脳の在処
ユーヴェの馬車とバスヘイスおよび彼の部下達の馬がボロボロのウラテュスの部屋が有る三階建ての家に到着する頃、太陽は空を真っ直ぐ登り丁度昼だった。
「ユーヴェさんあちらの広場に馬車を停めて下さい。部下に見張らせます。」
下馬したバスヘイスは陽射しに目を細めながらやや奥まった位置にある円形道路を指差した。彼は戦闘用の金属靴を履いており、日の光で鈍く輝いていた。ユーヴェは馬車を道路へ停め、彼の馬車をバスヘイスの部下が見張る。馬車の荷台から背負い物を引き出したユーヴェは中身を確認しながらバスヘイスへ歩み寄り彼に尋ねた。
「家には煙突が無い様子ですが、出店は火を扱っていましたね。冬はどの様に越しているのでしょうか?」
ユーヴェの質問にバスヘイスは薄く笑うだけだった。彼は平手をウラテュスの部屋の扉へ
向ける。
「そんなことよりも、あちらにウラテュスの借りた部屋が有ります。さ、行きましょう。馬車は部下が守ります。彼らに出来ることはそれくらいですがね。安心して下さい、命令が無ければあくびも盗みもしませんよ。それにしてもユーヴェ殿は短槍も使われるのですね。」
「これは銃です。頼りになる良い武器ですよ。」
ユーヴェの答えに頼もしさを感じたバスへイスは満足げに前を向き大通りをかすめるように通って二人は家の前に立つ。三階に上がった二人の影は薄板の扉に落ち、赤から桃色へ退色した扉のささくれが浮き上がった。
「ここがウラテュスの賃貸です。どうにも、俳優が王都から越してここに来るとは。」
首を振ったバスヘイスは力いっぱい扉を蹴りつけた。金属製の戦闘靴は扉を縦に二つに割り、蝶番から僅かに残った扉がユーヴェ達に向かって開き、残りは歪んだ鍵を支点に部屋の中へ倒れる。ユーヴェが目を細めてバスヘイスを睨み付けると、扉を蹴った彼は憮然として言う。
「これが鍵です、聞いておりませんでしたか?アリネイエ様からウラテュスを刺激しないように命令が下されておりまして。鍵も押収出来ませんでした。それに加えて此処の大家は釣りが好きでして、魚籠と竿を片手にミミズ探し。仕方が無い事です。」
ユーヴェは額に汗を滲ませて鼻の穴を広げるバスヘイスを素通りしてベッドへ近寄った。
「黒髪。王国人だな。」
枕には抜け毛が幾らか付いていた。ユーヴェはせっせと髪を残らず拾い集めて瓶へしまい込んだ。部屋を見回したユーヴェは続いて壁へ備え付けられた衣類棚を開けて中を漁る。中の上段には下着や正装が丁寧に納められており、下段には牛皮であつらえられた遠出用の上等な鞄が二つ並べて置かれていた。
「若草色と桃色。片方は婦人用だ。」
桃色の鞄には細い鎖が留め金から垂れ下がっている。ユーヴェは桃色の肩紐に着いた毛へ見つけた。
「長い。これも黒だ。」
髪の毛を空の瓶へ入れたユーヴェは二つの鞄どちらともを開くと中には大きな金貨が二枚、大きな銀貨が八枚、小さな銀貨が五枚入った袋がそれぞれ衣類に紛れて入っていた。
「これだけあれば西方の諸外国まで出られたはずだ。」
ユーヴェは背後のバスヘイスへ尋ねる。
「バスヘイス殿はウラテュスさんがこの街へ移住した経緯をご存知ですか?」
「ええ、印を押したのは私ですからね。貴方が知りたいことはわかりますよ、本当に彼は独り身でした。それは死んだ奥さんの物だとか。びっくりすると思いますが彼は四十台なんですよ。若作りですよね。」
「・・ありがとうございます。他に二点お伺いしたいです。」
ユーヴェは立ち上がりバスヘイスと向き合う。やや見上げるバスヘイスは一歩近づいて来たユーヴェから頷きながら一歩下がる。ユーヴェは壊れた扉から見える烏の影へ視線を向けたまま話す。
「死んだ人物はリキュア人でしたか?」
「そうですね。純血です。」
ユーヴェは肩から空気銃を外して蓄気を始める。バスへイスが疑問を口にする前にユーヴェは口を開いた。
「次に王都から越した人物は他に居ますか?」
「居ますよ。殆どが俳優か女優で、ありがたいことに既に家庭を築いている人も何人か。最近だとコイネーですね。花形女優だったのに、この街は芸術の街になりそうで楽しみです。ユーヴェ殿もここに住まれては?」
「遠慮します。定住した魔術師は怪物狩りに失敗しますので。」
手揉みするバスへイスの提案をすげなく断ったユーヴェに更にバスへイスは身を乗り出して言葉をかけた。
「私はユーヴェ殿を誤解しておりました。べストール様から三つの方法について聞きました、貴方は人名も優先されるのですね。」
「無駄な死を避けるためです。第一の方法には続きがあります。追放後に絡繰りあるいは魔術を用いて島流しなどによって無人地帯に送られた彼らを爆殺するのです。」
「第三の方法が上手く行けば被害は変わりませんよね?頭数の話しですが、流石に働き手が殺されるのは痛いですよね。だから老婆なんでしょう。」
ユーヴェの答えに小首をかしげるバスへイスの言葉にユーヴェは半身で戸口へ近づきながら答える。
「無人の都市から発見された魔術師の記録によると、第三の方法では生贄となる血族の選出によって付き纏われている人物が自殺する事件が過去にあったそうです。」
そう言ったユーヴェは戸口に身を乗り出し空気銃を構えると、怯えた様子で鍵束を持ったまま両手をあげる老人が立っていた。彼の靴には泥で汚れ、足元には魚籠が転がっていた。ユーヴェは引き金を引く。鏃は老人へ真っ直ぐに飛んだが、老人の体は無く一匹の黒猫が街中へ駆けて行き、鏃は空を切って街中へ吸い込まれる。ユーヴェはバスへイスを置き去りに走り出した。昼の日差しに目を細めたユーヴェは戸口の階段から大通りへ飛び降り、通りを走る馬車の屋根へ着地した。猫は素早く蛇行し建物の隙間に入っていく。ユーヴェは馬車から飛び降りて猫を追って走り、空気銃の先端を綱の付いた鉤を取り付けた。急いでレバーを何度も引いて蓄気したユーヴェは正面の建物を見上げた。ユーヴェは見上げたまま四階ほど有る背の高い飲み場の屋根に向かって引き金を引いて屋根へ鉤を引っ掛けた。屋根から垂れる綱を強く引っ張ってしっかりと綱を張ったユーヴェは胸に取り付けられた魔術具の五つ有る薬室の一つを押した。ユーヴェの体は素早く持ち上げられ彼は屋根に取り付く。階下では野次馬達がユーヴェを見て騒ぎ、子供は走り回ってはしゃぐ。屋根に敷かれた石板を走りかすかに見える黒猫を追うユーヴェはポーチから鏃を取り出し猫へ投げ付ける。一本、二本と外れ三本目が猫の背中に命中する。蛇行する猫は流血しながら死に物狂いで走り徐々にユーヴェから距離を離す。遂には白と青で彩られた建物、ウラテュスの勤め先である劇場の二階へ窓を突き破って入っていった。後を追うユーヴェは隣り合った宿屋の屋根から劇場のテラスへ飛び移る。テラスには煙草を真っ白な陶器のパイプで吸う女優が三人ほど居り、彼女らはユーヴェを遠巻きに見つめる。ユーヴェは彼女達を意に介さず割れた窓へ駆け寄った。廊下に敷かれた安物の橙色の絨毯には鮮やかな赤の血が大量にこびりついていた。
「足跡か。猫の物が続き・・」
かがみ込んで足跡を観察するユーヴェはポーチから一本の薬瓶を取り出して中身を呷る。一滴残らず薬液を飲み干した彼の耳は研ぎ澄まされ、一階でカップを置く音やチケットを裁断する音をとらえる。転々と続く足跡は二部屋過ぎると靴裏の溝に変わり、微かな喘鳴が突き当たりの開け放たれた部屋から聞こえる。ユーヴェはポーチから車輪が三対取り付けられた手のひら程の箱を取り出して蓋を外すと球状のガラス玉がはめ込まれていた。胸の薬室を一つ押し込んだユーヴェは箱をやや強く押した。箱は廊下の突き当たりまでちょうど転がり、彼は背中に取り付けられたポーチから小さな鏡を取り出した。鏡には突き当たりの部屋が移り仰向けに倒れている男の姿が映し出されていた。
「道中で組んだが上手く出来たようだ。」
ネレイエを思い浮かべたユーヴェは微かに笑みを浮かべたが男を映す鏡を前に直ぐに仏頂面になる。彼は腰の剣を鞘から右手で抜き放ち、左手には鏡を握りしめ周囲を警戒しつつ突き当たりまで歩く。突き当たりまで来たユーヴェは鏡を確認した後、部屋の中へ剣を前に飛び出した。突き出された切っ先は倒れた男の喉に覆い被さるように貼り付いた。
「お前は人工脳を狙っているのか?」
ユーヴェは静かに男へ尋ねる。男は唇を震わせ小さな声で返事を返すも吐息が強く不明瞭で聞き取れず、暫くユーヴェは耳を澄ませていた。尚も不明瞭な吐息が続き、一言。
「人間野郎めが・・」
「お前を使い魔にした方が良さそうだ。そうすれば、お前は何に変わるかな?」
しびれを切らしたユーヴェの言葉に男の吐息が強くなる。ユーヴェの剣が上下する男の胸に当てられ僅かに差し込まれた。溢れ出た血に男の吐息は更に激しくなり、ようやく言葉を発した。
「お前は騙されている。あいつは脳を何処へやったと言った。」
「奪われたと。」
ユーヴェの返答に男はせせら笑う。
「違う。あいつは自分の脳を異界へ隠しやがった。俺の仕事はそいつをかっさらうことだったが、そうかあんただったのか。事情は知っているだろう。レムノスから逃げるあいつは本体を囮に脳を守護霊に襲わせた。まぁ、レムノスは未だにあんただと気付いていないが、狙われるのは時間の問題だろう。気を付ける事だ。」
「お前を殺す。使い魔に変えて同じ内容を聞き出す。真実であれば街の外に墓を作ろう。」
「この人間野郎が。」
「お前も人間の姿だが、何か思い入れがあるのか。」
「美味い葡萄酒の粘土印や紙ラベルは取っておくだろう。それと同」
ユーヴェの剣は男の胸を深く突き刺し、捻りながら引き抜いた。男は息絶え体は液状に溶け出す。急ぎユーヴェは背負い物を下ろし、その場で男を使い魔へ変えて同じ質問を行ったが全く同じ返答であり、キュウリコスでオーグを通じてギブリスが語ったレムノスの計画についても同様の返答だった。そして最後にユーヴェは崩壊する使い魔へ尋ねる。
「お前と同じ目的の怪物はこの街に来ているのか。」
「一体。俺の兄弟。」
「何に化けている。」
「此処に、いる。」
床を軽く叩いた使い魔は力を使い果たし、その体は崩壊して床へ力なく広がる。異臭を放ち、流れる肉汁は床を伝いユーヴェの靴を濡らした。




