新世界の怪物
ユーヴェは鏡を片手に細い路地裏へ飛び込んだ。鏡には真っ黒な噴煙が立ち上り、灰を含んだ煙が通りへ流れ出す。ユーヴェ達は力強くゴミだらけの石畳を蹴りつけて駆け出す。靴底と金属塊が石を叩く鈍い音が建物の間を反響する。ユーヴェは目を左右へ走らせていると背後の足音が消えた。薄汚れたアパートの壁へ背をこすりつけながら移動するユーヴェは振り返ると、オーグが棒立ちに立ち止まり空を仰いでいた。
「オーグ。急ぐぞ。」
声を潜めたユーヴェの声はオーグに届かない。ユーヴェが背を預けるアパートの壁の中から子供の啜り泣く声が聞こえる。
「・・。」
ユーヴェはじっとオーグを見つめながら腰から射出機を取り出して金属線が生えた魔術具を取り付けた。
「オーグ。」
ユーヴェの呼びかけに応じるように特有のからくり音を立ててオーグの右腕が持ち上がり始めた。その手には巨銃が握られている。ユーヴェは射出機の引き金を引いた。射出された魔術具はオーグの頭部へ当たり、オーグの巨体は小刻みに痙攣する。巨銃の引き金が引かれて石畳を銃弾が砕き、巨体は煙を吹き出して路地へ倒れた。銀色の脚には丸まった版画絵が纏わり付く。射出機へ爆弾を詰めようとユーヴェは腰のポーチをまさぐったが、ふと視線がアパートの壁を映す。腰の銃と射出機を取り替えたユーヴェは撃鉄を左手で起こし倒れたオーグの元へ向かった。
『親になんてことをするんだ。継ぎ接ぎで動かし難いじゃ無いか。』
オーグの頭部から機械音声が鳴った。その音声は上ずり、口角が上がっているような話し方だった。
『驚いているのか?まさか、人造人間の人工脳を開いたことが無い?』
「・・。」
『無視をするなよ。やっと、お前と会話が出来る。聞かせたくてたまらない事があるんだ。』
ユーヴェは沈黙したまま屈んでオーグの頭部を剥がすと、中には黒くて薄い箱が幾層にも重なり、中央には透明な容器があった。その容器に入った膜が震える。
『人造人間の人工脳に使われている物は素体の骨。この木偶の制御にも同じモノが必要になる。』
ユーヴェ手が銃を固く握りしめて撃鉄を起こす。
『パンは旨かったか?』
指の欠けた左手へユーヴェは目を落とし、ゆっくりと拳が握られ、彼の視界はチカチカと点滅しする。横たわるオーグの脳だけがユーヴェの目にはくっきりと浮き上がっていた。
『敗者は勝者に運命を決められ。勝者は敗者を歴史にする。そこらの犬ころ共にも意味がある。飲んだくれて倒れる男、干からびた母の乳房をしゃぶる髑髏のような赤ん坊、子供を売る女、求めるだけの屑共で有ったとしても。産まれて、今日この日まで存在してきたんだ。それで獲物たり得る。怪物の死体を積み上げてきたお前だってそうじゃ無いか。お前がデュイデスを追っている意味もそうだろう?』
「台本でも読んでいるのか?」
深呼吸をしたユーヴェは声を抑えて言った。直ぐさま膜が震える。
『いいや、架空の人間を追って、時間を無駄にした間抜けを嘲り、お前は人間に夢を見ていると語っているだけだ。』
「・・。」
ユーヴェの沈黙を鼻で笑う膜が規則的に揺れ言葉を紡ぐ。
『炎だ。』
「・・。」
『それによって計画は遅れてしまったが、これから数百年後、怪物は全て消える。怪物を殺すお前の戦いは無意味だ。』
「ここに怪物はいる。」
ユーヴェの目は据わり、その様子に膜はため息を漏らす。その後、膜からは呆れ声が震え聞こえる。
『お前が追っている奴は怪物では無い。あれは未来の人間だ。複数回接種は必須だが、青い血を触媒にした魔術薬液によっていずれ人間側も代を重ねればあれに至る。私達は人間種のみならずあらゆる種を強化したのだ。』
「怪物はお前だ。」
ユーヴェが膜へ言葉を投げると、膜は世話しなく揺れてユーヴェへ語りかけた。
『発想が古いな。強化体の脳は個別の生物になることが解ったのだ。初めの人間性を保ったまま脳を繋げ、あらゆる知的生命体は遙かに向上した利便性と幸せな夢の中で生き続ける。誰でも誰とでも何処にでも行けるようになる。』
「海の水のように。」
せせら笑う声は上ずり小刻みに息を吸い込む音が鳴る。鬱陶しい笑い声に眉をひそめたユーヴェはポーチの鏡を確認すると、モノを奪い合う住人達と焼け跡を伺う様々な年齢の物乞いが居る、救いようのない光景だった。突然笑うのを止めた膜は落ち着いた声色でユーヴェへ語りかける。
『旧人類らしい考えだが、違いない。お前は海底へ沈む石ころか。あの魔術薬液の流通はもう終り、私は超越者として君臨しよう。』
ここで言葉を区切った膜の前でユーヴェは今までの街を思い出そうと試みたが、再び鳴った膜の声で思考が乱される。
『さて、我らが王太子レムノス殿は全てを一つに集約して天上の星々を目指すつもりらしい。目に映らない物まで欲しがりだした。あいつは間違いなく人外だな。』
「欺くおまえ達も真実は必要か。」
ユーヴェの言葉を嘲うように鼻の鳴らした膜は沈黙する。その間に火事場泥棒達がユーヴェの居る路地をチラリと見ては怯えて後ずさり、人気のある通りから路地は切り離されたかのようだった。
「確信の根拠は?」
『有ったが焼け死んだ、だから数百年掛かるのだ。おまえの方がよく知っているだろう。』
膜の返答を聞いたユーヴェは鏡をポーチへしまい込みオーグの脳を見つめた。人工脳を形成する真っ黒な箱へアパートの隙間から差し込んだ光が当り、陰は銀色の胴体を覆っていた。
「あんたの名前は?」
ユーヴェが尋ねる。
『今はフリスだったか。若くて良い神経組織や林檎を美味しく食べられる桃色の歯肉を持っている。下らない任務を帯びていたのが残念だった。』
「お前の名前だ。」
とぼけた調子で話す膜へユーヴェは語気を強めて尋ねると、膜はうんざりとした口調で答える。
『何度も言うな。せっかちな男め、今は最近仕留めた獲物の話しをしていたんだ。レムノスからはギブリスと呼ばれている。そんな意味の無いことよりも提案だ、私と共にあいつを殺そう。肉体改造を続けたあいつは私一人ではどうにもならない。元来、私は脳の制御について十分な利権を得られそうだから手助けをしたが、私は誰のモノでも無い私が好きだ。他の者達も気がつくだろうが、粛清されるだろう。』
「殺害に意味があるのか?」
『ある、あれが消えれば意識の統合計画が瓦解する。世界は元通り、怪物には生きやすい世界のままだ。』
ユーヴェはオーグの脳へ銃口を突きつけギブリスの言葉を止める。
「おまえ達は私を恐れているのか?」
『・・。』
膜は揺れずギブリスは沈黙していたが、やがてギブリスはユーヴェへ語りかけた。
『パンを焼いて待っている。お前はこの救う価値の無い世界に何を求めている?』
「何も無い。」
笑い声に震える膜へ引き金が引かれる。笑い声が消え、オーグの脳は壊れ硬い頭が石畳へ垂れた。ユーヴェはオーグへ手を伸ばすが、力無く手は下がる。立ち上がったユーヴェはオーグへ何かを言いかけたが口を閉じて立ち去り、薄汚れた路地にはピクリとも動かなくなったオーグだけが残された。
煙臭い街中から憲兵隊の詰め所へ帰ってきたユーヴェ迎えたのはアーランメネスだった。彼は早足にユーヴェへ近づく。ユーヴェを前にしたアーランメネス軽く礼を取り口を開いた。
「おはようございます、ユーヴェ殿。今朝大爆発が合ったとか。オーグ殿がいらっしゃらないようですがご無事ですか?」
「オーグは別の理由で居ないのです。何か見つかりましたか?」
アーランメネスが軽く頷き、彼の部下が一枚の絵を取り出した。絵には叩き潰された肉塊が転がり壁や床には凹みや傷それから大量の血が飛び散っていた。更に床には一丁の銃と抜き身のロングソードが転がっていた。
「これは。何かの印ですか?それとも偶然?」
目を細めたユーヴェは柄の一部を指差す。そこには二つの点が並びその下を逆アーチの線が描かれていた。アーランメネスはああと言う。
「これは今からお話しようと思っておりまして。先ずこの絵は美術品類を収納している国営の倉庫で描かれた物です。また、目の点ですが、血が乾いて指紋が浮き出たということでした。恐らく描いた物だと。署名ですかね?」
「怪物は自分自身のために殺している。署名は残さないでしょう。武器の状態はどうでした?」
「こちらに。」
アーランメネスはユーヴェを会議室へ連れて行くと部屋の作業台の上に銅のお盆が置かれており、中には血に汚れた武器が入っていた。ユーヴェが盆を覗き武器を観察すると地面接している部分には血がべったりと張り付き、天井を向いていた表面の所々には細かな血が飛び散っていた。
「銃には火薬も鉛玉無く、摩耗具合から剣と合わせて未使用品であると予想されます。出荷工場の印字は無く、焼きが甘いので農村部等の素人仕事ですね。所謂ごろつきの武器です。錫も入っているかも知れません。」
ユーヴェは武器から視線を上げて説明を行った憲兵の目を見て再び武器へ視線を落とす。
「殺した後に置いた、倉庫の中で物語が進んでいたか。」
呟いたユーヴェはアーランメネスへ尋ねた。
「倉庫へ案内してください。」
「勿論です。私も丁度向かおうかと考えておりました。」
ユーヴェは背負い物を馬車から取り出して背負い、馬車馬の一頭を外してその背へ蔵を乗せた。支度を整えたユーヴェはアーランメネスや憲兵達と共に件の倉庫へ向かった。国営の倉庫はキュウリコスを流れるライティタ川に沿って建てられており、開け放たれた倉庫からは血の臭いがドブに混じる。アーランメネスは馬上で顔を顰めながらユーヴェへ顔を向けた。
「あれです。二○六号穀物倉庫ですね。」
ユーヴェ達が倉庫の前まで来ると、一行を曹長のラディウスが彼の部下と共に礼を取って出迎えた。軽く礼を返したユーヴェとアーランメネスは下馬し倉庫へ入る。
「そこら中に肉片が飛び散っているので気をつけてください。」
そうラディウスは二人の背へ声を掛けると、早速肉片を踏んだアーランメネスがユーヴェへ、「らしいですよ。」と言うとユーヴェは片眉を上げ倉庫を歩き回り始める。血だまりには旗が立てられており、旗には剣と銃の絵がそれぞれ描かれていた。ばらばらの死体は剣と銃の間に散乱し、肉体はくまなく血に汚れていた。
「これほどの血がある。足跡も無いのか?」
アーランメネスは腰へ手を当てて背後のラディウスへ尋ねる。
「全くありません。」
と肩をすくめて答えるラディウスを余所にいつの間にか橋子に登っていたユーヴェは倉庫の天井近くの窓を指差す。
「足の裏の血を舐めたのでしょう。唾液の後が窓際と倉庫の床、窓に近い血だまりの側に有ります。」
「じゃあそこから一飛びで上がったんですか?」
ユーヴェを見上げたアーランメネスは片手を床へ、もう片手を窓へ向けて尋ねた。ユーヴェは肯定する。
「恐らくそうでしょう。小さな窓も一切壊れていないことから大きさは先日討伐した小型の怪物よりも小さいでしょう。それに体毛も少ない。」
ユーヴェの指先には一本の白い毛が摘ままれていた。
「見つかった物はこれ一本だけです。」
梯子を下りたユーヴェは毛と床の液体を瓶へそれぞれ回収すると、顎を摩るアーランメネスへ尋ねる。
「これから魔術を行います、火を起こせる場所はありますか?」
「それなら裏手に空き地が有ります。案内しましょう。」
そう言うとアーランメネスは倉庫に立つ。ユーヴェは梯子を憲兵へ渡し、入口で待つ彼の後に着いた。




