森の怪物
ユーヴェがキュウリコスを経ってから八日後、王都王宮、王太子の執務室にて。赤色の厚手の正装を纏った王太子レムノスは美しい執務机を前に藍色の手袋をはめた手で封筒の束を仕切に探っていた。机の右手側には書き物用のインク入れと細いアルミニウムのペン、左手には繊細な造りの底が深い銀杯が置かれており、杯には深みのある葡萄酒がなみなみに注がれていた。背後、窓際には青い目玉の老人が正装で立っている。伸びをしたレムノスは机に置かれた杯へ顔を近づけて中身をすすろうとすると扉が叩かれた。杯へ近づけた顔を引っ込めたレムノスは笑顔を浮かべて背後の老人へ目をやると、老人は扉横の小窓へ近づき外の近衛と二三度言葉を交わす。
「王太子殿下、王宮魔術師長エレディウス殿とのお約束のお時間です。」
「ボルティウス、杯を机へ一つ、葡萄酒をなみなみと。」
巻き舌気味に話す青い目玉のボルティウスはレムノスの王国式礼を取り短く御意と答え、執務机へ杯を置き部屋奥から取り出した葡萄酒を引き出してラベルをレムノスへ見せる。レムノスは笑みを浮かべたまま頷き手元にある自分の杯へ顔を近づけて入った葡萄酒を静かに飲んだ。部屋の準備を整えた後、二人の近衛と共に正装のエレディウスが姿を見せた。近衛は深い礼を取り部屋を退出し、エレディウスは近衛の退出を待って王国式礼を取った。レムノスは満面の笑みで彼へ二つの杯以外何も置かれていない机の上で手を組んで言葉をかけた。
「王宮魔術師長エレディウスよ、先ずはねぎらいたい。我が国、王宮魔術師たちへ。」
藍色の手袋が杯の足を握り軽く傾けた。エレディウスは机へ歩み寄り手前の杯を受け取りレムノスに習って杯を傾けた。葡萄酒を喉へ流した二人は杯を机へ置き向かい合う。
「王はどちらに?」
「それも伝えたい事の一つだ。我が父は演説をしに五万の軍を率いて西方の戦線へ赴いたのだ。私はその間、父の代理として此処を任されている。」
レムノスの返答に思案を巡らせたエレディウスは短く言葉を返す。
「急な話です。」
「状況が変わったのだ。」
「・・。」
エレディウスは沈黙し、レムノスは一口葡萄酒を静かに飲んだ。エレディウスは右手の親指と中指を擦るボルティウスをさりげなく見て、目は遠くを見つめるレムノスへ戻る。
「あの近衛は四六時中部屋厚い扉の前に立っている。役職高き人間を扉の前に待たせるのが快感らしい。」
「・・。」
沈黙を続けるエレディウスを見つめたレムノスは鼻を鳴らして首を振り、満面の笑みで静かに言葉を続けた。
「生皮を剥いで犬に食わせてやりたいが、あれも資源だ。私の忍耐力には自讃する。・・それで我が国の被害はどれ程把握できた?定期的な報告では把握できない全体的な意見があるだろう。」
「南方の穀物地帯への被害は全くありませんでしたが、人間もろともに焼失した村々があり十年は労働力不足が懸念されます。また、間接的な被害ですが、人間が森へ移住した影響と思われますが、街や街道において怪物による被害が増加傾向にあります。」
レムノスの問へエレディウスは両手を胸の前で水平に並べ臍まで下ろす。その動作を見たレムノスは鼻で笑い口を開いた。
「捨ておけ、街は今が飽和状態だ。連中の幾らかは異国へ移民させる。怪物は魔術師が殺すだろう。」
「奴隷を渡すようなものだと思われます。」
「最早、人間を繋ぐのは都市か己自身だろう。」
「・・火炎魔術は異国も焼き尽くしたと。」
「異国が焼き尽くされた。誰だかは知らないが、領域国家が大陸国家になるのだ。その魔術師には勲章を与えよう。そう思わないか?」
「・・尤もです。」
エレディウスは杯をのぞき込んだレムノスの頭頂部を見詰める。そこで、レムノスは顔を上げ、片腕を青い目玉のボルティウスへ向けた。
「さて、王宮魔術師長へ紹介したい人物がいる。子飼いの魔術師ボルティウスだ。視界が広くて重宝している。彼と協力し引き続き国内の影響調査を進めて欲しい。」
青い目玉のボルティウスがエレディウスへ礼を取りエレディウスも礼を返す。二人の様子を見たレムノスは満足げに頷きエレディウスへ尋ねた。
「ところで、願い箱の調査は進んでいるのか?」
「石の産地から推察されるに、あれは北方伝統の石棺です。時期としては今から約六百年前の意匠でしょう。」
「ただの石ころか。」
「ただの石ころではありません。石の切り口や棺と蓋の隙間が全く無く、魔術的に再現された石棺であると考えられます。」
「成る程、それは面白い。ボルティウス、お前は何だと思う。」
レムノスは片肘を太股へ乗せて身を乗り出してボルティウスへ顔を向けた。
「中身は想像する他ありません。ですが、願いをかけた人間は北方の文化に明るいようですな。願いはロイで叶えられたものでは無い、或いは過去に何度か叶えられた願いの一つかもしれません。エレディウス殿は中身を捜索されたのでしょう?」
ボルティウスの言葉と歪んだ青い眼光を向けられたエレディウスは深く頷き、レムノスへ視線をやった。レムノスは杯を傾けておりチラリと二人を窺っている。ボルティウスも左目でエレディウスを見たまま、右目のみを動かしてレムノスを見つめる。レムノスは杯を飲み干して立ち上がり、小さく息を吐いてから口を開いた。
「願い箱についての調査を打ち切る。火炎魔術を行使した魔術師の発見を急げ。計画の仔細はボルティウスと相談して決めろ。結果を持って来い。」
溌剌と話すレムノスは更に深く笑顔を浮かべ、ボルティウスとエレディウスは王国式礼を彼へ取り了承を示した。
一方その頃、ユーヴェは馬車を引いて街道を真っ直ぐに進んでいた。道は先日の雨でぬかるみ、雨上がりの後、いくつもの轍が明瞭に残っていた。街道は森を切り開くように敷かれ、両脇からは細い枝と太い幹を持った杉の森が広がっていた。青く尖った葉が木漏れ日を作り、白い馬車の幌を斑に照らす。ユーヴェの手には焼きたての薄いパンが丸めて握られ、中には干し肉と薬草が詰め込まれていた。木漏れ日に照らされた街道には青葉が転がっていたが突然、赤い跡が転々と現れ始め、次第に後は大きく成る。パンを急いで食ったユーヴェは一口葡萄酒を飲んで馬車を走らせた。揺れる馬車は森を抜けると朝日に照らされた平原が姿を見せた。
「轍が街道から逸れている。」
馬車を停めたユーヴェは荷台から鳥を放ち、荷台から鏡を取り出しておおいを外す。鏡には空から見下ろされ、緑の杉の森林地帯が一帯に広がっており、所々烏が木へたかっている。呼び笛を鳴らして鳥を馬車へ戻したユーヴェは鳥へ合図を送った後、背負い物と武器を身に付けて馬車から降りた。ユーヴェは空気銃の先端へ鏃を取り付けながら轍の跡を追う。くっきりと残った轍は奥まった森へ続いていた。森の入り口には馬の死体が一頭転がり、肌が青紫色に変色していた。ユーヴェは轍から僅かに逸れた草地へ転がる馬の死体へ屈み込み、寄ってくる蠅を払いながら死体を観察した。指の欠けた左手が馬の長い頭を持ち上げる。
「後頭部から咽頭部に掛けて真円状に穴が空いている。・・嘴か。」
ユーヴェの視線が馬の背と腹へ向かう。馬の背には脇腹を覆うほどの大きな四本の爪痕が残り、腹は破け長い腸がとぐろを巻いていた。
「腹は死後に破れた。並んだ四本の爪痕か。」
立ち上がったユーヴェは空気銃を肩へかけ、腰の射出機を引き抜き、爆弾を込めて森へ入り込んだ。間もなく轍の飛び出した木の根で車軸が壊れたためか横転した馬車が横倒しに転がっていた。側の木は枝が折れて明るい茶と赤黒い木片が散らばっており、木片へ付着した血は滲み土に混じって血を染めている。馬車からこぼれ落ちた宝石箱や見事な衣装は土に塗れ見る影も無い。一際太い幹には馬の体に刻まれていたような深い四つに並んだ爪痕が縦にいくつも重なり、根元には紐のほどけた黒い革靴が片方だけ尖った青葉に塗れて転がっていた。
「樹上を移動するするのか。幹の傷跡からすると片腕と爪先でよじ登っている。嘴鬼か。大きさからしてかなり年を重ねている。」
そう呟いたユーヴェは背負い物を降ろし中から一本の中が満たされた瓶を取り出してポーチへ納め、再び背負い物を背負って新しく落葉した葉を辿って森を進む。暫く小射出機を構えて枝を踏み割って進むと、ユーヴェの耳へ爆発音が聞こえた。ユーヴェは森を駆ける。続いて三度発砲音が鳴り、その後二度爆弾が爆発する熱気と音がユーヴェの元に届いた。ユーヴェが到着すると、焦げた木片やそげた肉片が転がる中に一人の男がしゃがみ込みポーチを探っていた。ユーヴェは丸く陥没した幹へ手を這わせながら男へ歩み寄る。
「お前も嘴鬼を追っていたのか?オンエライの街長はそんな事を言っていなかったが。」
男は立ち上がりユーヴェへ向き合う。男の右肩は裂け鎖帷子の上に重ねられた茶色の外套から血が滲んでいる。
「私は魔術師ユーヴェです。轍の跡から辿って来ました。手助けは必要ですか?」
ユーヴェの提案に男は
「イエリア王宮魔術師のような話し方だが、そうかあんたがあの吸血鬼殺しか。俺は魔術師ファウヌスだ。報酬は折半になるが・・手助けは欲しい。治療薬のせいで右手に上手く力が入らない。」
頷いたユーヴェは短く案内をとファウヌスを促すと、ファウヌスは森の北側へ顎をしゃくり小走りに進める
「探知魔術と鼠の目によると怪物は住み家へ逃げ帰ったようだ。かなりの高齢で女の肉が好物らしい。」
「誰が襲われました?」
「最近になって街道へ姿を見せたと街長が言っていた。被害者は豪族の娘や商家令嬢、全員嫁入りの途中で襲われたらしい。森の至る所に馬車があることから真実だろう。それ以前は農村部の人間を片端から食っていたと推察される。」
「成る程。魔術師は?」
「恐らく一人だ。」
「成る程。」
会話を続ける二人の目の前に木の洞のような洞窟が見えてくる。腰へランタンを下げた二人は灯りを灯してユーヴェを先頭に中へ進む。警戒しながら進むユーヴェの手には二丁の短銃が握られ背後のファウヌスは左手に剣を握り締めて視線を辺りへ走らせている。洞窟の中は腐敗臭と糞臭いが漂い、ファウヌスはその臭いに眉をひそめると洞窟の奥から細い声が聞こえて来た。はっきりとしない声は意味の取れない言語のようで会話をしているように交互に話す。やや広い空間へユーヴェ達が出ると声はピタリと止む。床にはぎっしりと骨や貴金属が詰められており、膝までの高さはある。ファウヌスは息を潜めて手袋のズレを直し、剣をしっかりと握り直す。
「床だ、来るぞ。」
ユーヴェの声にファウヌスは盛り上がる床から後退り剣を構え、ユーヴェは盛り上がる床へ引き金を引いた。弾丸は床を弾き、骨片が舞う。揺れたランタンが洞窟内を照らし出す。真っ白なドレスを纏った怪物が血まみれの尖った歯を剥き出しに嘴のような左腕を持ち上げてファウヌスへ躍りかかっていた。怪物の太股はカエルのように筋肉質でかかとが長い。ヌメリ気のある長い髪の毛が纏わり付いた瓢箪のような頭部、その顎には縄のような筋肉がびっしりと覆っていた。樽のような膨らんだ腹には斑にケロイド状の火傷が広がり、体を覆う脂肪層が波打つ。ユーヴェはもう一丁の銃を引き抜いて怪物の太股を狙う。ファウヌスは背後へ飛び退きながらロングソードで嘴のような左腕を打ち据える。狙いが逸れた腕は床を打ち抜き、転がる骨が乾いた音を立てて叩き割られる。ファウヌスは返す刃を振るうが怪物は天井へ飛び跳ねて避け、後方へ下がった。二者の攻防を見ていたユーヴェは着地する怪物目がけて爆弾を撃ち込んだ。洞窟内が昼間のように明るくなり、鼻をつく肉の焦げる臭いが漂う。ユーヴェは射出機へ爆弾を込めながらファウヌスへ問う。
「剣は。」
「使える。」
煙の中から怪物が金色の目玉を回しユーヴェに向かって飛び出す。真っ黒に汚れた怪物の体は熱によって収縮したためかひび割れ、隙間からは赤い鮮血が零れ、瓢箪のような頭には血管が浮き出ていた。ユーヴェは射出機の引き金を引き、爆弾を打ち出す。怪物は爆弾をかいくぐりユーヴェへ飛びかかる。怪物にはユーヴェしか見えていなかった。ファウヌスは飛ぶ怪物の左横腹へ爆弾を投擲し、炸裂した爆弾は怪物の左腕を千切り取った。怪物の体は洞窟の壁面へ叩き付けられ、朦朧とする怪物へ剣を引き抜いたユーヴェとファウヌスが駆け寄る。ファウヌスの一撃が怪物の腹を割きユーヴェの一撃が脚の剣を切り裂く。怪物は右腕を振り回す。二人の魔術師は身を引いて躱し、打ち寄せる波のように怪物を斬りつける。それが何度も繰り返される。怪物は傷つき動きは鈍くなる。魔術師達は血まみれの剣を構え次々と斬りつけ、遂に怪物の首をファウヌスが刎ねた。




