります。」
ユーヴェは背負い物を拾い上げて小走りに霊廟の中へ入っていった。バスへイスからの案内を受けながらユーヴェは内部を観察していた。内部は地図通りであったがくぼみの至る所に髑髏が詰め込まれており、入りきらなかった大腿骨等はへし折られてカビ臭い床に転がっていた。
「墓に由緒なんて有りませんよ。此処は異教徒の墓ですからね。」
「では、貴方は何処に眠るのですか?」
「色々です。畑に入る者もいれば腹に入る者もいます。魔術師殿には理解できないでしょうが、それが我々の絆なんですよ。血になって皆を生かすのです。バスへイスの肉もきっと役に立つでしょう。」
「・・。」
地下は真っ暗でバスへイスのカンテラとユーヴェのランタンだけが先を僅かばかり照らし、衛兵達が残したチョークの印と地図しか頼りは無かった。複雑な通路を進むと大きな広間に二人は出た。広間の中央には石棺が置かれ、その周りにはカンテラ灯りが幾つかと微かな呻き声が聞こえる。ユーヴェは石棺をのぞき込んで中の魚人を観察した。美しかった彼女の顔は原形を留めておらず、呼吸に揺れる頭、目玉は片方がほじくり出され、残った目は涙に濡れて世話しなく周囲を見渡していた。背負い物から爆弾を四つ取り出したユーヴェは爆弾を彼女の口、胸、両足に取り付けた。
「さあ、閉めて下さい。」
「もっと爆弾を詰めては?爆殺しましょう。」
カンテラを持ったヤツーンが石棺の蓋を指さしたユーヴェに尋ねる。
「残念ながら不可能です。憑依された瞬間、肉体の変異と修復が始まります。その間に肉体へ大砲を撃った記録がありますが、復活したそうです。この爆弾の役目は時間稼ぎです。」
納得したヤツーンは頷き他の衛兵達に早口のリキュア語で幾つか話した。彼らを尻目にバスへイスはユーヴェに尋ねた。
「さて、次は香でしたね?」
「はい。地下二階の下見を済ませてから香を焚きましょう。その後はウラテュスです。」
ユーヴェは背負い物を下ろし香木と真鍮製の吊し香炉を取り出し準備を始めた。




